78.ガイド躑躅ヶ崎館・甲斐善光寺 人は城?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 坂道をバスコンが昇る。左右には高校や大学が広がる。そして更に坂を上ると武家屋敷っぽい広い家が並ぶ。

 道も景観条例で綺麗に整えられている。

 その先に、開けた空間が見える。

 正面は土塁の上に下見板張り、板葺きの壁と左右に二層櫓が見え、左手にも土塁の曲輪、右手に駐車場。

 櫓門も無い桝形を入ると、そこは歴史博物館がある梅翁曲輪。北側に左右に別れた曲輪が見える。

 さっきの道の正面にあった曲輪と、その横の曲輪だ。

 

「この躑躅ヶ崎館は、16世紀初頭に武田信虎が築きました。

 その子信玄の代まで、正面右側の方形の邸の部分が本来の館でした」


「シンゲンってツヨーイ大名だけどお城はショボいネ」

「武田の武将はいずれ天下を取るなんて言われてましたけど、こうして見ると御隠居様のお城とは大違いで驚きます」

「あは!お姉サン見て来たみたいに言うネ!」

「あら…」しまった。


「武田信玄の有名な言葉に『人は城、人は石垣、人は堀』というのがあります。

 一般的に立派な城よりも人材こそ大事という意味で、武田信玄は立派な城を持たなかったと言われていました。

 ところが実際はこの館の周囲に山を利用した砦が複数築かれ、甲府全体を強固な城と見立てていたのでーす!」

「建物じゃなくてアチコチに基地を作ったのかあ」

「その通り!それじゃあ中行くよー!」


「シンゲン様グッズどこよー?」

「あれ!看板ありマース」土産屋か?!

「お!お次さん猛ダッシュ!」

 オタク組をちょっと待って、まずは正面左手、西曲輪へ。

 戦国ブーム、来るのかな?


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 西曲輪入口の前は、小高い石垣に塞がれその左右に廻る必要がある。

「これが入口を塞ぎ敵の侵入を抑え、味方にとっては左右どちらか敵が手薄な方から討って出る優れた防御設備、『馬出』です。

 武田氏の城にはこうした馬出が多数見られ、武田流築城術の特徴でもあります」


 橋を渡って西曲輪に入ると、神社。

「信玄の子勝頼は土木事業が好きで、勝頼の代にこの館の西にさっきの梅翁曲輪、この西曲輪、ここの北に味噌曲輪。反対側に大手を守る区画や隠居曲輪等が拡張され、一回り大きな城となりました。

