68.ガイド日田城 天領見下ろす日と月の城…星は?
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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大分から特急ゆふは大分川沿いをくねくね曲がって西へ。
私達は駅弁食べてなんだかちょっと寝入った。
えーと。
何だか列車から天守が左右二つ見えた気がしたけど、そこでアナウンスに起こされた。
特急が滑り込んだのは、のんびりした感じの町だ。
先ずは時サンに従って南へ、酒蔵や醤油蔵が並ぶ吹かしながらの景色を通り過ぎ、三隈川の向こうに聳える日隈城へ。県道をバスで越えて大手口へ。
「日隈城は三熊川の合流地の岡に、豊臣政権の直轄地、蔵入地を治める城として築かれました。その後17世紀頭に佐伯藩の支城として改築され、今尚聳える五層の天守を上げました。
天守は望楼式で大入母屋を重ねた構造で、本丸には三層の月見櫓も聳えています。
その後この地は徳川幕府の直轄地、天領となり、行政の中心は市の北側、永山城に移り、日隈城は出城として日田の町を守り続けました。
って。天領水くらいしか知らなかった日田にこんな立派な城があったとは正直今回初めて知ったわ~」
「下手すりゃ本城の佐伯城より気合入ってるぞ」
「今回佐伯城行かないし」
「司ンまた行こうよ、今度は南九州ツアーでさ」
「あら、素敵ですねえ」
「「イコーヨー」」
「嗚呼…」 これも絶対行くルートだ。
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川を渡って、石垣と櫓、壁に包まれた城へ向かった。
なんていうか、デコレーションケーキみたいな城だー!
大手櫓門を潜り、えっちらおっちら小高い丘を登り、天守から天領だった街を見下ろす。
「天領の人は気質がおおらか、何て言うね」
「年貢の取り立てが緩かったからね」
「それが酷いと、本当の歴史の島原の乱になっちゃうんだ…」
「ひもじいのは嫌だよ、もう」お玉ちゃんが俯く。
「一杯食べてねー」「えへ!」
かわいい。私より何百年も年上だけどカワイイ。
そして川二筋挟んだ北に、もう一つの天守。
「ここが日隈城、あれは…」ちょっと待て時サン!
「月隈城。永山城とも言ういみたいね。ちゃんと調べましたよー!」
「流石司さん」
「後、町の西端に仮住まいだった星隈城ってのがあるけど…」
「そこは今は何も無いよ」
「じゃあ、行きますか月隈城」
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市内バスで永山城行へ。
「日隈、月隈、星隈って名前の方がロマンチックでいい気がするんだけどな~」
「日隈城は亀山城とも言うよ」
「どの丹波だか伊勢だかわかんなくなっちゃうよ、日本は亀山多すぎ!」
「松山もね」
等と言ってる間に広い堀の向こう、立派な石垣の月隈城へ。丘の上の石垣には天守が聳える。
「17世紀に入り日田の地は佐伯に移封された毛利氏から小川氏の支配に入り、ここ丸山に城が築かれました。更に小川氏が二代で断絶、石川氏が入封しこの城を今の姿に改めました。
この後日田は天領となり、山麓の御殿が拡張され、日隈城とともにこの街を守り続けました」
「幾つ目でしょうねえ、二つの天守が同じ町にあるのは」
「みんなポンポンお城築くよねー」
「オー!バブリー!」
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山麓の御殿、16万石相当とも言われる城代邸が広がり、日田天領博物館となっている。
「天領の年貢は緩くても、殆ど幕府の財源になって地元に落ちてこないのはガッカリだよね」
「それでも酒や醤油なんかの生産は行われてたぞ?有難い事に」
「時サンは酒でしょ?」
博物館には酒造に関する展示もあってこのアル中親父は食い入る様に見ていたのでみんなで引きはがした。
そして山上の天守に向かう階段を上る。
「うわ何この横穴!…これが古墳時代の墳墓の跡って奴?」
「ソダヨー」時サンの視線は山上の天守にロックオンされている。
階段の上、本丸大手門の石垣上に聳える天守。
大手門を挟んで反対側に立つ大手櫓。
