69.日出木下家 日出はよいとこ一度はおいで

 かつて天下の権力とこの国の黄金を欲しいままにしていた太閤の子とは思えぬ田舎大名になり下がった豊臣秀松公。

 更に豊臣姓も返上し、生来の木下姓を名乗った。

「その程度をしたとて、我が係累の帝への裏切りは償いきれません」


 しかし、秀松公に天下を任せた方がよかったのかも。

 実際、彼が来てから温泉旅館開発とか、交通整備とかあって実質10万石、前任の木下家と農耕・観光・流通・経済を分業してとてもよく領地を発展されているし。


「護児堂で時様に教わった通りにしているだけですよ」

 私が部屋を掃除したり、尻を拭いておむつをかえたりした可愛い赤ちゃんが、立派な大人の顔で私に答えてくれた。


******


 この小さな町、日出は賑わった。

 秀吉の甥の秀次も、忠臣加藤清正もこの町に小さい邸を構え、秀松公の御伽集となった。

 清正公、隠居城の宇土城どうすんだよ?

 実際は、イスパニア、ポルトガル、キリシタンを警戒し、それに同調する切支丹勢力共々事あれば殲滅せんとするためバリバリに備えていたのだった。


 秀松さんを補佐する秀次さんも優しい人なんでよかったよ。

 本当の歴史で、秀吉に処刑された後になって「殺生秀次」とか「妊婦の腹を割いた」とか罵詈雑言の嵐に晒されたけどやっぱりいい人だった。

 人の思いつかない事をやるとか、一を聞いて十を知るとかの天才では無いけど、会話を尽くして「こうすべし」という妥当な判断が出来て、それを皆と共有できる優秀な人だった。


 逆に加藤清正は脳筋だった。しかも評議に参加させて貰えないと「あの豚乞食(私の事です)が鶴松様を丸め込んでいる」と敵意丸出しにしやがる。


 どうせ一生ここに居座るんだろうから、疑心暗鬼を起こさせるより評定の都度立ち会わせて、「清正殿ならどうする?」と考えさせ理解させる事にした。

 でも大抵理解するか先に結論を出すので、この人も天才なんだろうか?だろうなあ。

 色々鬱陶しいんで顔を極力合わせず、他人のフリする事に決め込んだ。


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 そんな南の町、日出はある日驚いた。

 元からあった木下家の日出城に、大坂城の天守や千畳敷、諸門に諸櫓の牧西が運び込まれた。

 手狭な小藩の日出城には過ぎた土産だった。しかし…


「天守や千畳敷はこの地の本丸に建てよう。金の金具等は保存し立ち上がった建物に使わぬ様に」

 これに反対したのは、元々この城の主であった木下家、秀吉の奥さん側の一家であった。

「自分達の築いた城を台無しにされるのが嫌であろうか」

「違います!菊と桐の御紋は太閤殿の証!それを外されるのは忍びなく存じます!」

「父を思ってくれて有難う」

「貴方の事に御座います!」


 秀松様は元藩主の手を取り涙した。

「厚情、感謝する。しかし今は二代将軍様の情けでお目こぼしを頂いている身。

 せめて慎ましく振る舞うべきと私は考えます。

 それより…この際父の御霊を京からこの地に移すお許しを幕府に伺うべきかと」

「それは!!」一同が驚いた。


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 幕府にとって要衝であり、豊臣家の利益のお零れに与っていた公家達も数多いる京。

 そこに秀吉印の京大仏や豊国神社がデンと居座るのは気分が良くない。

 京大仏は震災鎮魂の象徴であり撤去する訳にも行かず、幕府は代替案として松永の兵火で焼亡した東大寺を復興、天平の伽藍を再現した。

 100メートルの東西二基の七重塔、心柱の組木には私も参加して頑丈かつ柔軟なものを仕上げたよ。

 これで大仏信仰は京と奈良に分散し、近京坂の巡礼…実質観光名所は奈良にも広がった。


 そして豊国神社の移転、これも幕府は勿怪の幸いと許可し、豪壮な社殿は解体され移築され、跡地には日吉神社が新築された。

 それでも秀吉を慕う京の人々は秀吉の幼名「日吉丸」に無理やり繋げて参拝したみたいだ。

 畏るべし秀吉人気。


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 とは言え露骨な豊臣排除が過ぎると要らぬ反発を招く恐れもあると判断した幕府は柔軟だった。

 二代将軍秀忠公自ら豊国神社移築の祭事に参加。

 江戸から鉄の艦隊を率い、東海山陽道の有力大名を延々と視察しての道中、各大名も平伏し歓待した。


 そして終点日出。まさか将軍自らの巡礼に預かると思わなかった小領地は天地ひっくり返った大騒ぎで、本丸を退去し将軍の宿所に充てた。


 移築が完了し、旧態から金の装飾を外して再現された天守、千畳敷、そして豊国神社を見て秀忠公は考えた。そしてその晩、千畳敷に秀松公、秀次公、加藤清正はじめ御伽衆、そして私を呼んだ。

