34.ガイド寛永大坂城 日本最強戦闘要塞

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 ホテルから大坂城大手門まで、市電で大坂城二之丸東側をグル~っと回って移動する。


「道路の向こうにあるのは、神社?じゃなくて古代の宮殿…え~と何だったっけ?」

 この感じ、受験勉強以来の「出てこな~い」感だ。


「難波宮だよ。大化の改新の後100年朝廷の宮殿だった。

 あの建物は明治時代に復元されたもので大化神社になってる」


「それだー!昨日みた大坂城の向こうに赤く光ってたのはこの神社?宮殿?だったのね」

「東京や京以外で、時代が異なる日本の政治の中心を近場で見学できる、珍しくも有難い場所だね」

 大阪城見学が終わった後に行くことにした。


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 で、大坂城。


「信長が築き、秀吉が居座った城、と思われる方が多いのですが、今目の前にあるのは徳川三代将軍家光の築かれた、徳川の城です。


 最初は戦国前期の砦でした。

 それを一向宗が「石山本願寺」という名前の巨大城塞に拡張。

 それを織田信長が降伏させ、軍港と軍艦工廠として石山城、改名して大坂城に改築しました。


 更に、天下を織田家から禅譲された秀吉が政治を行ったのが、今この地の下に埋もれている大坂城なのです」

「そうそう」


 市電が進む右手を見ると、直角に折れ折れした高~い石垣の、その先端の上に同じ形の真っ白な二層櫓が…

ズラ~~~っと並んで圧倒される。


「これって江戸城より凄くない?」

「徳川家の大坂城は徳川家に完全に服従してなかった、主に西日本の大名と戦うための城だったからね」

「にしても、殺意マシマシでしょ?」


 直角に折れ折れした石垣とその上の櫓は、「横矢掛」と言って攻めて来る敵に十字砲火を浴びせる恐ろしい構造だ、そうだ。オッサンによると。


「コレ、イスパーニャの軍でもカンタンに勝てないネ!」

「グラシア、そう思う?」

「エウロパにこんな気が狂った城見たことナイネ!」

「グラちゃん!日本って気が狂ってるの?」

「今でもアニメとか気が狂ってマース!」

「アニメと一緒にしないでよ!」


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「でかー」「「デカー」」

「凄い物ですねえ」


 着いたのは二之丸大手門前。石垣もデカいし、大手門の多門櫓も長いし、それを睨む様にドシンと建っている「千貫櫓」も、他の二層櫓よりデカい。その周囲にも二層櫓が睨みを利かせている。

 お次さんは必死にスケッチしてる。ひとしきり騒いだグラちゃんもスケッチを始め、私達は一息つく。


「家光様は徹底なさるものですね。太閤様の面影の欠片もありませぬ」

 何言ってだお延さん?

「いえねえ400年前の面影とか言われても」


「豊臣秀吉の築いた大坂城はこういう白い壁じゃない、窓の下の壁は板を貼って漆で塗った下見板張り。

 窓は外側に同じく漆を塗った板を内側から押し上げる突上窓。

 軒瓦は伏見城や聚楽第同様金箔張り。

 そんな豪壮な大坂城は、17世紀頭の大阪の乱でこの地から失せた。


 この大坂城は、その跡地を埋め立てて17世紀初頭の最高技術で新築された、

 石垣の高さも倍、

 櫓の大きさも倍、

 天守は1.5倍の、江戸城に格式を一歩譲って築かれた大要塞だよ」


 因みに、ここ大坂人にとってはやっぱり大坂城と言えば太閤さんの城らしい。

 更に因みに、豊臣秀頼の人気はドン底のズンドコで、大坂を追い出された秀松さんと秀次さん、そして奈良の秀長さんは人気だそうな。


「まあ、秀吉の大坂城天守や御殿は九州に移築されてるけどね」

「九州の豊臣って…日出?」

「そう。日出城の天守が秀吉時代の大坂城天守だよ」


 そうなんだー!


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 私達は江戸城より立派に見える大手門を潜り…石、デカ!一面が巨大な一つの石だ!

