32.ガイド高槻城・茨木城 裏切りとは何ぞや?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


******


 戦国の軍船に似せて作った遊覧船がのんびりと淀川を下って行く。

 平日なので外国人観光客以外日本人は私達くらいだ。


 しばらくすると、「次は高槻に止まります」とアナウンス。

「うげ」珍しい、グラちゃんが嫌そうな顔をした。

「どしたの?グラちゃん高槻嫌い?」

「好きになる要素ないデス!敢えて言うなら~、奴の城が消え失せて今のお城になった位、カナ?」

 奴って切支丹大名、高山右近か。


 船は淀川支流の芥川を北に登り、小豆色の列車が通る鉄橋脇の船着き場に着いた。

 立派な城門と二層の櫓が船を迎える。

「これは高槻城の三之丸が廃止された時移築されたものだよ」ふむふむ。

「今は本丸と二之丸が保存されて、二之丸が迎賓館として改装されて残ってるんだ」

 観光用のマイクロバスに乗り換えて…


 おお、城の前に学校が。体育の授業でみんな頑張ってる。青春だなあ。

「北と東、二つの三之丸は学校になった。本丸はいいデートコースになってるみたいだよ」

 前言撤回!リア充爆発しろ!


 幸いなのか狙ってたのか、内装を洋風に改造された二之丸御殿は来賓も無く公開されていた。

 廊下も畳も、硬い木材の床に改造され、大広間は豪華な大会議室になっていた。


「へー。お城の御殿を外国の要人向けに改造するとこうなるのねえ」

「とってもエキゾティコ!半分ハポンで半分エウロパなのがグっと来マース!」

「切支丹大名、高山右近の城ってのもヨーロッパ圏の要人には受けがいいみたいだね」

「反吐が出マース」グラちゃん…


 そして御殿を出て、三重塔の様な、違う様な、途中の階の三角屋根の飾りが無い天守へ。


「それは層搭式っていうんだ。

 江戸城の天守や徳川の寛永二条城天守が同じで、一層から五層の間に規則正しく小さくなっていく、天守建築の技術が高くなった時代の技法だよ」


「ほえ~。それってテストに出ます?」

「城好きの外国人さんなら聞いてくるだろうね。

 安土城や伏見城が二、三層の大きな櫓の上に小さい櫓を乗せ、真ん中を通し柱で支える古い技術、望楼式というんだよ」


「そういや聚楽第の櫓も二階建ての上に三階目を乗っけた形だったわね」

「その通り。江戸城や二条城の三層櫓も規則正しく面積が減っていくけど、聚楽第や二条御新造の櫓は司さんが言った通りだ」


「これって点数高いかな?」

「出題頻度低いかもね」

「え"~?!」

 台無しである。

 天守には廻りに高校生カップルがイチャイチャしている。

 更に台無しである。


 城を去る間際に、本丸門の脇に高山右近の石碑があった。

 キリシタン大名にして、日本人を奴隷として数多く東南アジアやヨーロッパに売り飛ばした裏切り者、と学校で教わった。

 石碑にも

「宗教に傾倒する余り日本の独立を破壊しかけた。

 一時聖人や副者(聖人に次ぐキリスト教功労者)に列する運動があったが日本政府が世界各国を経由しバチカンに圧力を掛け撤回させ、発起人を懲罰した」

 と書かれている。

 日本政府、本気だったんだなあ。


「所詮はエウロパ貿易とキリスト様をゴッチャにして目がくらんだ愚か者だったって事!

 お蔭でホラント(オランダの主要州)とブリテン以外の商人がエラい目に遭ったのよ!

 今頃地獄で焼かれてるわ!」

 うわあ容赦ないなあグラちゃん。


 あれ?いつもグラちゃんと共鳴するお玉ちゃんが、じっと石碑を見つめている。

 高山右近に何か思う所があるのだろうか?


「キリシタン大名の評価も180度変われば変わるもんだ」

「良かった時代なんてあったの?」

「まあね」オッサンが苦笑いする。


******


 私達は川に戻り、昼前にやってきた軍船じゃない船で淀川を下った。

 船では何か昔っぽい演歌が流れて旅情満点だった。

「次は~、茨木~。茨木~」

「茨城って関東へ帰って来ちゃった?」

「それは茨に城。これから行くのは茨に木。

 大坂の乱の時徳川軍と秀頼軍の仲介をしきれなかった片桐勝元の城がある街だよ」

「あー!また先に言われた!」


 今度は運河を通って淀川支流の安威川に入り、茨木城から500m程離れた阪急線の端のたもとに下船する。


 茨木城は天守が建っているが小さい城だ。

 昔は南に二之丸、三之丸があったけど今は本丸の敷地と御殿、天守、門だけが残って片桐家の邸のままでいる。

 門も天守も、小さい。

 天守はパっと見、二層三重というより二階建てだ。

 周りの櫓より大きいって感じだ。

 しかも真壁造りで、柱も長押も白木のまま。田舎のお城ーって感じの、素朴な印象だ。

 周りは結構な都会なのに不思議だ。


「元々この茨木城は豊臣秀吉の鷹狩御殿だったものを拡張して築かれました。

 大坂と徳川の調停を断念した片桐勝元は、この地に戻り、後に大坂城への砲撃に参加しました。

 どう?」

「はい、その通りです」

 ま、こんな小さいお城も可愛いかも。


「両者の対立を回避するため、相当苦労した人だよ」

「最後は愛想をつかして大坂城に大砲ブチ込んだけどね」


「なんだか豊臣からも、戦後の徳川からも裏切り者扱いされたみたい。

 どっちのためにも腐心したんだろうけどねえ」

 オッサンの説明にお次ちゃんが何故か嬉しそうに言う。

 お次さん、やっぱ豊臣に容赦ねぇ。


******


 更に船に乗って、いよいよ天下の台所、大坂!

 淀川の両岸は高層ビルが聳えて、日本第二の大都会!って感じがするわー。


「司ちゃん、何か安心したっぽ感じ?」「カンジー?」

「うん。やっぱ関東圏育ちだと歴史空間にいるとタイムトラベルしたみたいで、どこか不安なのかな?」

「それがいい、のかもね」


「なんだか知ったような口ぶりですねトキサマー」

「ていうかまあ、感覚的には君に近いね」


 どゆ事?

 船はのんびり本日の宿、大坂トップクラスのお宿、ニューオータニへ近づく。


******


※現在高槻城は学校の敷地と公園化によって消滅しています。

 石垣も鉄道工事のため持ち去られています。

 越後長岡城みたいに城跡も駅にされて消される事が無かっただけマシ、なのか?

 なお復元模型はこんな感じです。

https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/4625.html


※茨木城に関する考証は、材料が少ないのかあまり存在しません。

 発掘調査等の資料で復元された、平面立地をイメージした模型が下記です。

 建物の詳細等は詳らかではありません。

https://citylife-new.com/newspost/3625/

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