35.大阪の乱前夜 浪速の夢は夢のまた夢か?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 スペイン・ポルトガルとの戦いは勝った。

 無理やり勝った。

 そらそうだ、鉄の艦に旋回雛段砲塔でアームストロング砲載せて蒸気機関で走らせりゃ負ける方がオカシイ。


 だがそれだけの物を作るのも動かすのもお上にとっての負担は相当なもので、凱旋後間もなく内大臣信忠様が急病であっけなくお亡くなりになった。

 マカオを鬼神の様に占領した柴田勝家も後を追う様に無くなり、織田家の支配力は急速に衰えた。

 建艦や築城に活躍した羽柴秀吉が織田家中で最大勢力となり、朝廷内にも反信長派閥が羽柴を担ぎ始めた。


 決定的だったのが、アホの信雄が「筑前こそ関白に相応しい~!」と落日寸前の織田家の息の根を止めかねない暴言を言いふらした事だ。


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「むしろ好機か、と」

「家の誉れを捨てて何の好機や!」

 安土城天守に、隠居の身でルソン攻めの最前線&上陸部隊の指揮を執ってなお元気ビンビンの、バトルジャンキー信長が叫ぶ。

 何が人生僅か五十年だよ。百まで戦ってんじゃね?


「今織田家中には信忠様の跡を継ぐ覇者はおりません。

 いっそ羽柴に放り投げるのも、織田の生きる道かと」

「あの禿鼠が天下を…俺が討たれていたらそうなったんだろうしな」


「てかそもそも無茶だって。天下人親子揃って南蛮征伐の先頭に立つとは…馬鹿なの?」

「馬鹿と抜かすか?!馬鹿は承知や!」

「馬鹿だって認めてんじゃん!」

「あんな大戦だで!鉄の船で南蛮共を叩き潰す元寇以来の大戦に俺が行かにゃあ何とする!

 勝てる物も勝てん様なるだで!」

 子供かこの人は!


「…確かにお二人でなければこの短期決戦は勝ち抜けなかった。

 後事を託すのも筑前殿でなければ、いや彼一流の法螺吹きと、その尻拭いをする秀長殿と秀次殿がいなければあの艦隊や琵琶湖水道、名護屋城を築くのも無理だった。

 日の本一丸となって全力を尽くし、勝った」


「んだで、潮時。か…」


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 後に清州会議ならぬ聚楽会議が行われ、元服直前であった信忠公嫡男信秀公は権中納言に、その後見人にアホの信雄ではなく羽柴秀吉が任じられた。

 その後朝廷より秀吉に関白職を賜り、豊臣姓を名乗った。


 既に制圧していた全国の大名は織田方の根回しによってこれを認めた。

 それ以前に筑前の工作があってスムーズに行ったのだが、どんだけ権力欲が強いんだこの男。

 この全国統一政権に反旗を翻しワンチャン天下を狙う馬鹿はいなかった。


 秀吉は安土に次ぐ織田家第二の覇城、大坂城に入城。

 黒田官兵衛により巧みに動線を制される必殺の要塞に、秀吉は墨を入れた。


「豊臣の天下を示す天守と御殿を構えるべし」

「ちょっと待ったー!」


「おお護児導師殿!何故か?」

 秀吉殿には鶴松殿を病気から守り育てた貸しがあるので顔パスだ。

「京、大坂に地震が来ます」

「いつ、いつだー!」

「3年以内!」


 かくて大普請は見合わせとなり、畿内の大型建築への耐震工事を優先する事となった。

 ここでまたしても豊臣の栄華を天下に誇りたい淀君に嫌われた。何なんだあの女。

 去年第二子のお拾(ひろい)を産んで調子こいてんなあ。

 鶴松にしろお拾いにしろ、親父に似て無くてよかったもんだが、かと言って母にも似てないのはなんだかなあ。


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 震災の復興が一息ついて京大仏が人々に希望を与えた頃、大坂城天守も外装に五三の桐紋や虎に鶴の蒔絵が施され、本丸南面の石垣上に張り出した、清水寺の様な千畳敷御殿が落成した。

