37.大坂城炎上!…せず? 豊臣家、消ゆ
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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日本を売り渡してでも豊臣の天下を守ろうとする豊臣秀頼軍と、日本の独立を守ろうとする徳川家康軍の戦いが始まった。
伏見城で攻防戦が行われているのと同時に、別動隊の鉄船団は淀川を下り、途中の障害物を砲撃で粉砕しつつあった。
商船の往来を妨害し、生活を圧迫していた邪魔者を打ち砕く船団に沿岸住民は喝采を浴びせた。
こういうプロパガンダも戦には大事だぞ治部殿。
大坂を前にして、鉄船団は最大仰角で大坂城本丸を狙った。
遥か遠方の大坂城から数秒後に炎が、煙が上がるのがかすかに見えた。
勿論敵のフランキ砲ではこちらに届かない。
しかしポルトガル船団の砲撃は虚しくも開始している。敵団は遥か手前で水柱を上げるだけだった。
鉄船団は砲撃を停止した。
敵は調子こいて更に無駄な砲撃を繰り返す。その数20余隻。
敵艦隊との距離や風向風速を計算し、鉄船団全艦の全砲門が狙いを付けた。
先頭の旗艦の号砲に続き、全艦が一斉射撃した。
数秒後。
遠方の船団が光り、続いて炎が上がった。
そして更に数秒遅れて雷の様な爆音が木霊した。
更に敵船団は全艦が爆発を起こし、マストが四散、ある船は爆発四散して消え、船は転覆し沈没し消え、残ったのは燃えて漂う船数隻だけだった。
ここに大坂型の瀬戸内制圧の構想はわずが数分で消滅した。
厳密に言えば広島や鹿児島に4~5隻毎のポルトガル船が居るだろうが、本体消滅の報を受ければ逃げ去るだろう。
広島の船は兎に角、鹿児島の船は…多分島津が差し押さえるんじゃないかな?
なにせ島津には「琉球と高砂の海運圏を100年限定で任せる。但しその間に生活・医療インフラの構築、全住民への初等教育実施、現地資本の運輸会社設立の世話をすべし」と飴と鞭を与えているので。
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鉄船団は更に進んで大坂城へ砲撃を繰り返した。
砲撃の技術は割と正確で、籠城兵の駐屯地に着弾、主要門も粉砕した。
本丸御殿は淀、秀頼子を慕う大蔵卿や女房衆がいるので目標にはしなかったが、それでも流れ弾は当たる。
千畳敷や奥御殿に着弾し、幾十人かの女中が文字通り散った。
また名古屋城や尼崎城、彦根城を発った徳川軍本隊が、京を発った秀松麾下豊臣軍本隊と合流し、鉄船団の艦砲射撃と交代する様に陸上からフランキ砲による砲撃を加えた。
砲撃の後、加藤清正、福島正則ら秀吉恩顧にして秀松への忠義を誓った子飼いの武将が惣構えを突破、瞬く間に内堀を隔てて本丸に迫った。
徳川の大砲隊に加わった片桐勝元の軍も、「恐らくはあの中に傾国が」と一斉に天守を砲撃。
ここでも女中らが四散し、多くの死者を出しながら徹底抗戦を叫んでいた淀殿もいざ我が身に危険が及ぶと「和睦じゃ!和睦じゃ!」と叫び散らした。
目の前で悲惨に骸を晒した女達の事など、どうとも思っていない。
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和睦の議の場で秀頼、淀、治部、修理らは捕らえられ縛られ、籠に納められ、大阪市中を引き摺り廻された。
大坂の民は最初は石を投げた。しかし籠に阻まれたため砂を投げた。
忽ち三悪人は砂まみれになり、これでは誰だか解らぬと水が掛けられた。
それでも、本当の大坂夏の陣みたいに多くの市民が犠牲になったり落ち延びようと逃げた人々が老い剥ぎに遭ったり殺されたりなんて惨劇が無い分、首謀者達だけが侮辱されるのは不幸中の幸いだ。
「日本の民を奴隷としたイスパニア、ポルトガルの船を京の間近に引き入れて和睦も何もなかろう。
母上、秀頼、死罪を覚悟なさいませ」
「我こそが母より慈しまれた豊臣の嗣子である!