 江戸期に入ると躑躅ヶ崎館は新築された甲府城の出城となり、西曲輪には武田家を祀る武田神社が開かれました」


 西曲輪から本郭へ。板葺きの古風な門を入ると、左手が本丸門。

 その先に天守、そして本丸御殿。


「武田氏滅亡後甲斐を所領した徳川家康によって館は近世城郭として発展し、天守も上げられました。

 この様にこの館、実質的に城は武田家三代と徳川家の手で成長し、そして役目を支城として明治まで繋ぎました」

「小田原城みたいなガチガチの石垣の城にならなかったのねー」

「その前に本城としての機能は甲府城に移ってしまいました」

「ショギョームジョーって奴ネ」


 大手を出ると、また馬出。その先に迫る崖。

 これが館の名前の由来、躑躅ヶ崎か。


 更に奥の山には、かつて山上に詰の城、要害山城があったのだけどこれは維持が難しく廃城となったみたい。


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 関越道に戻る前に、ちょっと寄り道。

 甲府の町を山沿いに東へ。なんてことの無い市街地をちょっと脇に入ると…


「「「「「でか」」」」」

「京大仏、って程じゃないけど、デカいよね町ん中じゃあ」


 そう。住宅街の中に、イキナリ善光寺の柱を赤く塗ったとしか言い様のない巨大なお寺があったりする。

「こちらは川中島合戦に臨んだした武田信玄が、戦火から善光寺の本尊を守るため16世紀半ばに建立した寺、定額山善光寺、通称甲斐善光寺です。

 奥行50m、高さ20mにも及ぶ巨大な金堂は関東屈指の巨大寺院です。


 尚、善光寺の本尊であった一光三尊阿弥陀如来像はこの地から豊臣の京大仏殿へ移されました。

 ある日秀吉の夢に現れ『信濃へ帰りたい』とお告げになられ、故郷を離れ40年を経て元の善光寺にお戻りになられました。

 この地の本尊となったのは、信濃善光寺から移された仏像の一つ、善光寺如来です。

 ずっと秘仏としてその姿を現さずとも甲斐の人々から尊ばれています」


「おのれ信玄ー!仏様ーを大切にしない奴は死ぬべきなんだー!」

「こりゃラン落ち着けって」

「大切にしたから自分の領地に移したのかもよ?」

「納得いかネー!」


 これは意見が分かれるところだねえ。


 色々な過去はあっただろうけど、やはりお寺の境内、金堂の中は落ち着くなあ。

「司ンー!ここから下に潜れるってー!」「こらお玉、大きな声出さないのよ」 

 金堂内陣の地下、「お戒壇巡り」と呼ばれるルートで極楽の錠前を触ると極楽浄土へ行けるとか。

「全国にはいくつも善光寺があるけどどこでもこのお戒壇巡りってあるんだって」

「も一回廻って来るネ!」「こりゃスー」「熱心だねえ」


 中々神秘的な金堂の向こうには、これまた巨大な山門があった。

 周りが普通の町なんで道路挟んで巨大な山門ってのがまた唐突な感じがして…面白いなあ。


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 ご町内で山梨の郷土料理、ほうとうを頂き一旦東京方面へ、そして圏央道で北へ。

「鉄道だったら小田原迄地下鉄から小田急線、更に東海道線で富士まで出て身延線。

 中央本線から八高線、川越線って。

 結構面倒なんだよね、関東の外周を廻るのって」

「いえホント色々スミマセン」


 後ろは4姉妹と飴ズが盛り上がって歌ってる。

「いいじゃないの走るカラオケルーム。みんな楽しそうだぞ?」

「司ンも何か歌えー!」「「ウタエー!!」」

「あたし歌苦手~!」

「よしじゃあ私が魔〇ライナー…」

「時様!」

「時サン運転に集中!」

「ルパンのヤマタケ!」

 バスコンは賑やかに埼玉に戻った。


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※武田氏館、躑躅ヶ崎館の復元図…は中々なかったので、平面構成図を。

https://blog.goo.ne.jp/tawa_tower/e/7dbb34bb8df187d632dee72dfac48a81


※本丸の北西隅に天守台と呼ばれる非公開区域があります。複数の絵図に名前が記載され、どうやら天守の様な永久建築があった様ですがその様子は不明です。

 恐らく武田家滅亡後、徳川配下で館の拡張・近世化が行われ、甲府城移転までの間に上げられた様です。

 同時に大手門脇等の城門も石垣で強化され、その石垣は今でも発掘され確認されています。

 あ、武田神社正面鳥居脇の石垣と石段は後世に開けられた物ですのでご注意を。


※甲斐善光寺、実際は江戸期に一度焼失し、18世紀頭に規模を若干縮小(奥行約30m)して再建されています。

 フツーの街中にある巨大伽藍は、言い様の無い迫力があって不思議です。

 御本家が白木造りに檜皮葺に対し、こちらは朱塗りで銅瓦葺きのせいか若干軽めに感じられるのが特徴です。

http://www.kai-zenkoji.or.jp/kondo.html


※この世界、国家の権威が実際と違って強く、したがって鉄道や高速道路なんかは今よりも遥かに前倒しで完成してます。なので20世紀末なのに外環道も圏央道も全開通してます。

 早く全通してくれ外環!!

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