61.ガイド熊本城1 高石垣、五階櫓、大御殿、そして天守!
※本作は本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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肉~うま~馬~…
はっ!こっこれは夢?
いいえ、現実でした。あ~馬喰って美味かったー!
窓の向こうには天守を中心に御殿や三階櫓がいくつも建ち並ぶ要塞、日本続三名城の一つ、熊本城。
日本三名城って安土城、大坂城、江戸城って説と、「続」が付く名古屋城、姫路城、熊本城の二つあるんだよね。紛らわしい。
他にも織田三名城とか豊臣三名城とか徳川三名城とか三大山城とか三大水城とか…
最近じゃ三大南洋城とかも加わってキリがない。
フィリピンとか香港マカオとか行くことがあるんだろうか?
そこらって目の前の熊本城築いた加藤清正の城だよね。
いくら時サンでも…いや待て隣で寝てるお次さんとかグラ玉姉妹とか言い出したら。
有り得る。
旅費貯めとこう。
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和風の落ち着いたレストランで朝食を頂き…
「「うまうま」」
食欲姉妹は通常運転だ。
荷物を預かってもらいチェックアウト、目の前の熊本城へ…
あれ?市電?あ、そうか。
「西の牙城、日本続三名城として天下人に次ぐ威容を誇る熊本城は、戦国を通じ地方武士が長く争ったこの地に封じられた、豊臣秀吉子飼いの臣下、加藤清正によって築かれました。
当初は西側に大手道がありました。
17世紀に入り江戸へ向けての往来が行われる様になり、城の西側、天守を仰ぎ見る様に街道が付け替えられました。
加藤清正は領内の治水工事を果敢に行い、肥後国一帯から「清正公」と神格化され、細川氏が移封された時も入場する前に清正公の墓前に参り「国を預かります」と祈りを捧げたため領民が甚く感激し、細川氏の治世は乱れることなく続いたと伝えられます」
「ほお~。中々」
「えへへ」
「鼠の子飼いも大したもんだね」
「前に時様と江戸で見たお芝居でも、何だか酷いお話でも最後に清正公が全員退治したという物もありましたねえ」
「え?何それ」
「余程下手な物書きさんが書いた芝居でした。
でも最後に『呼ばれはせずとも現れたるは~、我は清正公なり~』って皆切り伏せて。
それまで居眠りしてたお客さんがみんな声を上げて応援してましたわ」
「おぅふ」
何だその三文芝居。
「そんだけ江戸の民にも清正公は人気だったんだよ。江戸市街の開発でも活躍したからねえ」
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等と話しつつ、坪井川から入る坂道を登りつつ…右手の石垣、何だかスゴくない?
坂道も結構あるけど、その上まで石垣聳えて…更にその上に石垣、三層櫓だよ!
「あ、あれ三層櫓じゃなくて五階櫓って言ったっけ」
「そう。熊本城では内部五重じゃないものも含めて飯田丸五階櫓、数寄屋丸五階櫓、裏五階櫓、西竹之丸五階櫓がある」
「つかよく覚えてんなあ酒ばっか飲んでるクセに」
「好きなモノは忘れないっつか頭ん中で繰り返し反芻しちまうもんだよ」
「マニアだねえ…」
「その通りですよ」「まったく」「「マニア~」」
「おやつあげないわよ!」
何だそれ?「「イヤー!!」」あ、グラ玉には効いたみたい。
しっかし凄いなあ。高石垣の上に更に高石垣が聳え、その上に飯田丸五階櫓。
その向こうに更に高石垣、その上に数寄屋丸三階櫓。
城に足踏み入れてこんにちはした時点でさようならしたくなるよ、攻め手からして見りゃあ。
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坂の上に聳える大小天守の前をカバーする様に…え~と。
「本丸の西に広がり、本丸への入口を塞ぐ様に建つこの一画は、17世紀に増築された西出丸です。三つの門が侵入を防ぐだけでなく、包囲された時には敵の手薄な門から討って出る攻撃施設となる、『馬出』となっています」
などと説明しつつ、巨大な南大手門を潜ると、その先には有名な宇土櫓。
これだけでも天守じゃん。
眼下には凄く高く伸びる石垣、堕ちたら死ぬなあ…
宇土櫓から伸びる多門櫓、その南端は二層櫓となっていて、更に頬当御門に繋がる。その南は数寄屋丸五階櫓。
そして二重に立ちはだかる鉄壁の頬当御門の先には、巨大な大小天守!
「実はそんなデカくない」
「え?」
「それでも天正期大坂城天守より大きい32m、石垣を足すと44mだったけど、江戸城の60mと比べるとね」
「いやいや、天下人じゃない一大名でそれって凄くない?」
「それもそうか」
「そうよ。それに、石垣から出っ張って建ってるのもスゴくない?」
熊本城天守の1階は、石垣から出っ張って、凄く太い柱…じゃない、梁に支えられてその上に建っている。
「それも巨大に見える仕組みだね。
それともう一つ、石垣の歪みを気にせずキッチリ四角い建物を建てるための知恵でもあった」
「え?天守の石垣って四角くないの?」
「歪んでるよ。安土城天守の石垣なんて四角形ですらなかったし」
「あ~」
「他の四角く見える天守台も、四辺は直線じゃなくて内側にたるんだ緩い曲線なんだよ」
「そうなのかあ」
色々イチャモンみたいな豆知識が入ってなんなんだけど、その巨大天守へいざ!
え?反対側から入るの?
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じゃあ天守を迂回して…
あれ?地下に行くの?天守脇の耕作門を潜って下へ…って御殿の地下に入る?
うひー地下道だ!
突き当りに階段があって、そこを登ると。
御殿だ。
北側が大台所?御殿の中心は南側、さっき地下に入ったところの方だって。
その奥に…
黄金の障壁画、天井は漆塗りの格天井。考えて見れば名護屋城以来、久々の天下人規格のゴージャスな御殿だこれ。
「司ン、ガイドガイド」
「えー、オホン。
熊本城本丸御殿は築城完成から遅れての落成となりました。
その時にはまだ豊臣家は盤石でありましたが、清正公の頭の中には織田家から豊臣家への禅譲があったのか、万一豊臣家に事あればこの地に秀松公か秀頼公を迎える意思があったと思われます。
そのため、本丸御殿最奥部、『昭君の間』はとりわけ豪壮に仕上げられました」
なんか時サンがしきりに頷いてる。4姉妹もウンウン頷いてる。
合格、かな?
そして豪華な御殿から本丸東側に出ると、大小天守。
手前の大天守には御殿から廊下が繋がっていて、大小天守の真ん中に別の入口が開いている。
そこを入ると…
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※実際の日本三名城はこの世界で「続」が付いている三城ですね。
そこに大阪城が入ったり入らなかったり。
三大南洋城、南蛮征伐関連で朝鮮倭城の代わりにこの世界に出現した城についてはいずれ。
なお朝鮮には上陸せず沿岸を砲撃したのみなので倭城は存在していません。
※熊本城中心部、昔築城400年の時に描いてみましたが…色々歪んでます。
あの時はこんな風景が遠からず見られると思ったのですが。
なお、次話はもっと正確に熊本城の結構を知る資料を貼りますのであしからず。
https://www.pixiv.net/artworks/72637240
※本丸御殿上段、昭君の間については実際に秀頼擁護の施設だったという話もあります。
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