立派だねえ~。
だが本丸は何もない。入った先にもう一段高い曲輪、詰めの丸があり板葺きの塀と蔵があるだけだ。
日隈城の立派さと対照的だね。
「推測だけど、17世紀も過ぎると防御より領地経営に目を向けた城造りに変化してったんだろうね。
日隈城と月隈城では中々対照的だねえ」
大手を守る天守から、もう一つの日田城、さっきまでいた日隈城を眺めつつ、
「天守の聳える城の終わりかあ」
と呟いた。
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駅へ戻る途中、旧市街を巡回するバスで…
時サン酒蔵一直線だったよ。
「やっぱ城と酒蔵と温泉があってこそ日本じゃん?」
「今日は泊まらないんでしょ?」
「そうだからこそ見ておきたいんだよ~」
確かに明治の偽洋風建築の本社?とそれに続く江戸末期の蔵は城とは違う息遣いが感じられる。られるけどさ。
「ほれほれ時サンや、ちゃんとお土産買ったげるから」
グラ玉ズは…試飲してた。
更に醤油御殿で醤油醸造の展示やら4000体ものひな人形やらを見物し、山間の城下町の雰囲気を楽しんだ。
「もう一か所回ったら、駅へ戻ろう」
「また酒蔵じゃないでしょね」
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時サンお勧め、城下の咸宜園へ。
古い町並みの中、大きな屋敷が現れる。
「19世紀の頭に廣瀬淡窓という儒学者が開いた私塾だよ。身分に関係なく学ぶことが出来たんだ。
名前は、咸(ことごと)く宜しい、という漢語だ。
幕末、というよりヨーロッパ水準では近代末期と言っても良かった19世紀中ごろ、医学の高野長英や軍事の大村益次郎を始め、それまで世界最高レベルでありながら列強に追従されそうだった技術や運用を現代レベルに飛躍させた原動力の一つだよ」
「大村益次郎って、ロボット師団の預言者で今のリモコン兵器の提唱者だよね」
「そう。江戸後期には既に日本は戦車や飛行機を試作してたのを実用化まで押し上げた人だ」
レオナルド・ダ・ビンチよりSFチックな構想メモをガラスケース越しに見つつ
「このお蔭で日本は世界大戦に係わらずに済んだか~」
と心の中で先達に手を合わせた。
「ここは予習してなかったよ~」
「萩の松下村塾、大坂の適塾も有名だけど、この咸宜園も近現代日本の平和に貢献した、優れた教育施設だよ。
海外じゃ知ってる人は相当な歴史マニアか教育研究科だけどね」
「ひー!出題レベル高いー!」
「司さんは単位取ってるんだから教養として知っていればいいと思うよ。
海外では日本が何で教育に熱心なのかを知りたがってる人がいるからね」
「司ン、教育の力は恐ろしいよ、予想を超えて恐ろしいよ~」
にまにまとお次さんが笑って話す。毎度ながら美少女台無しだ。
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※日田に聳えていた日隈城、五層天守を築いたのは毛利高政。
中国大返しの際秀吉から毛利への人質として出された森家の息子でした。
毛利家に歓迎され「モリもモウリも同じ名」と毛利姓を賜った人です。
五層天守は「佐伯毛利家文書」に文字で残され、それを在郷のファン、刃連じろう様が書き起こした復元図が下記の通りです。スゲェ…
https://twitter.com/yukii_ziro/status/906867344781144064
※月隈城、主に永山城と呼ばれる城には、山頂の北に天守台と呼ばれる石垣がありますが、発掘調査の結果瓦が出土しておらず、ここに天守があったとは考えられない様です。
むしろ南西大手石垣付近に瓦が出土しており、ここに南北に櫓、そして大手櫓門があったものと考えられています。
本丸にも瓦建築は無かった様です。
江戸期には城跡から川を挟んだ反対側に陣屋=政庁が建てられて天領を統治していました。
※何だか大村益次郎が小松崎茂みたいな事になってますが安心して下さい。イルカは攻めて来ません。
この世界の日本は幕末にドローン攻撃とかを想定していた、という話です。
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