59.ガイド八代城・麦島城 黒い天守に白い石垣

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 翌朝、お部屋でのんびり朝食を頂き、宿から九州新幹線の筑後船小屋駅までバスで移動。

 宿で朝からビール飲んでバスでも飲んでる時サン、サイテー。

 新幹線で移動する途中、

「ここ田原坂で、本当なら鹿児島の英雄率いる不平武士と、平民出身の明治政府軍とで壮絶な血戦があったんだ。

 今の日本陸軍の軍歌の歌詞も、その敵であった英雄を讃えた歌になる筈だったんだな」

 新幹線の速度ではそんな風景も、もう後ろの方へ消えて行った。

「軍歌で反逆者を讃えるっておかしくない?」

「それが日本であり、それだけの英雄だったんだ、西郷隆盛という巨大な人は」

 明治政府の陸海空軍を率いた西郷隆盛が反逆者?!

 本当、時サンの歴史ってどんだけ酷い事になってんの?


 そして八代駅下車、在来線ホームを跨ぐと海側にちらっと天守が。

 駅から観光バスで八代城へ。


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 観光バスは三之丸の長大な大手門を潜り、学校や病院となっている偽洋風建築の前で停車。

「八代城は加藤清正の家臣であり次男である加藤忠弘が、それまでこの地の中心であった麦島城が17世紀の初めに地震で破損したため新築した、熊本城の支城です。


 その縄張は天下普請で築かれた名古屋城の影響を受けたと思われ、大小の天守台の平面構成等多くの類似点があります。


 反面建物は実にシンプルで、層塔式の飾り破風を持たない下見板張りの黒い天守以下が白い石灰岩の石垣の上に映えていました。

 築城当時は不知火湾、今の八代港の干潟が城に隣接し、城の石垣が灯台の様に夜に輝き、不知火城との別名で呼ばれていました。


 城はその後熊本城と同じく細川氏の所領となり、明治まで熊本藩南部の政庁として機能しました」


「石垣灰色だよ~?」

「お玉ちゃん、今でも石垣の汚れを磨くと白くなるんだって」

「あー、天守の石垣白いねー」

 内堀の先に聳える天守台の石垣は綺麗に磨かれて、その上に聳える下見板張りの黒い天守とコントラストを見せてくれている。

 不思議な景色だなあ。


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 大手からコの字型?もうちょっと複雑?に進んで二之丸へ。

 お城の中って、ここが二之丸で、その先が本丸でーって思っても、低い石垣やら小さい門鱈があって結構クネクネしてる。

 これも守るための工夫なんだなあ。


 入った先、東側に市役所が。見た目明治チックだけど、なんか新しそう。

「三之丸の偽洋風建築に合わせたんだろうね」

「粋ですなあ」

 内堀を渡って頬当門を潜り、本丸御殿。櫓門から鈎手に唐破風が迎える。

 ここも各種イベントでは迎賓館やイベントホールに活躍する。


 大広間から能舞台を眺め、聞こえて来る能楽の音楽カッコ録音を聞いて寛ぐ。

「何だか色々御殿を廻ってると、よっぽど豪華じゃない限り田舎の実家に帰ってきたみたいな感じするよね」

「「しな~い」」「しないよ」

 さいでっか…


「私達の家は、もっと小さいものですよ。

 そこに小さな子供達が沢山」

 ニコニコと教えてくれるお延さん


「司さんも一度お越しになられては?」

「あー…どーしよ?現代人が過去に行ったら…もっと歴史が狂う?

 ちょっと恐ろしいなあ、行ってみたいけど。

 あ、物見遊山で行くべきじゃないですよね」

「いえ全然構いませんよ?」

「私が行って、子供達に何ができるか。難しいと思うなあ」


 等とお話しながら階段を昇る。

 奥向きの御殿はVIP用宿泊施設のため非公開、だけど二階建ての座敷だけ公開されてる。

「うわー!」

 目の前に4層の天守が迫っている。

 そして右手にちょっとバランスが悪い三層の月見櫓がひょろっと建っている。二層、三層が同じ大きさなんでヒョロっとして見える。

「これは泊まった人も大喜びだろうねえ!」

「ゼータクだね」


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 天守には直接入れない。南側の二層のどっしりした小天守から入る。

 そして、小天守と大天守を結ぶのは、両側を白壁で守られた道。

「ここら辺、ホント名古屋城だよね」

「私まだ名古屋城行ってないのよ」

「じゃあ今度は一緒に行きましょう」「「いこーヨ!」」

 あ、これ決定コースだ。


 天守内部は定番の甲冑や刀剣、鉄砲博物館。

 そして最上階からは海、そして天草の島々が見える。

 時サンの言う、島原の乱が起きた場所だ。


「あれがさっき司ンが言ってた麦島城?」

 南側に川があり、中州の様になっている場所の真ん中に、四角い曲輪が二つ横に並んで、海側に三層と二層の櫓が並んで建っている。天守かな?

