77.ガイド甲府城 ヘンな形の天守
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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朝、意外と早く目が覚めた。ってリビングここテントじゃん?
折り畳みベッドと…寝袋に包まれて寝入っていた。
あ、お次さんもグラ玉も一緒だ。お延さんは?
「お~、おはよ~。外、寒~!」
「あらあら、ウチの子達はまだお休みね?」
お延さんとスーが来た。
「お延さん、皆を休ませて下さったんですか?」
「皆様よくお休みでしたよ」
「何かお手数おかけしてすみません」
と、周りを見回すと、クリスマスツリーも馬小屋の人形も、パーティー料理も片づけられていた。
「こういうのは時様好きなんですよ」
「げ!なんだかんだ余計な手間を懸けさせてしまった~!」
「いいんですよ、好きでやってるんだし」
「でも…あ、時サンは?」
「あー、朝風呂よかったらどーぞ」
「何とー!」
時サン、朝風呂の準備まで!!
「年寄りは朝が早いからなー」
「有難い~、入ってい~ですか~?」
「どうぞ。スッキリして来て下さいねー。風邪はひかない様に」
「うぃ~っす」
「私も行くよ、スー!溺れんじゃないよ?!」
それから三々五々みんな起きて小さい風呂へ。
窓から見える富士山は朝日に輝いて綺麗だった。
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朝食は目玉焼き、スクランブルエッグ、ベーコン焼きやら昨日のローストビーフにサラダ。
そしてトーストにコーヒー。
定番メニューだけど、何だかいつも以上に美味しい。
寒い年の瀬に、テントの暖かさが嬉しい。
気が付けば飴ズの寝ていた寝室と風呂のテント、ストーブや風呂共々片づけられていて、このテントも時サンと4姉妹でてきぱきとバスの倉庫に仕舞われた。
私らといえば椅子や折り畳みベッドを仕舞っただけ。
「何かトンでもない考え違いをしちまった…」
「だから気にすんなって司さん。こういう手間も楽しむのがキャンプだよ」
「その手間押し付けてばっかなんですけど」
「折角だから私に押し付けて楽しんでよ、友達さん達と一緒にね」
「やっぱりニホンの男は働き者デース!私メカケになるヨー!」
「待てミキ!早まるな!」
「いや、ありなんじゃネ?」
「ランもかよ!宗教の違いどーすんだ?」
「それは宗教の寛容性という奴ダヨー」
「早まるなー!」
「あらあら、私達は歓迎しますよ?」
「ミキー!ビェンヴェニード(ウェルカム)!」
「待たんかいー!」
バスコンは絶叫を乗せて甲府へ。
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富士五湖道路から中央道へ、そして甲府。
「ガイドってこんな運転までしないといけないのかな~?」
「いや、ガイドさんは案内だけ。運転は旅客会社のタスクだから逆にやったら駄目だよ」
「そーなの?!」
「それに万一事故っても責任取れないしね」
そんな設問はガイド検定であったかな?教授に確認しよう。
「でもお客さんがどう移動したらいいかはアドバイスしないとね、特に外国人客であれば国鉄の海外向け割引パスとかも知っておかないと」
「うえ…」
「結構ヨーロッパなんかだと観光用の割引チケットが普及してるから、日本にも求められてるんだよ」
ガイドへの道のりは遠い。いやガイドになるつもりはないけど。
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冬景色、白い富士を眺めつつバスは凸の字を横倒しにした城域の南端、大手門前の駐車場に。
大手門の先には、南北に広い凸の字の底辺、南から楽屋曲輪、堀に囲まれた御殿がある屋形曲輪、県庁がある清水曲輪が連なっている。その右手には一段高い石垣上の三層の月見櫓、その奥に聳える高石垣上に下見板張りの五層?四層?天守が聳えている。
「ここ甲府の地は、名高い戦国武将武田信玄が支配していました。
しかし武田氏が滅亡した後、16世紀末に豊臣秀吉の命で加藤家、浅野家の手で近世城郭が築かれました」
私達は南北に長い桝形門を北に進むと、こじんまりした大手櫓門が。
この楽屋曲輪のすぐ西には県道の大通りが走っているのだけど城内の木々のお蔭か静かな空間が広がっている。
そして大手門内には御殿。大広間の向こうに能舞台がある基本的な造り。
そして月見櫓脇の門を入ると屋形曲輪、ここにも御殿。
両の御殿も賓館にイベント会場にと活躍しているらしい。
そして高石垣に囲まれた本丸西・南面を眺めつつ二之丸をぐるっと周り、これまた小さい櫓門の鉄門へ昇る石段をヒイヒイ昇ると、市内を一望する本丸へ。
「街の真ん中にこんなお城があるのもイイネ!」
「毎日来たら運動不足も解消ダヨ」
「毎日は来たくないでござる」
こらしっかりしろ飴ズ。
「しかし…不思議な形の天守ですねえ」
お延さんの言う通りだ。
「この天守は西側が広く東側が狭い台形の天守台に建てられているため、一層と二層が台形です。
その上に乗る三層の中央部が正方形、その東西に出窓、南北に台形部分を治めるための入母屋屋根が付き、最上層が方形になっています。
こうした、天守台の歪さを上層部で正方形や長方形に修正する天守は、初層が七角形の安土城や五角形の岡山城、台形の和歌山城等にも見られる手法です」
天守内部の平面図を見て「なるほど~」「おもしろ~」等とみんな感心している。
「最初から長方形の天守台にすればよかったのにね」
「天守台の石垣って岩盤を利用してたり自然の地形を利用してたりで、きっちり四角形にするのは高度な技術が必要なんだって」
「ほへ~」
「司ンも色々解って来たジャン?」
「勉強させてもらいましたからね~!」
時サンがニコニコこっちを見てるし。何か照れるし!
そして最上階の窓の向こう、北側にも…天守。
「あれが名将武田信玄の居城、躑躅ケ崎館です」
ここにも一つの町に二つの天守が!
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甲府城の石垣は立派だ~。時サンがバスでグルっと堀沿いの道を廻ってくれた。
城の北、大手門と反対側の山手門が国鉄甲府駅のロータリーに面していて、その周囲は明治ロマンって感じに洋館が並んでる。偽洋風建築だね。
「昔英国公使がここを訪れてね、駅前に城と洋館が建ち並んでる景色に驚いたみたいだよ」
「それは知らなかったー!勉強不足だー!」
「司ン…勤勉だなあ。日本人だなあ」「やめてラン」
今でも電車で来たら洋館が並ぶその向こうに天守が聳える景色が見えるんだろうなあ。
「やっぱり鉄道旅の方が楽だったかな?」
「関東をグルっと回るなら車の方が楽だよ。それに運転は楽しいぞ?」
バスコンは地下道で国鉄を潜り、甲府の町を北に真直ぐ向かった。
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※江戸時代、幕府側の城となった18世紀の甲府城の復元イメージは下記模型の通り。
史実では、江戸時代には天守は失われています。
現在では県道となって消滅した屋形曲輪手前の三層月見櫓が天守替わりでした。
写真左手奥の門が山手門で、現在では城跡から線路を挟んで甲府駅の北側に復元されています。
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-4014.html
※豊臣政権時代の天守についての推定復元図は下記の通り。
歪な台形の平面に建っていたという広島大学の三浦先生による復元案です。
https://kojodan.jp/castle/56/photo/146353.html
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