51.南蛮大捷、天下交替
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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他国でやりたい放題のポルトガル、スペイン、イエズス会。
こいつらを一気にアジアから追放する。
但し、日本社会の維持を尊重し、誹謗しない宣教ならよし。
日本にとって利益になる通商はよし。
だが今まで日本を舐めてくれた伴天連と責任者、テメェは駄目だ。
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先ず九州全土に「他宗禁誹令」、つまり他の宗教を攻撃する事を禁じた。
次いで国外への人身売買が禁止され、背いた者は大名でも処刑すると言う重い刑罰が告知された。
更に異端審問とかいうイギリスのコメディアンかっつう殺人軍団は全部逮捕。
これで北九州の売国切支丹大名が浮かび上がった。
これを個別に調査。
大内、有馬は織田に下ったが大村は反駁し海外へ逃亡、たちまち九州は織田家に平定された。
織田と裏で取引済みの島津家を含めて。
この間に、織田家による…と言うか私が識者の助言を得て作った
「キリスト教はなくなるの?」
「キリスト教を信じると損するの?」
「ますます論破されるキリスト教!」
という版画広告を護児堂で印刷して九州各地に配った。
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さらに社寺仏閣にキリスト教を論破する説法をレクチャーした。
レクチャーを受けた僧侶たちは、我が物顔の南蛮寺のミサに乗り込み、「意義あり!」と説教に斬り込んだ。
これに宣教師達は反論できず、「論破!」となってミサがグダグダに終わる事例が各地で起きた。
また奴隷貿易の事実が暴かれ、一部では南蛮寺が焼き討ちされ伴天連が処刑される事すら起きた。
二月程すると一時4~50万人に膨らんだ切支丹も10分の1以下に減っていく。
因みに私は異世界を渡り歩くチート能力者になる前は、キリスト教信者だった。
その自分がキリスト教布教を叩き潰すのも、これまた神の思し召しって奴だ。
誰が奴隷貿易なんか許すか。
他の宗教を一方的に否定したり科学技術の進歩を妨害する教会もこの際叩きのめして西暦2000年の大聖年反省決議を400年前倒しでにやってもらおう、そのつもりで容赦しなかった。
その途中、日本人を売ろうとする宣教師を咎めた、勇敢な少女と出会った。
「お前の欲の言い訳に神の名を使うな!」
スペイン人の少女の叫びにこそ、この戦いのキリスト教上の矛盾が顕かにされている。
私は誓った。神の名を罪の言い訳に使った奴等を、絶対に償わせてやる。
その戦いは恐らく400年以上続くが、日本を裏切り、日本人を討った奴に聖の名を冠する事は許さない。
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これら出来事の内、織田が島津との対決を避けた事だけは宣教師によって「織田は九州と戦う力なし。南蛮貿易を譲り島津を臣下にする。島津が日本の要」と本国に報じられた。
これも島津との裏取引を隠し、織田麾下の商人達が流した偽情報の結果である。
念のため、奴隷貿易が続けられているかの様に見せるため、徳川家配下の忍びの者が多数マカオ・マニラに輸出され、現地で散開した。
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そして、全国に他宗禁誹令が拡大され、これに抵触した伴天連多数が拘束される事となった。
同時に日本人奴隷の輸送を企んだポルトガル船・スペイン船、更にはオランダ船までもが拿捕され、船長以下船員が拘束された。
事前に打診があったオランダ船は、取り決め通り罰金を払い拘束を逃れ一時高砂(台湾)へ退去した。
でも結構オランダも海賊的な事してたんでそいつらは拘束した。
しかし、他宗禁誹令を反キリスト教と捉えたポルトガル王兼任のスペイン王フィリペ2世は日本征伐を命じた。
「アジアの蛮族をイエズス・キリストの御名において征服すべし」
京で起きた本能寺の変や、その後あまり大きな戦乱が起きていない事から宣教師達の報告も「日本はさほど強くないし団結も弱い」と、王の判断を後押しした。
アフリカ以東のスペイン・ポルトガル、そしてスペイン配下のメキシコのガレオン艦がマニラに集結。
しかしこの動きはマニラ在住の忍びにより織田艦隊に知らされていた。
私は電信機をホイホイつくって織田家に献上した。遥か南方の情報も即時大坂の信忠様へ齎される。
鉄船に載せる蒸気機関も高炉による鋼鉄も、発条やピストンまでも、更にはライフリングが付いた速射砲までも鉄砲鍛冶が見事に作り上げた。
日本の物作り、20世紀まではスゲェ。
21世紀の売国政権で壊滅したけど。
この世界ではそんな事させない。
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国内での戦役、北条氏が降伏した翌年に、右大臣織田信忠は後陽成天皇から南蛮征伐の内諾、南蛮への備えの令旨を賜った。
同時にマニラに使者を飛ばし、ポルトガルの領事に敵意を問うたが「敵意なし」との事実と異なる回答を得た。
マニラへの使者は軍船が集結している事実を淡々ともい詰めるが、相手は「敵意なし」と答えるだけ。
「マニラから北上する船に大砲が積んであれば乗員を逮捕し自沈を命じる。
応じない場合は乗員とも撃沈するが問題なかろう」
との最後通牒に対し、領事は
「そんな事すれば日本の帝は我が国の放つ鮫の餌になろう」と返した。
「それを戦意ありと看做し、交渉を終了する」
「それは野蛮な国の態度だ」
「相手国の元首を鮫の餌にするという言葉以上の野蛮は無い、この発言は永遠にアジアに記録する」
こうして交渉は決裂した。
即日、天皇から織田信忠へ征夷大将軍任命、ポルトガル征伐の詔勅が下りた。
そしてポルトガル領事の発言と勅命はアジア主要の各港や都市に、そしてポルトガルとスペインへ伝達された。
これを両地の領事や艦隊要員は「その日の内にここと日本で話し合いが伝わる訳は無い、野蛮人の虚仮威しだ」と笑いものにした。
その夜。マニラ・マカオの両艦隊で次々と爆発事故が発生。
敵戦力は敵を見る事無く三分の一を失った。
両地に潜んだ忍びの仕業であった。
翌日明け方、鉄の艦隊は朝日を浴びてマニラを、そして朝日を背負ってマカオを攻撃した。
敵が日光に晒され測定が楽なマカオ艦隊は信長公が、逆光となり困難なマニラ艦隊は信忠公が指揮し、最新式の内燃機関や後込め式の大砲の練習を続けつつ、本土との電信で攻撃開始のタイミングを計りつつ航海を続けた。
そしてついに攻撃の火を迎えた!