「門に巨大な石を設えるのは、権威を示す常套手段だよ」

 ほお~と聞きながら小さな二層櫓の脇の門を潜り…


 三層櫓が無数に…よく見れば5つ?6つ?並んで建ってる本丸脇を眺めて、本丸正面の桜門へ。


「なんか江戸城より凄くない?」

「西には徳川に従わなかった大名が多かったからね。

 万一徳川政権に反逆する『大坂の乱』みたいな事があったら、ここが最前線になる。

 だから過剰な程の要塞を築いたんだ」

「ほへー」

 私はほへーと返すしかなかった。


 でも、並び立つ三層櫓は…きれいだなあ。

 ここでもお次さんとグラちゃんはチャチャーっとスケッチしてた。


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 またしても巨大な石で設えた桜門を潜ると、本丸御殿。


 18世紀、天皇親政による近代国家設立を模索し、東西の内戦を回避する会議が行われた歴史的な場所。

 ここで会議が決裂し内戦になっていたら、今頃日本は朝鮮の様に消滅して共産国の一地方となっていたかも知れない。

 勿論、人口も1億ではなく、2、3千万程度になっていただろう。


 学校に行っていたから、眼鏡を掛けていたから、そんな理由で殺されていたかも知れない。

 親を殺せ、教師を殺せって命令されていたかも知れない。

 そんな気が狂った様な事が、アジアの各国では行われたんだ。

 日本は、いや、私達の御先祖様達はそれに必死に抵抗したんだ。


 何故、他のアジアの国々はそうできなかったのかな。

 汚職、腐敗、教育への無理解。団結心の無さ。

 色々な感想が頭を廻る。

 何故かお延さんの、お次さんの、グラ玉ちゃんの辛そうな顔が思い浮かぶ。


 私、何でこんなことを考えているのかな?

 今まで学校で歴史を勉強した時は年号憶えるのに必死だっただけなのに。


 そんな事を考えていると、つい思わず

「今の日本って平和だなー」と呟いてしまった。


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 大坂城の御殿は二条城と違って、三角屋根がこっちを向いていない。

 目の前を覆う一面の瓦に圧倒されそうな造りだ。


「三角の側、長方形の建物の短辺が妻側で三角の内側が妻板。

 長辺が棟側。江戸城と大坂城は棟側に玄関が付いていて、二条城は妻側に玄関が付くんだ」

「どっちも大きいなあ~」


 御殿の中は二条城に似た様な豪華仕様で、途中寄った淀城とかの方はやや質素だった。

 聚楽第と伏見城はこれより豪華過ぎかな。

 豊臣と徳川の違いが判るわー。それでもここ大坂城の本丸御殿は凄い。


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 御殿の途中の部屋に、豊臣時代の大坂城と徳川時代の大坂城の巨大な模型が並んでいた。

 豊臣時代の建物は黒と白、そして金で豪華だったが、低い石垣が二段、三段に積み上げられていた。

 徳川時代の建物は白壁、天守の天辺だけ銅瓦に金鯱、石垣は堀から建物まで綺麗な曲線を描いて一筋に駆け上がっている。

 流石に16世紀と17世紀では技術に各段の差があるもんだなあと一目でわかる。


 この大坂城の中心地である大広間。ここも二条城や江戸城の大広間同様広大で豪華な空間が広がる。


 最後の将軍徳川慶喜はここで侵略意図丸出しの諸外国や徳川を潰してあわよくば津島幕府や毛利幕府を打ち立てようとした勢力と喧々諤々しつつ、100年越しの近代国家建設の総仕上げをしたんだろうなあ。


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※今でもどこまで知られているか解りませんが、太閤さんの城は、今の大阪城の地下に埋められています。

 今の大阪城は徳川家が歴史を塗りつぶすかの様に全てを地下に埋めて築いたものです。

 両者の模型は下記の通りです。

https://rekishidou.com/osakajo/


※この世界では寛永期の天守が落雷や火災に耐えて残っているので、今大阪に聳えるコンクリ製(古川重春設計)の、ザ・桃山!!なゴージャスなものと比べてスゴーくジミーな天守が大坂の空を照らしています。

 尤も浪速っ子はそれでは納得できなかった模様。


※この世界では天皇による中央集権、議会制国家が18世紀から構想され、徳川家も政権移譲を意識しつつ国内の調整と対外戦略を行っていた模様?

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