64.ガイド岡城 山上の要塞
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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宿から送迎で駅へ、そして岡駅へ。
「ここもまた駅がお城の御殿みたいだねえ」
更に古い城下町、武家屋敷を抜けると、向かう先の山の上にお城が見える。
タクシーは山道へ、そしてお土産屋前で降りて階段へ。
大手への階段を登りつつ、右手の手すり?というか転落防止の石積みが何となく蒲鉾みたいに丸いのが気になる。
「ああこれは洋風スタイルに古田織部がデザインしたんだ」
「誰?」
「戦国末期の茶人で、剽気者、つまりロックでアバンギャルドな人だったみたいだよ」
「茶人なのに?」
「織田・豊臣の世ってのは田舎の成り上がりものが天下を取った時代だから、やった者勝ち、当たった者勝ちみたいなところがあったんだろうね、文化の世界でも」
「しっかし、ここ、結構な、坂ねえ!」
やっと立派な櫓門が見える。大手門だー!
下見板張りで、熊本城みたいな感じを受ける。
「ではお疲れの司さん、どうぞ」
「え"ー、ここはー、休みたいところです」
「休みましょうよ時様」「「そーだよそーだよ」」「ソースだよ…」
お次さん、なんだそれ
「じゃあ、ちょっと休憩しよう」
お延さん達、ホント足腰強いなあ。
伊達にあの安土城とか通勤してる時代の人じゃないよ。
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「ここ岡城は古くは源平の時代に源義経の腹心が彼を迎えるため築いた城から始まり、戦国初期には大友氏の城に、16世紀末には南蛮征伐で大友氏が失脚すると播磨から中川氏が転封しここを石垣が高く聳える近世城郭に改築しました。
城は西に広がる西の丸を中心とした家臣屋敷群、こそから小さい三角形の本丸、二之丸、三之丸、そして更に東に延びる御廟の三区画が東西に連なる山城です」
明治に中川家会館となった西の丸御殿をチラっと見る。中は非公開。
細くなった山の頂を東へ向かうと、三層で最上層の真ん中に華頭窓を設け、高縁を巡らせた下見板張りの御三階櫓が聳える。
中央区画への入口となる三之丸西中仕切から左手北側、三之丸を見ると…
高所恐怖症になりそうな高石垣。
門を潜った南側も本丸の立派な高石垣。
南側も、北側も、木は切られていてひたすら石垣が聳える姿がはっきり見える。
城が樹々に埋もれてしまっては文化財が台無しだからねえ。
「よくもまあこんな所にこんな高い石垣を築いたもんよねえ」
「大坂城や熊本城の石垣も高かったけど、こちらも中々ですねえ」
あれ?その高石垣の先には、なんだかお城らしからぬ、茅葺屋根?の櫓?というより二階建ての茶室?
それに続く多門櫓も、なんだか旅館みたいな感じがするな。
あそこも人が住めるのかな?
「あれは月見櫓。二之丸は色々お楽しみ用の建物が多かったんだよ」
何と…しかしこんな山の上だし、そらそういう物も欲しいかも。
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三之丸から二之丸へ。
てか三之丸から見る本丸石垣…マチュピチュ?
隙間が無いくらい切り揃えられてピッタリ重ねられている。
そして石垣の上に聳える三階櫓。
「何で天守って言わないのかな?」
「ん~、解らないねえ。
しかし出来たのが17世紀も中ごろなんで、平和な時代に合わせて天守と言わなかったのかも知れない」
「あ…幕府への配慮」
「そうとも言う」
三之丸から二之丸に入ってすぐ右へ曲がると本丸、正面には二之丸御殿の玄関。
真直ぐ進んだ先が台所で、その裏に…
風呂屋、ってあるけどまさか本当にお風呂やってないよね、そうですか。
って、靴脱いで中に入ったら…
石垣から張り出してるよ!清水の舞台with bathですよ!
「これは、絶景だったろうねえ~」
戻って北に向かうと、その先端にさっき見えた二階建ての楼閣。
「うは~」
二階から見る、これまた絶景。そして眼下の高石垣。
南側に廻ると、華頭窓がシンボルの御三階櫓。
「時サン、ここに住みたいでしょ?」
「私は天守は五層にしたけど?」
「…本当に築いたの?」
「さて」
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二之丸御殿玄関まで戻り、本丸御門へ。
その先は、本丸御殿、そして御三階櫓だ。
御三階櫓の華頭窓から見下ろすと、南側の遥か下に白滝川。
何と城と川の斜面の下の方に道と武家屋敷が見える。
山城の工事って大変だろうなあ、山城周囲に住むって大変だろうなあ、としか言えない。
それを言ったら名護屋城とかも結構無茶なもんかも。
あっちは全国の大名が集結だもんなあ…規模の桁が違うなあ。
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駅に戻り、またまた豊肥本線で大分へ。お昼は車中で駅弁。
「「うまうま」」いつみても食欲双子は美味しそうに食べるなあ。
見ててこっちが幸せになるよ。
食べたらちょっと一休み…でもくねくね曲がる大野川沿いの景色も楽しいな。
「司ー。もう降りるよー」
「あ…お玉ちゃん、はっ!」
「ホレ司ン」
タブレットに私の寝顔描いて…ヨダレ垂れてるし!
「ヤーメーテー!」
時サンは黙々と私達のスーツケースを降ろしてくれていた。
でもチラチラお次さんの液タブ覗いてた、見んなー!
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※この世界では岡藩の名前は地名に引き継がれ、むしろ竹田の名前は消えています。豊肥本線の駅名も岡駅になっています。
※天神山に連なって聳える岡城の雄姿を復元したものは、すごくちっちゃいCGしかなかったので、昔の絵図を。
ホントの岡城は18世紀後半に焼けており、下記の2図はそれ以前を描いたものです。
岡城は火災や地震で破損を受けており、復旧の為の設計図か下記絵図の他にも御殿等の詳細な平面図も残されています。
https://www.city.taketa.oita.jp/bunka_rekishi_kanko/bunkazai/okajyo/5958.html
※現在では建物の無い岡城ですが、かつて築城祭り等で簡易ながら外観はしっかりした三階櫓や大手門が再現され、往時をしのばせました。
スチロール製などの永久建築ではなかったため解体されましたが、写真等でその一瞬の雄姿を見る事が出来ます。
※斯様に盛観を維持している岡城。
旧城主家の催事や来賓の宿泊等にも使用され、今尚花の縁で杯が巡ったりしてます。
なので名曲「荒城の月」なんて生み出されなかったのであります。
滝廉太郎然り、土井晩翠然り。
※尚、日露戦争も現実程激戦ではなく旅順閉塞も無かったので、廣瀬武夫記念館もありません。
更に太平洋戦争も無かったので、最後まで終戦に反対し玉音放送の後責任を取って切腹した陸軍大臣阿南惟幾の記念館もありません。
いい事なんだろうけど…竹田の皆様、ゴメンナサイ。
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