75.ガイド小田原御在所 最初の関東天守

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 小田原の手前で山側に曲がり、高速道路?の脇の細い坂道を潜る。バスでこんな道走りたくないなあ、大型免許は私には無理だあ。


 と、向かう先に聳える五層天守。さっき小田原城天守から見た、何となく名護屋城に似た天守だ。

 駐車場にバスコンを停めると道の反対側に聳える石垣と、その上階段を左右に挟んで多門櫓が連なり南端は二層櫓になっている。北側にも石垣と白壁が続く。

 階段の先が大手門だ。


 案内図を見ると、何となく縄張も名護屋城に似ている。


「小田原御在所は、16世紀末南蛮征伐を控えた織田家の命を受け、羽柴秀吉が大軍勢を率いて小田原征伐を行った際に築かれた、関東初の総石垣で天守を持った近世城郭でした。


 完成手前まで小田原城側の木を切らずに工事を進め、ある程度仕上がった時に木を斬って、小田原からは突如城が出現した様に見せ戦意を挫いたため『一夜にして出来た城』、一夜城との別名が生まれました。


 小田原に籠っていた北条氏は投降し、南蛮征伐の際鉄船建造に尽力し、更に樺太開拓の命を受け日本最北端の大名として明治まで存続しました」


「樺太寒そー!」

「それって島流しと同じじゃね?」

「実質島流しだよ。でも開拓や油田の利益はあったと思うよ」

「オ次サン、詳しいネー!」

「まあまあ。何より命あっての物種だよ。北条は有力過ぎて斬首すべき、何て意見が圧倒的だったからね~」

「え?」

「あ…ま、そういう説もあったって事だよ~フンフンフ~ン」

 お次さん胡麻化すの下手…


「オホン。

 御在所は江戸時代には代官が入り小田原城の出城として東海道を見張り続けましたが相次ぐ地震で崩壊を繰り返し、その都度修復を受けています。


 関東大震災で崩壊した際には小田原行幸でこの地を賞賛された明治天皇を忍び、皇室から復興費用が下賜されました。


 建材等は旧材が都度使用され、設計も戦国期のままを伝えており、伏見城、指月城、名護屋城等とともに太閤秀吉の城の姿を今に伝えています」


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 南曲輪と東曲輪の高石垣に挟まれた階段を上り、左に折れ大手門を潜り、また右手の中門を潜ると、左手に本丸の石垣が聳える。

 ここで本丸東門の反対側、西曲輪に向かうと、本丸の高石垣に聳える五層の天守!

 純白に輝き、入母屋屋根を重ね最上層に望楼を備えた、まさに名護屋城と似た天守。

 その手前に長い多門櫓が伸びているのも名護屋城に似てる。


「江戸城には行ったけど、こんなお城があるとは知らなかったヨー」

「ステキー、ココで暮らしたらどんな気分だろうネー」

「あ、泊れるお城もあるよ、但しン十万円」

「「どひー!!」」目ん玉ヒン向くランとスー。


 黙々と手を動かす次グラをのぞき込む飴ズ。

「これが、学園祭で展示されたアート…」

「スゴイ速さデス…」

「ワー、おジョーズ!」


 グラシアにこにこ、お次さんちょっと顔が赤くなった?


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 本丸東門に戻り、櫓門を通って、豪華な御殿へ。

 ここ本当に戦時限定の仮御殿?

「小田原陣中では天皇家の使節を迎えた事もあり、格式高い御殿となっています。

 そのため江戸期に入ってもこの御殿は丁重に扱われ、明治天皇以後歴代天皇の行幸の際宿所となっています」

「テンノーヘーカの…ン十万じゃ済まないヨ!」


 大広間のみ公開されており、そこには天皇皇后両陛下の玉座が、その上には菊の紋章が。

 ランは平伏するかの様に頭を下げている。

「何で皆頭下げないノ?逮捕されるヨ?」

「日本はそこまで皇室への礼は厳しくないよ」

「何で?こんな凄い国の皇帝ヨ?」

 そうかあ、タイだと王家への礼は徹底しているからなあ。

 日本は緩いのか。

 ランを見習って、私達も頭を深く下げた。


 天守は内部も豪華御殿仕上げだった。

 陣中ながらもやって来た勅使を迎えるためだろうね。


 最上層から眺める小田原の町。今でこそ穏やかだけど、震災の時は痛ましかったろうね。

「アソコ!さっきの小田原城!」

「あそこから来たんだネ~」


 本丸を北門の桝形から出ると二之丸。ここにも御殿。振り返れば本丸北面を左右二基の二重櫓が守っている。

 さっきの小田原城のスタイリッシュな櫓と違い、長目の平櫓の上に望楼が乗った古式な櫓だ。


 宮内庁が使う事もあり非公開となっている二之丸御殿をスルーし、北に下りる階段へ。

階段は四角い渦巻き状に下に向かっている。

「コレ何?」

「地獄への階段かな?」

「一番下、水があるね」


「ここは井戸曲輪です。

 山の上の城にとって水は大事。

 生活用水を確保するためこんな大きな穴を掘りました。

 四国の伊予松山城にも似た構造の井戸曲輪があります」


「一度の戦いのためにこんな城を築くとは、やっぱ日本は昔からスゴいわー」

「タイだって仏教寺院とか凄いじゃない?時代だって古いし」

「日本に比べるとネェ」

「逆に言えば、戦いにこんなエネルギー費やしてない分よかったんじゃない?」

「そんなもんかな?」

 考え込むランに、お玉ちゃんが言った。


「日本の戦いはね、とってもひどいんだよ。子供もみんな殺されちゃう。

 だから、戦いなんて無いに越した事はないよ?」

 ランがちょっと顔を歪ませた。そして笑顔になって言った。

「ゴメンね、ちょっと立派な建物が羨ましくなったのヨ。

 でもお玉チャンの言う通り、平和が一番ネ」

 そうだね。本当の歴史であった三条河原とか島原の乱とか、原爆なんて本当に御免だ。

 そう考えれば、樺太開拓を命じられた北条家はどうだったんだろうか?


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※小田原御在所、通称「石垣山一夜城」の現状や復元イメージ図、発掘等による縄張図は下記サイトの通りです。

 尚建物についての資料は残っていない為、あくまで「イメージ」図です。

 なお文中の江戸自体以後は狂った歴史の話で、実際は廃城となり度重なる地震で崩れ、今の姿となっています。

https://akiou.wordpress.com/2015/12/10/ishigakiyama-p2/


※北条家が樺太送りとか、小田原御在所に天皇家が行幸なんかはこの狂った歴史のお話です。

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