 この場で、すっかり元気で立派に育った鶴松殿も晴れて関白職を継ぎ、豊臣秀松として天下人となった。


 そして、ポルトガルやスペインの公使を迎え、その権威を見せつけたのであった。

 本国経由でローマに伝えられた大坂城の結構は、「世界八番目の不思議」とまで騒がれた。


 秀吉がこの世を去ったのは、それからわずか先の事であった。

 京大仏開眼法事を終え、京の町衆から涙を流され感謝された太閤も同年突如倒れ、その後意識は戻ったものの病状は回復しなかった。


 しかし本当の歴史と違うのは。

 60余年の生涯を全身全力で駆け抜けた所為か、80過ぎの老人の様に衰えた手。

 その手を握る、我が子2人と頼れる親類がいた事だ。


 幾度かの面会の中で、駿河大納言徳川家康も豊臣家の後事を託された。

「豊臣の家が絶える事はありません。我ら臣下はお家を守り、幾百年お守り申し上げます」

 こう答えた家康に、嘘は無かった。

 但し、誰を守り、誰を誅するかまでは言っていなかった。

 あの人らしい。いやあの人にしては誠実だったかな?


 なお、辞世の句も将来に希望をつなぐ希望を含んだ物だった。

 お次さん曰く、「外道畜生と謂えども正道に手綱を引かれれば道を外す事もなし」と相変わらずだった。


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 南蛮征伐の建艦景気に、琵琶湖を経由しての瀬戸内海・日本海貿易、更に東シナ海の貿易を手に入れた大坂の港は正に黄金の雨が降る活況を呈していた。


 反面、懸案事項も浮き彫りになって来た。


 一つ、国外への金銀流出による、遠からぬ日に来るであろう日本経済の枯渇。

 一つ、スペイン・ポルトガルを打ち払ったとは言え他国の船で流入する切支丹と、それらによる日本人奴隷貿易、そして反日思想の流布。

 そして。秀吉一人のカリスマパワーに頼っていた豊臣政権の脆弱さ。


 国防戦争だったため、諸国の武将への論功行賞は白熱しなかったし、マニラ・マカオ・台南への知行や南蛮貿易拠点の安堵、更には切支丹大名領の割譲で何とかなったのは幸いだった。


 それよりも重大な問題をどうするか。早くも国論は二分した。


 片や輸入品に関税をかけ、国内の余剰食糧や蒸気機関を応用した自動織機による衣類を輸出し外貨流出を抑え、切支丹弾圧を進めんとする織田家・徳川家を中心とした保守派。


 片や海外貿易を積極的に進めつつその利益を各大名に分配せず豊臣家に集中させ、支配力を維持せんとする治部少輔石田三成、大野長政ら豊臣家家臣と島津家、毛利家を中心とした革新派。


 ああこれ関ケ原のパターンだ。後者に島津や毛利が入っているのは、利益配分でバーターな関係を内諾させてるんだろうなあ。

 でも大丈夫かな?秀吉は弟や甥に仕事ブン投げてトリッキーな密約を成し遂げるけど、治部殿は頭硬いから最悪密約を反故にするかもよ?


 革新派の内情を見てみれば、成程。

 治部殿は兎に角豊臣家大事。後ろに淀殿以下秀吉恩顧の勢力。そして…伴天連、ポルトガルとスペインの商人。織田・徳川軍に対抗する兵力を密かに大坂城に送り込むつもりだ。

 島津は九州安堵を、毛利には瀬戸内中央のハブ港の地位の安堵を餌にしている。

 これは、あれだ、「そうや!売国すんで!」って奴だ。


 自分の母屋売って小銭貰て、それで何の商人だよコイツ。

 あ、淀殿の強烈なプレッシャーによるものか。

 ちょっと切れちまったよ、淀殿。ちょっと天守の天辺に行こうか?


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※という訳で天下人三代の交代も史実とは異なりつつ、結果的には史実通りに行われそうな感じです。

 相当平和的に。

 鉄船とか蒸気機関(白目)とか置いといて。


※秀頼君、死なないで!貴方が死んだら豊臣家は…秀松いるじゃん。

 次回、「秀頼死す」。大坂の乱、スタンバイ!

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