29.大鯰 慶長伏見大地震

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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「話は聞いた。京は滅亡する!」

「なんだってー!」

 と時様が言ったか言わなかったか知らないが。

 多分言ったな、時様なら。


 助平で残虐な卑しい禿鼠が、日の本を守り抜き身罷られた織田内府様の跡を継いで、忌まわしい豊臣の姓を名乗り、関白となった。

 但し、私があの地獄を見た時とは違い、今は禿鼠の嫡男も7つで元気。兄に似ず聡明で信頼も厚い大和殿(大和大納言豊臣秀長)もご壮健、ちょっと助平な秀次様も禿鼠の養子なんぞにならず、嫡男鶴松の養育に勤めていらっしゃる。


 世間を賑わせた「切支丹が日本を奴隷にする」という騒動も、亡き内府様とご隠居様の艦隊がポルトガル、イスパニアを打ち滅ぼし、阿漕な伴天連を追放してお仕舞となった。


 私達の姉替わりのお延さんは何も言わない。でも解る。

 時様が何かを何とかしてしまったんだ。どうにかして。


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 安土の護児堂に次いで、秀次様のお招きで京にも護児堂を開く事になった。

 安土のお堂はあの地で大きくなり、織田家にも使える様になった子達が切り盛りする事となった。


 京に来た時様、お延さん、私の三人の仕事は。

 元左京の湿地を田に開き、物乞いの子等を養い、不届き者を捕らえる…何と物騒な仕事を請け負うんだよ時様。

「うひょー!そうだ京都行こうエブリディ!だぜー!」

 落ち着けって時様

「だってさ二条御新造に聚楽第に淀城に、これから伏見城や二条城も出来るんだよー!今なら妙顕寺城も山崎城もちっとは残ってるしヒャッハー!高速道路作るぜー!路面電車敷くぜー!」

 だから落ち着け時様。「皇族通り」って何よ。「御免殿舎」って何よ?

 帝をここにお招きするとか気が狂った事言うんじゃないよね?


 しかしかつての記憶、もう二度と見たくないあの酷い記憶を遡ると。

 大仏が無い。

 洛外に築かれた大きな城も無い。

 あそこでは、私の様な女達が500人もつぶれて死んだ。

 大仏も有難みもへったくれも無く、身が裂け崩れかけた。

 全ては大鯰の仕業だった。

 太閤等とほざいても所詮は禿鼠、鯰の前には無力だった。


「時様、京の大仏様はどうなされたのですか?」

「ああ。そろそろ鯰が来るからね」

「もうそろそろになりますか」お延さんが暗い顔になる。

「時様、どうなされますか?」私も聞いた。


「兎に角、家から出て貰う。後、デカい建物を建てるのは遅らせるし今あるデカい建物は補強する」


******


 聚楽の邸に筋交い柱が通される事になった。

 同じく、洛中洛外の城や寺も筋交いの柱が運び込まれた。

 兼ねてから噂されていた、


「弾正に焼かれた奈良の大仏様に替わって、太閤さ」禿鼠「が京に大仏を建立なさ」立てて威張り散らす「そうだ」


 という噂があったが、それも見合わせになった様だ。


 更に、

「後々、洛中の寺が一斉に鐘を突く。

 ただちに竈の火を消し、家を出るべし。

 之、大鯰の備えのと心得るべし」

 との触れが出された。


 ああ、時様が動かれている。私達も動かねば。

「心得ている様ですねお次さん。でも焼けた家には近づいてはなりません。

 私達に出来るのは、怪我人を助け、癒し、飯を炊く」


 私は頷いてお延さんに答えた。


「後、親と逸れた子がいればここで休ませる。

 不埒な者があれば討ち果たす」

「それはせずとも」

「いえ!不埒な輩は必ず女子供を狙います。

 討ち果たし骸を洛中改めの侍に引き渡さねば」


******


 文月(旧暦7月、太陽暦の9月)に入り、洛中に高札が掲げられた。

「肥後にて大鯰あり、洛中にて近く鯰備え行うべし。

 皆よく備えよ」


 ああ。そろそろ大地震が来るな。

 でも、不思議だ。あの時はとても恐ろしかったのに、今では来るなら来い、ここの子達も他の人達も助けてやる!