 呼ぶなよ。


「この地を密かに西国の鎮守としたい。ともにこの国の未来を描いた朋友である。

 さりとて余り盛り上げ過ぎると国の分裂と売国を企む奸物を呼び寄せる。

 皆の意見を聞きたい」

 勝手に判断せず、衆議を経て決断するのがこの人のいい所だ。


「奸物は俺が首を刎ねる!そこの豚も心得よ!」

 戦国の英雄、加藤清正が怒鳴る。

 どうにも秀頼子飼いの脳筋軍団、夫々に優れた人達だけど私とは反りが合わない。

 秀松公のお世話をしたお蔭で恩人扱いされているのも気に入らないんだろうなあバトルジャンキー共には。


 だが、戦国の英雄だからって黙っていれば調子に乗りやがって。

 売られた喧嘩は買わねば。


「黙れ羽柴様の小僧衆の一人が!貴様如きにこの首に傷一つ触れ得る物かよ!」

「何を?!誰が小僧か!!」

「手前だ小僧!それより小僧こそ国を譲れ。各国の要衝は徳川預かりの方がいいだろうが!

 うぬが仲間の福島みたいに国を失いたいか?あ?オラぁ?」

「肥後は亡き太閤殿下より預かりし地!領内を手塩に育てたこの俺の努力を無にするつもりか!叩っ斬ってやる!」

「控えよ!将軍の御前なるぞ!」秀松公が怒った!

「いやこの続き見てみたい」秀忠公ェ…あ、清正が刀を納めちゃったよ。

「残念」秀忠公ェ…


「将軍様。我が思いは国と民の繁栄。

 尽力は惜しみませぬが不穏な動きを誘うが如きは意に非ず。

 唯黙して父を弔い、天下の御用とあらば子々孫々粉骨砕身、国に殉ずるのみに御座います」

 秀松様スルースキルMAX。

「秀頼公もこの位の覚悟があればなあ…」残念そうに秀忠公が漏らした。


「でも霊廟は元通り、多少派手でもいいだろう。亡き太閤殿下も寂しかろう」

 秀松、秀次両人は深く頭を下げた。

「有難きお言葉ー!!」清正公、泣きながら額を畳に摺り付けた。

 こういう所がこの人の人気の秘訣なんだろうなあ。


******


「あ"~極楽じゃ」

 翌日、幕府一同は三里(12km)離れた別府の温泉に居た。

 木下家用の御殿と広大な温泉に、秀忠将軍を始め秀松公、秀次公、そして私が何故か一緒に。

 御伽衆は警護に当たっている。


「九州は豊かなものだなあ~」

「豊かさ故争いも絶えぬ地でした」

「もうそれも終わらせた」

「いや、まだ浪人やイスパニア、伴天連共が」

「それ故、この地には目を見張って欲しい。

 農民も町民も、盆と正月にはお参りして、他の日々は田畑に精を出し、嫁ぎ子を育て、のんびり湯に浸かり、より豊かな地にして欲しいよ。

 どうだろうか導師殿」呼ばれた。

「もう一揺れはありましょう。

 しかしそれさえ乗り切れば秀忠公の望む穏やかな日々がこの地に、いえ、日の本全てに広まりましょう」

「もう一揺れかぁ。全く懲りないなあ」

「むしろ一揺れで済むのであればそれに備えこの秀松、幕命に命を捧げます」

「命は大事になされよ。さて酒でも頂くか!」


******


 将軍参拝の話は九州全土に広まり、日出は前に増して参拝客で賑わい、栄えた。

 その収入を秀松公は、そして歴代の木下家は将軍家に献上した。

 その一部は「鉄道敷設命」と共に戻って来て、九州を東西に横断する鉄道の建設に充てられた。17世紀前半、関東、畿内、東海山陽道に並んで早くに鉄道が完成した。


 三代家光公も西国巡視の名目に豊国詣でを使い、そこで木下藩から「豊国報国金」の献上を受け。九州横断鉄道の命を下された。

 島原の乱の際、豊後に艦隊が派遣され、陸路で兵が運ばれる予定だったがその前に乱は鎮圧された。

 乱鎮圧後に日出豊国神社でも戦没兵への鎮魂礼が行われた、

 その際に家光公から後方の備えが堅かった事への褒章が秀松公に伝えられ、秀松公は「あの時導師様が仰られた一揺れも終わった」と安堵されたそうだ。


 その後、柔和な秀次公が旅立った。

 慎ましくも厳かに、豊国神社で供養が行われた。京でも京大仏で法要が営まれた。

 そして秀松公も天寿を全うされ、いや、本当の歴史では数年に過ぎなかった命より遥かに長生きされ、太平な世に安堵され穏やかに息を引き取られた。


 以後大政奉還まで、いやそれ以降も木下家は脈々とこの地を守り続けている。

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