19.ガイド膳所城 そして京へ
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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大津城からまた京阪電車に乗って今度は大津の新しい城、と言っても400年前での話だけど。
膳所城。こっちの方が広く残されてる。白く輝く壁が気持ちいい。
停車場から降りて本丸に向かうと、湖に直面する…四層の天守。
「この膳所城は、大坂の変で大破した大津城に変わり、この先を通る瀬田橋の護りも兼ねて新築された城です。
築城には全国の大名が駆り出された、天下普請の城の一つです。
琵琶湖の他の城同様湖上に優雅な姿を浮かべ、四層の天守は今尚創建時の姿を残しています…
あれ?よく四層の天守って、『死相』に通じるとか言ってあまり建てられないっていうけど、ここは四層なの?」
「ああ。この城を築いた戸田一西や、その子戸田氏鉄はずっと四層の天守を好んだんだ。
大垣城、尼崎城とかね。
他にも戸田氏じゃないけど桑名城とか米子城も四層の天守だよ」
「へー。結構あるのね」
「武士や城にまつわる話は後世のデッチアゲもあるから要注意だよ」
「他にどんなのあるんですか?」
「そうだね~、なんて話してたらもう二之丸大手だ」
目の前に二層の多門櫓、その両端や門の周囲は三層櫓になっている。
「これまた凄いね…」
二之丸に入り多門櫓に入ると、琵琶湖周辺の名所旧跡の説明がズラーっと並んでいる。
「これは真剣に見入ったら1日じゃ終わんないかもねえって…見入ってるし」
オッサンはホントに城とか寺とか好きだなあ。
ここも迎賓館として内部を土足床敷、洋装に改築した二之丸の御殿がある。
そこを経由し、渡り廊下…
「太鼓橋ね」
「あ、そうそう」
太鼓橋で本丸に亘る。
左手に、湖水を足元にした四層の天守が、1層目を石垣から上に張り出した形で聳え立つ。
「一層目が石垣より大きいねえ」
「跳出造って行って、萩城の天守とかと同じで、石垣の上に天守台より長い梁を組んで、その上に柱を立てているんだ。
天守台の平面がきっちり直角直線に築けないための措置だね」
「萩城…そういえば熊本城、高松城もそうか」
「そうそう」
こういくつもの天守を眺めると、色んな違いや魅力があるもんだなあ。
またしても左右を二層の多門櫓と城門にガッチリ固められつつ本丸へ。
そして本丸御殿は貴賓室になっていて一般立入制限。外から寝室や応接室を眺める。
そして天守から琵琶湖を眺める。
正面は琵琶湖南端。瀬田川へ注ぐ、京への入口。
今では近江大橋がドデーンと掛かっている。
反対側は昔から東海道の要衝、瀬田橋。その先に石山寺も見える。
この膳所城、大津の東西を大津城と分担して守る、交通の番人みたいなイメージが感じられる。
湖の風を受けながら、二層多聞脇の腰掛で一休み。
グラちゃんとお次ちゃんは後ろの方でずーっと天守をスケッチしてる。
パワフルだなあ。後で見せてもらおう。
本丸を後にして城外北側から、城北面の威容を眺める。
「三層の櫓がビャーって並んでると、やっぱりすごい何か来るよね?
その間に二層多門櫓の窓がズラ~って並んでて、何ていうか~
江戸城とも違うし、昨日の彦根城と違う~」
「嘘みたいな景色だなあ」
「へ?なんで?」
「ああ。こういう景色が楽しめなかったら、嫌だなあって思ってね」
???時々オッサン宇宙人みたいな事いうなあ。
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色々哲学的な事を考えつつお昼食べつつ、大津城へ戻ると…
改めて見ると海軍の小さい船が対岸にいたりして、交通の要衝は軍の要衝でもあるんだなあと改めて感じる。
またまた軍船みたいな遊覧船がやって来た。
「それじゃあ京へ向かうぞー!」「「「「おー!」」」」「…おー」みんな元気だ。
割と大きめな、昔だったら大砲積んでたみたいな船だ。
「大砲アッタヨー」「おお!」積んでた。
「これも昔の軍艦を模した遊覧船だよ。
大きさは割と正確だ。
ここから琵琶湖トンネルを通って京の山科へ、そして伏見や淀のある巨椋池へ出る。
結構飛ばすよ~」
この昔の戦船っぽい遊覧船は三井寺がある山の下の水路トンネルに向かって高速で突入!
「「「ひゃー」」」トンネル、正式には琵琶湖運河小関隧道と言うらしいんだけど、真っ暗な中に入ると同乗してる人達が声を上げる。
そしてピンポロ流れる、歪んだ音楽。
「逍遥の歌だねえ」「ですねえ」「お?知ってんの?」「一応国立大生なので」
京都ソングのひとつ、昔の京都大学の学生歌だ。何か勇ましいような、憂いをたたえた様な。
「琵琶湖の城や、トンネルの~疎水の氷雨なだれ雪~」
「何それ?」
「昔の戦争映画で途中すっ飛ばして4番に行っちゃうってのがあってね」
なんじゃそりゃ?
「司さんも、時様と随分仲も宜しくおなりになりましたね」
ニッコリするお延さん…ちょっと怖い?
「時様、メガネっ娘大好きだしー」「あなたもじゃない?」「…まあね」
お次さん?赤くなってない?
「本日は~、琵琶湖大坂往還軍船『征欧丸』にご乗船頂き~」
何か胃薬みたいな名前の船だな。
「ある意味正しいね。
この水路トンネルは本能寺の変を教訓に、国家転覆をはかったキリシタンを使って掘削した水の軍道だからね。
多くの犠牲を出して堀った…」
今度はオッサンが暗くなった。
「でもこのトンネルのお蔭で近京坂経済ベルトが出来上がったんじゃない!
これがなかったら日本も400年前にヨーロッパの植民地になってたかも知れないじゃない!」
「そうですよ、時様」
「貴方が守った」
「ワタシも見たことない立派なトンネルデスヨ!」
「おやつまだ~?」
お玉ちゃんは、ブレない。
ひこにゃんの人形焼食べようね?
「んまんまー」「んまんまー」
グラちゃんもいつのまにか一緒に食べているのには驚かないぞ。
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※膳所と聞いてどこだか解る人は関西以外にはいないんじゃなかろうかって位マイナーな膳所城です。
現実では明治の廃城で天守は縄を引っ張って引き倒され、全ての建物は解体され、石垣すら護岸工事のため持ち去られて城らしさ皆無の廃墟となっています。
戸田氏の尼崎城と並ぶ不遇っぷりも共通してしまうとは。膳所出身の社長さんのどなたか、コンクリでいいから天守復元して下さい(血涙)。
※なお史実の江戸時代では、膳所城は手狭な本丸と二之丸の間の堀を埋められ拡張され、二層の多聞も一層となって随分様変わりしています。
下記は全国の城跡を訪れ、復元図を多数作成・掲載されている余湖さんが作成した初期膳所城の復元図です。
http://mizuki.my.coocan.jp/siga/zeze.htm
大津市歴史博物館では、江戸後期の膳所城の復元模型が展示されています。
https://twitter.com/otsu_rekihaku/status/1275235257982181376
この世界では役割を支城の大津城と分担したためか本丸・二之丸の区画は創建時から変更されていません。
※膳所城天守が跳出造だったかは、絵図による解釈により諸説あります。
※京都三高の寮歌「逍遥の歌」の本当の4番は「ラインの城やアルペンの、谷間の氷雨なだれ雪」です。
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