 そんな心のゆとりすらある。

 そう言えば時様が言っていた。


「地震が恐ろしいのは何故かな?」

「それは大地が揺れるからです。とても大きな力で」と私もお延さんも答えた。

「地震が恐ろしいのは、それがいつ来るか解らないからだよ」


 そうだ。来る時が解っている私と、恐らくお延さんも、知っているから怖くないんだ。


 私達は、護児堂の柱の間に筋交いを差し挟みながら話し合った。


******


 半月後の夜中、市中の鐘が鳴り響いた。合わせて軍勢が洛中を走る音と、法螺の鳴る音が響いた。

 来た!

「皆起きろ!鯰備えだ!御庭に出ろ!」

 夕方まで外に出ていてお堂にいなかった時様が叫んだ。

 帰って来てくれたんだ!


 私達は一斉に飛び起きた。

「貴方達は小さい子を抱えて!直ぐ!」

「男達は鍋を棒で叩いて廻りに知らせて!壁の近くに行かないで道の真ん中で!」


 私達は予め話していた通りに動いた。男の子達は鍋を叩いて廻りの人達を起こした。

「物は置いておけ!命と体が大事だ!小さい子を置き去りにするなよ!」

 あちこちで小さい子の泣き声が聞こえる。


 周りの家から人々が出て来る。瓦葺きの正門ではなく、屋根の無い冠木門を開け、逃げる人達を敷地の田原に入れる。

「稲なんか気にするな!もっとみんなを田んぼの廻りに!あまり中に入るな!」

 時様から「鯰が来ると湿った土から水が噴き出す」と言われたからだ。


 と、足元が震えた。

「来たぞ、みんな屈め!」

 時様が叫んだ。


 上へ下へ、右へ左へ、私達は揺すられ、土に叩き付けられた。


 真っ暗な中、激しく折れる音、瓦が崩れて割れる音、叫び声が聞こえた。


******


 来る、と解っているつもりだったが、やはり怖かった。

 地面の動きが収まった。


「家はどうなった!」

「崩れちまったろうが!」

「これからどうすりゃいいんや!」

「うわああーん!」

 あちこちで恐ろしさに泣く声が聞こえる。


 すると、時様が立って。


「あ~。みんなー!これで揺れが収まったわけじゃないよー!」


 ちょっと間が抜けた声で、だけど何故か遠くからも良く聞こえる声で話しかけた。


「これからもちょっとずつ揺れるけど、今みたいな大きいのは無い。

 だけど建物はちょっとした揺れでも崩れるから、建物には近づかないでなあ~!


 今夜は、仕方ないから野宿や!一晩我慢やぞー!

 わかったかー?