 あれが八代城の前身、麦島城か。

「あそこも行こうか」


 本丸を北に抜け、明治テイストな洋館を左に、古色蒼然な天守と石垣を右に見てタクシーは麦島城へ。


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 球磨川の中州に着くと、土手の様な堀に囲まれた石垣の曲輪が二つ。

その南側で降りて、門のない入口へ。


 何というか、何か建ってたんだろうなあって空き地、もとい今や公園に入る。

 公園の入口に「麦島城公園」ってある。


「ここがこの地を切支丹大名の小西行長が治めていた時代の政庁、麦島城です。

 切支丹を介しての売国が判明し、改易となった後暫く加藤家が入場しましたが17世紀初頭の大地震で城地の大半が崩壊しました。


 加藤忠広は領地の復旧に尽力した後に城を復興しました。

 慶長地震の経験で耐震工事を受け、地震に耐えた本丸御殿と天守は何とか修復しましたものの、破損が酷かった二之丸南部と三之丸の修復は断念し、新たに八代城を築きました。

 麦島城は八代城の出城として、石垣が崩れたまま本丸と二之丸北半分が残されました。


 南側の道路工事の際出土した、崩れたまま数百年地下に埋もれていた櫓は移動されて二之丸公園で出土した姿のまま展示されています」

「本当はこの二之丸は南に倍の広さがあって、本丸の南にも本丸と同じくらいの三之丸があった。

 そして西側は不知火湾の干潟で、本丸まで船が通っていたんだ。

 その堀も石垣も、大体崩れてしまったけどねえ」

「それは残念だけど、それでも天守や堀があってお城だってわかるもんだね」

「因みに…」

「何にも残ってないパターン?」「そ」


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 長く公民館として使われた御殿と、天守を見物。

 そして天守から見る北に聳える四層の八代城天守。


「何だか町の中に二つお城があるところって多いのねー」

「贅沢だなー」

 お玉ちゃんとお次ちゃんが三層の天守を眺めて話してる。


「全くよ。関東なんて天守すらない町が多いんだから」


「天守って物はつくづく西の物なんだと思うよねえ」

「あら。私は関東の落ち着いた感じも好きよ?」

「お延さん。他人の芝は青く見える物なのよ」

「あら、そうですか?」「そうよー!」


 そして私達は再び八代駅へ。


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※実際の新幹線は八代駅の北東2キロ、新八代に駅を構えています。

 在来線の八代駅は紆余曲折あって西へ大きくはみ出した先にあります。

 この世界では18世紀の藩政時代から高速鉄道構想があり、在来線も新幹線も城に近いルートをほぼ南北に一直線で結んでいます。


※加藤清正が天下普請で名古屋城の後に築いた八代城。何となく名古屋城に似てます、建物ではなく縄張が。

 その往年の姿を復元した模型は市の博物館に展示されています。

http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/per_ex1/castle/castle_model.html


※八代城以前にこの地を統べていた麦島城。例によって余湖さん様の復元図を。

 上が八代城で、麦島城は下の方にあります。

http://yogokun.my.coocan.jp/kyushu/yatusirosi.htm


※実際は建物はおろか石垣や堀すら再起不能なまでに崩壊してしまった様で、文中にある堀なんて完全に残ってない程に今では町に埋もれています。

 僅かに石垣の痕跡があるみたいです。


「倒壊した櫓が出土」の下りは実話ですが、保存はされていません。

 天守台や本丸石垣も発掘されましたが埋め戻されて地下保存となりました。

 ただ、その時発掘された天守台が内部と外側の二重の石垣があり、それが小西家と加藤家の二世代にわたる天守建て替えの痕跡なのか、は詳しく調べないと解りません。

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