捨は令を弁えよ!」
二人は何だか喚いた。
淀ババァは兎に角、何で利発だった秀頼がこうなっちゃったんだろうなあ。
あ、私の干渉を淀ババァが悉くブロックしたからかあ。
ゴメンね秀頼君。
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「このままでは日本は栄えませぬ!皆が飢えて国が滅びます!
関白殿!我等を討ち果たしても国を開きなされませ!」
なんか治部殿がまともそうな事を言う。
「国は開くが、それはエゲレス、オランダとだ。
イスパニアもポルトガルも切支丹も、我等を人とも思わぬ、相容れぬ敵だ」
秀松様、バッサリ。
「我は日の本の金銀をみすみす切支丹の国に垂れ流しはしない。
この国で作り上げた物を、彼の国に売る。
相互に動くのは、作り上げた物と、それを作った物への褒美だ。
案ずるな治部。
この国が衰えぬこと無き様、皆が尽くす」
何で兄と弟で差が開くかなあ。
あ、私の干渉を淀ババァが悉くブロックしたからかあ。
ゴメンね秀頼君。
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そして大坂城は開城。
史実では悉く悲惨な死を遂げた女房衆も厳罰は避けられ、監視の下とは言え命を全うする事となった。
え?護児堂預かり?ヤメテー!
お次さんは歓迎すると言ってくれたが、お延さんは…激おこプンプン丸?
相変わらず豊臣家にキビシィ~っ!
そして淀殿ラブラブな大野修理とかは…
武将クラスは治部、修理以下切腹。
お家取り潰し。
毛利は流石に切腹となると西日本が不安定になるので、史実通り裏日本の萩へ左遷。
島津は事前の根回しに乗ったので薩摩一国に減封ながら、琉球高砂の貿易を100年限定で把握。
その他の大名の表情は、ほぼ現実の歴史に近い形。
史実では独饅頭で死んでいた加藤清正は秀松に従って奮戦したが、剃髪して出家した。
福島正則は毛利の後釜に収まって満足しまくった後、徳川に上げ足取られて廃絶した。
現実にあった関ケ原と大坂の陣をミックスしたみたいな賞罰が行われた。
因みにバトルジャンキー真田左衛門佐信繁は、「義の無い戦」と悟ったか秀松を正としたか、信州から出なかった。いつか不満が爆発しそうだ。
史実と最も違うのは、秀松公が官位を返上した事。
「豊臣の謀反は我が身を以て償うべし」
その謀反を制圧したのも秀松公なのだが…
「父上の様に黄金の雨が降る時は、もう終わった。
故に豊臣は去る。
願わくば、亡き父の遺言に背く事無き様に願う。
宮中にも南蛮貿易の旨味に目が眩み、忠君の使命を忘れたる外道は居る故」
この子ホントに二十歳か?
結局、秀松殿は豊臣姓を返上、羽柴ですらない木下姓を名乗り、九州は豊後日出三万石に封ぜられた。
豊臣恩顧の大名の中では、加藤清正と豊臣秀次が出家して秀松を追って日出へ。
他の武将は秀松の説得に応じ、徳川に臣下の近いを立てた。
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わずか3日の戦いで、豊臣政権は消えた。
だが本当はそれよりも10年近い前から進められた秘密会議の末、ほぼ平和裏に政権譲渡が決まったのだ。
戦国末期の海外貿易バブルは、日本の資産の海外流出という数百年の爆弾を隠し、それを見抜いた徳川新政権(と私)は経済の鎮静化、即ちゆるやかな停滞を行うという新たな難題に挑む事となった。
それに先んじて、先ずは荒れ果てた大坂城。
天守と御殿、崩壊を免れた櫓や門は解体され日出へ運ばれた。
後に残った崩れた石垣。それらは全て埋め立てられ、新城はその上に堀を掘り、土を盛り、石垣を固め、門、塀、櫓、御殿が建てられた。
最後に、二代将軍秀忠公が江戸に上げた巨大な二代目天守が移築された。
そして真っ白な、かつての黒く塗られ黄金の飾りが輝いた豊臣の天守の倍はあろうかという、巨大な天守が大坂の空に聳えた。
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※実際の歴史での大分県の日出藩については後程。
※実際の歴史での大坂城砲撃では、冬の陣で天守に命中した弾で女中二人が死んだとあり、これにビビった淀君が和睦に応じたそうです。
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