 わかったら返事をー!」


「あ、はい…」「はい…」「た、助かったのか?」「俺達どうなんだよ」

 あちこちから、気の抜けた様な、でもまだ不安に満ちた声が聞こえる。


「解ったか―?声が小っちぇえー!元気よく答んかーい、はーい!!」

 時様は私達を励ましている。

「はーい!!」お延さんが元気に応えた。負けてなるものか!「はーいっ!!!」

「わかったー!」「大丈夫やー!」「はーい!」

 次々と声が続く。

「じゃあ、みんなでもう一度、いっせーの!」

「「「はーい!!!」」」


 大鯰に襲われた筈の、京の真夜中の片隅に、元気を無理やり絞り出した様な声が響いた。


 お堂に灯りが灯され、逃げてきた人達に筵が配られ、借の寝床とされた。

「お堂は大丈夫だー!子供とお母さんはお堂で寝させよう!親父が我慢しろー!」


 中には公家の末端や下士が屋内に布団を敷く様命じたが時様が拳一撃で筵も敷かずにお休み頂いた。

 明日目が覚めるのか?まあいいや、いい気味だ。


******


 それから時様は


「関白殿の下へ行く。朝には帰るよ。

 いつ崩れるかわからないから他の建物には入らない事。

 お堂の子は、今夜は蔵から藁を出して庭に敷いて寝るんだ。

 お堂は他から逃げてきた子どもとお母さんに譲ろう」


 と言い残し、何人か大きくなった男の子達に不寝番を言いつけて去った。


「私と貴方も、交替で不寝番に加わりましょう」「はい!」

 私とお延さんは槍を持ち、男の子達を励ました。


******


 翌朝時様が帰って来て、小さい子も皆で蔵の米や粟を炊き、行く宛てを失った人々に声をかけ握り飯を与え、励ました。

 懸念された通り物盗りが来たが、時様は怯まず首を刎ね、その骸を市中改めに突き出した。

 侍達は時様に頭を下げ警護の兵を割いてくれた。

 流石に昨夜拳でお休み頂いた連中はしょっ引く訳にいかないので…時様が適当に瓦礫の上に放り投げた。


 そんな騒ぎもその日の内に収まり、夕方までには時様が男達に命じて小屋を組ませ天井に屋根板を敷き床を組み、避難の小屋を次々仕上げた。


 そしてお堂の子達を呼び集め、


「もう大丈夫だ。今夜は湯を浴びて堂の中で寝よう」


 と言うと、皆座り込んで、泣き出した。


 しかし、その夜も皆で炊き出しを続け、人々を励まし敷地内に寝場所を開き、交替で不寝番を続けた。


******


 混乱は数日も経たず収まった。


 御所も弘法大師の東寺も西寺も、東山の大寺もお城も無事だった。

 それでも数百人程度が鐘の音に応えず家の下敷きになったり、物盗りに殺されたと後日時様が教えて下さった。


「時様が鯰から京をお救いなされたのですね」

「ん~何の事かな~?」


 お延姉さまと時様の夫婦漫才が小声で囁かれる。悔しい。


 鯰、「慶長伏見大地震」と名付けられたこの大地震で死者が少なく済んだ事と、それでも死んだ人を偲んで太閤を名乗った禿鼠が建てた、巨大な大仏殿とその中に金色に輝く京大仏を私達は見上げた。


 市中警護の任にあった秀次様より感状を賜った私達護児堂一同は、その開眼式の末席に招かれた。そんな事もあった。


 それに先立ち、禿鼠は溺愛しつつも立派に育てた嫡男鶴松改め秀松公に天下人の座を譲り、秀次様を摂政とした。

 そしてこの盛大な開眼式の後に、新たに産まれた次男、拾と二人の子に看取られて、残虐さを振るう事無くこの世を去った。


 あの、河原で見たおぞましい石碑。あれはもうこの世に存在しない。

 関白様、もとい摂政様も、一の台様も、その御子達も、聚楽第で一緒に過ごした側室方…はその殆どが摂政様とお会いしていないため邸にいないが、邸にいる方々は皆元気に過ごされている。


 あの悪夢は夢と消えたのだ、時様の不思議なお力で。


 それにしてもこのデカイだけの仏を見て思う。

 果たしてあの欲深く残酷さを秘めつつ、それを振るう事無く死んだあの老人を、毘盧遮那仏様はどの様に沙汰を下した事であろうか。


 どうでもいい事だ、もう。


******


※実際の、慶長伏見地震による死者は千人程度、完成直前の指月伏見城に入城していた側室達五百名も圧死したと記録されています。


※京大仏は俗に首が落下したと言われますが、それは慶長伏見地震によるものではなく後年の劣化による出来事で、この地震での破損は軽微だったと推測されます。

 しかし秀吉は「自分も守れぬ大仏に用無し」と解体を命じ、二代目として鋳造物を健在だった大仏殿の中で鋳造したからさあ大変、当然の様に火災を起こして震災を生き延びた大仏殿ごと灰塵に帰します。


※地震に関する会話で、またもや特撮ネタが!

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