敵のフランキ砲と日本の速射砲、それも敵の目視対日本側の測距儀による正確な射撃では問題にならず、敵砲の一撃も当たるを許さず、全艦を初弾で命中させ、瞬く間に沈没させた。
更に接岸した艦から躍り出た上陸部隊はポルトガル・スペイン・メキシコの領事館、商人館、駐屯地を襲撃、これに潜入していた忍びが各地でサボタージュを展開し市中を制圧した。
両都市は午前中の間に織田軍の猛烈な銃撃に晒され、制圧された。
天皇家を侮辱した領事は首を刎ねられ、塩漬けにされ本国へ降伏勧告と共に送還された。
また奴隷商人や宣教師、日本国内から逃亡した武将の内、誘拐や虐待に関与していた者も斬首された。
その時一緒にスペインやバチカンに届けられたのが、我が渾身の「キリスト教はなくなるの?」の印刷物であった。
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マニラから、マカオから、宣教師を始めポルトガル・スペインの商人達が日本艦隊を恐れて逃亡した。
日本艦隊は「奴隷貿易をしない者、他の宗教を誹謗しない者は自由にしてよい」と再三通達したが、それでもみんな逃げた。
本国スペインではアルマダの敗戦で無敵艦隊を失った直後にも関わらず、日本と東洋艦隊との全面的な戦いに発展するなどと考えていなかった。
鎧袖一触で勝利、という実に甘い見込みだった。
スペイン上陸部隊が大坂と京を制圧する陸上線で、艦砲射撃の支援を受けながら多少苦戦する程度では?それでも近隣の港に上陸すればいい、という…
何というか非常に甘い見込みだった。
そこに日本からの全面戦争の告知が届いた。何故か異常な程に早く。彼等の常識の半分の日数で。
更に数か月後、彼等の想定する速度で、マニラ領事の首と東洋艦隊全滅、マニラ・マカオ撤退の報が届いた。
激怒したフェリペ2世は反撃を命じたが、既に命令に応じられる艦が無い事すら知らなかった。
その更に数か月後、生首となった領事から「艦隊を集結させ日本を総攻撃し、国王陛下に献上する」という、今となっては余りに虚しく非現実的な通達が届いた。
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彼等は知らなかった。日本艦隊の小型高速艦が、今で言うスエズ運河の別ルート、砂に埋まった「ファラオの運河」を短期間で通り抜け、小舟で地中海を通じて常識の半分の時間でスペインに通知した事を。
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これを機にスペインはフィリピン以北から撤退し、更にブラジルとアジアを結ぶ航路も失った。
辛うじてマラッカを拠点に、ベトナム以南のアジア貿易に甘んじる事となった。
そしてフィリピン以北の貿易はオランダ・イギリスが主流となり、その南の玄関口は島津となった。
津島は織田との密約の恩恵を受ける事になった。
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唯、この戦いは戦後に大きな悲しみを伴った。
艦隊建設と戦争準備にご尽力され、最後は不慣れな艦隊決戦の指揮までなされた内府信忠公が倒れ、手当の甲斐も無く亡くなられた。
信長公も一時体調を崩されたが概ね元気だったのとは対照的だった。
また上陸部隊を指揮して暴れまくった、織田家重鎮の「鬼」柴田勝家公も過労の所為で他界された。
更に、事もあろうか、信忠公亡き今織田家を背負うべき信雄公が「後事筑前が負うべし」と、隠居様とのすり合わせも無い内に、まるで阿呆の様に言いふらした。
自分に好機無し、ならいっそ盤面をひっくり返してやろうという阿呆の浅知恵に過ぎなかったが、それは阿呆本人を含め、織田の天下の命取りとなった。
一時家中は騒然となったが、結局。
「藤吉郎、日本を頼むぞ」との御隠居様の一言と、信雄公の出家で天下は収まった。
筑前守は藤原家の養子となり摂政を拝し、豊臣秀吉と改名し天下を治めた。
「肩の荷が下りたが」と御隠居様は寂し気に言った。
負けず嫌いの織田信長とは思えない顔だった。
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「帰った」
私は九州工作の朝晩も、マニラ攻撃の朝晩も、安土の護児堂に帰って子供達と夕食を摂り、風呂で子供達を洗い、寝かしつけた。
それでも、その日はお延は私を見て泣き出した。
それ程酷い顔をしていたのだろう。
それにつられたか、気丈で利発な少女グラシアも、大泣きし出してしまった。
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お延さんも、お次さんも、グラシアさんを歓迎してくれた。
まるで妹の様に。
日本語が上手で、ちょっと可笑しくしゃべる彼女は護児堂の子供達のアイドルになった。
彼女の話し、絵に描く世界の旅のお話に、子供達は食い入る様に聞き惚れた。お延さんも、お次さんも。
そうして私達は、新しい家族を得た。
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