22.逆転!本能寺

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。 


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 織田家の京邸として残る二条御新造を、愛しい人達と眺める。

 幸福な時間だ。

 だが、史実から歪んで、イカレて、全くかけ離れてしまった幻の様な時間だ。


 もし、史実の通りであれば、愛しい人達がおかしくなってしまう。

 命を失う事はなくても、心を喪失したままとなってしまう。


 そもそもそんな過酷な時代に、こういう能力を持った私を放り込んで置き去りにした何者かが全部悪い!

 私はやりたい様にやらせてもらう!

 ヤルッツェ〇ラキン!


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 て訳で、5月29日、安土を出発した一行の先々で、本能寺の変を遠まわしに右大臣織田信長に伝えた。

 流石頭の回転が人一倍の天下人、その夜に私を呼びつけ、

「我が臣下に翻意ありとは!その首を賭けるか?!」

と怒鳴った。


 色々酷い事をしながら明智日向守を信頼し切っていたのだ。

 その日向様相手に、散々酷い事したって自覚が足りねぇなあ。


 今後起きる事、既に今行われている事を説明。


 一応万一に備えという事で私は捕らえられた。

 その一方で信長は夜の内に大坂城へ向け甥の信澄に加勢を求め、安土城の留守兵にも船で急行を命じた。


 6月1日に本能寺に入る。

 予定通り茶会を終えた後、密かに二条御新造へ移動、嫡男信忠と合流。女性陣は洛中の懇意な貴族の邸へ避難させた。

 その深夜、明智軍が京に向かった事を密偵が確認し、一同は臨戦態勢を取った。


 在京の手勢千余、何とか間に合った大阪勢と、急ぎの船と馬を乗り継いだ留守勢の一部も到着。合わせて五千。

 それでも敵一万五千との差は大きいが、ここは心許ない邸の様な城の、僅かながらの防御力に懸けるしかない。


 到着が遅れた遅れた部隊は明智軍の退路に潜伏させる事とし、伝令を放った。


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 6月2日未明、敵が来た。本能寺に。敵、約三千。

 ほぼ無防備な筈の寺(と言っても周囲に堀を巡らせ、ある程度の防備はあるが)に突入を図ったその時、寺内から銃撃があった。

 敵は銃と火矢で応戦、三刻程にらみ合った。

 敵は二条御新造に向かう本隊に加勢を求め、伝令を飛ばした。


 そして突然本能寺が炎上した。

 これを機に敵が寺に突入した…が、中は僧侶を含め誰も居なかった。

 では今まで睨み合っていた敵は、応戦して来た銃は何者が?

 そんなの私に決まってるじゃん。


 この、謎の応戦ため敵が二条御新造に到着したのは史実より数時間も遅れた夕方前となった。

 この数時間が信長の命を救ったのだ。

 この間に御新造の守備が六千、市中に潜伏する兵は二千にまで膨れ上がり、各地で奇襲をかける作戦と命令が整えられ、反撃の準備が出来た。


 そして明智勢が二条御新造に向かうと…


 城内から轟音が炸裂した!

 明智軍の一角が吹き飛んだ。

 大筒が撃ち放たれたのだ!

 かつて足利将軍へ献上され、その後所在不明になった青銅製の大砲、「国崩し」が火を放った!

 怯んだ明智勢に鉄砲隊が攻撃、敵の包囲網の一角を崩した。

 本能寺で謎の敵に足止めを喰らった明智軍は、「ほぼ反撃能力なし」との事前の情報と全く違う状況に混乱した。


 更に大筒が鳴り響き、一部の兵が後退を始めた。


 そこに市中に隠れた伏兵が攻撃を始めた。伏兵は急襲と撤退を繰り返し、恐怖に駆られた兵の逃亡が始まった。

 更に城内から予想以上の軍勢が雪崩出た。

 二条御新造前は混戦となり、敵は徐々に後退、天守からの伝令で伏兵が遊撃戦を仕掛けた。


 ついに明智光秀と主だった将は討ち取られ、このひたすら不毛な戦いは京を騒がせ、日没と共に収まった。


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 その後織田軍は体制を整え直し毛利攻撃へ再出発し、途中毛利と和睦した羽柴筑前守と合流。

 そのまま広島へ進み、毛利は城下の盟の屈辱に耐える事となる。


 そして信長軍ご一行は安土城へ凱旋した。

 その際、護児堂への援助への御恩返しとして子供達による軍楽演奏を提案した。

 私を疑ってバツが悪かったのか信長は快諾し、伴天連をも驚かす名演奏を城下に響かせる事が出来た。


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 この天下の騒動について、あまりにタイムリーな和睦に、信長は終生「藤吉郎も謀反を知っていたのか、あの禿鼠」と疑い、また秀吉も今まで以上に信長を恐れる様になったとか。

 それでも中国攻めを収め、早期に織田軍団の立て直しに貢献したとして秀吉は織田家中の上位に立ち、天下人を継ぐ席に近づいた。

 勿論彼がその座を手にするのは、織田家嫡男、信忠が内大臣となり、その席を辞する後の話だ。


 私は信長より家臣になる様命令されたが「時間を超えて生きてる自分を家臣にするのは帝でも不可能でしょう」と断った。

 結局非公式な「指南役」として時々城内へ顔を出す事で納得頂き、立場は引き続き孤児院の経営者で織田家から援助もそのまま、となった。

「自由で気楽な身分には右府様も憧れるよね」と問うたら「当たり前だがね!」と尾張弁で返され、笑い合った。


 今回のメッセンジャーとして重要な役割を果たしてくれた護児堂の子供達全員に、新しい服と筆、硯を贈った。

 また、安土城本丸への見学や、京の御新造への見学が叶い、余り旅する事の無い平民の彼等にとって一生の思い出となった。


 勿論お延姉妹達にとっても、友達と過ごす初めての旅行は、比叡山での悪しき思い出を軽い物にする程に楽しい思い出になった。

 完全ではなかったけれど。


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 天下人の権力移譲は平和裏に行われ、私の知る歴史で存在した残虐な殺戮も、血で血を洗う戦闘も回避された。


 安土が焼かれ、護児堂も襲われ、子供達を逃がした歴史も消えた。

 秀吉が後継者問題から鬼畜外道の振舞いをした事実も消えた。

 

 無論、私の知っている歴史とは違う、別の戦いは行われた。

 しかし日本国内に限って言えば、流れる血は遥かに少なく済み、私の大切な人の心も損なわれずに済んだ。


 護児堂の子供達も、すっかり美しく成長したお延の姉を筆頭に、優秀な商家や織田家家臣に嫁入りしたり弟子入りした。

 またお延の様に堂に残って子供達の世話役となった物もおり、夫々に幸せな生涯を過ごす事が出来た。


 出会った頃に小さかったお延が、私と生涯を共にすると決意してくれたのには驚いたが。


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 悲劇の舞台となった琵琶湖の諸城、そして二条御新造を前にその結構を讃える5人を眺めつつ、

「ま、いっか」

 と思う事にした。


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※史実では明智光秀は亀山にいて、京に出陣していないという説もあります。この物語では出陣した事にしてます。


※信長が足利義昭に献上した国崩しがその後どうなったかは調べ切れていません。

 もしかしたら彼と一緒に鞆の浦に脱出してたかも…ごめんなさい。

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