16.ガイド彦根城・佐和山城 隣に聳える二つの天守?

※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。


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 船は二つの山、そしてそれらの上に聳える二つの天守を背にして琵琶湖に出て北へ。

 のんびり音楽を流しつつ…ってこれサーカスの音楽?


「ドノーの漣って曲だね、ドナウ川の曲だよ」

 そういやさっき「青く美しきドナウ」が流れていた様な。

 どっちにしろ遊覧船っていいよね~。ドンブラコ~ドンブラコ~。


 そして船がノンビリ向かうその先には。

 17世紀に入って安土に変わって琵琶湖西岸最大の街となった彦根市、そして彦根城。


「え~。

 この彦根城は、日本破滅の危機、大坂の乱に備えて徳川連合が全国規模で行った『天下普請』で築かれたお城です。

 急ぎだったのと、近くの城に替わる権威を示すため、それらのお城から部材を取り寄せて築かれた『寄せ集めの城』として有名です。

 なお色々持って行かれてしまった近くのお城は…その後100年がかりで再建された様です、です」


「よくできました~」

「なんだよ『ですです』って」

「パチパチパチ」

「イングリッシュプリーズ」

 いつから英国人になったよグラちゃん!


「八幡城も、これから先訪れる城も、江戸時代に記念碑として復元されたり整備されたものだ」

「でも安土城は隠居城として、彦根城はここ東近江の中心地として存続してきましたー!

 もー先に言うなー!」

「おお、良く出来ました!」


 なんてガイドの演習というよりガイドゴッコをしつつ、彦根城内堀をトコトコと船は内堀に入った。

 そして丘の上に小ぶりながらなんだか煌びやかな姿を覗かせる天守と、その前に突き出した二層の…月見櫓?

 そしてそれに連なる長屋、じゃない多門櫓を眺めつつ、佐和山口門脇に到着。


 多聞櫓に繋がれた二層櫓が織りなす姿と、それを繋げる多門櫓、二層の城門に徳川幕府らしい重々しさを感じつつ、城内へ。


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「17世紀、天下泰平の世になって一国一本城令が発せられ、諸藩の大名の本城以外は、中心的・象徴的な建物、大体の場合は本丸を残して解体されました。

 過去に功績があった人の居城は当人や子孫が暮らしたり、記念館として一般に公開されたりして残されました。

 その後、交通に便利な所に新しい城が築かれ繁栄し、過去の歴史を今に伝えるお城は記念碑として観光地として、武士の世が終わった現代でも地元の人々、そして世界から訪れる観光客に愛されています。

 間違ってない?」

「大丈夫大丈夫」

 だって、よかったー。


 この制度は18世紀に徳川幕府が近代化改革を行った時にも行われた。

 多くの城が中心部だけ残されて、二之丸より外側の建物は特徴的な物以外は解体されたり移築された。

 お金に余裕がある藩はそれらを残した。


 お蔭様でガイジンサイサムライスキスキーよ、ウェルカムよ。

 全国の色々な街で20世紀と16世紀(いや、17世紀かな?)が併存する不思議な景色を楽しめる。


 因みにここ彦根城の天守はちんまいけど金具で飾られた華頭窓や破風がギッチギチに詰め込まれた謎のパワフルさがあり、人気が高い。

 元は大津城から移築され五層から三層に改造されてこうなったみたいだけど。勿論大洲城は琵琶湖艦隊記念館として割と早く立て直されたみたいです…って明日行ってちゃんと調べなきゃ。


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「彦根城は山登り、って感じじゃなかったね」

「でも行く道の先々に櫓が待ち構える様に建ってて、戦いには来たくない城ね」

「特にあの天秤橋の下潜ってその先の門かたまたあの天秤櫓の門に」

「あれ?グラシアは?」あ、いた。なんかゆるキャラひこにゃんに抱き着いてる。

 中の人はオッサンだぞー!いや、イケメン兄ちゃんだったらいいかのな?


 あれ?お次さんがニヤニヤしながら小さいスケッチ帖にひこにゃんに抱き着くグラシアさんと天守を一緒にチャチャっと描いてる。流石だな。


 私も絵が描ければガイドとして…

 止めよう。我が画力をもってすれば案内したお客さんに怒られる。


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 一国一「本」城令で天守や御殿等主要建築を残す様命じたお蔭で、ここ彦根市は…

 城の目の前に城が並んで聳えてるという不思議な世界になっている。

 って安土城と近江八幡城と似た様な物かあ。


 彦根城を出て、国鉄の線路の向こう側の山のてっぺんに、立派な天守が建っている。

 徳川に背いた石田三成の居城、佐和山城の天守だ。

 バスで彦根駅をグルっと回り、更に山城の反対側、旧中山道側の大手門へ行く。そして、やっぱりロープウェイで山頂の本丸へ。


「この佐和山城は、織田信長に攻め滅ぼされた浅井長政の小谷城を護る支城の一つでした。

 小谷城が降伏した後、織田家家臣の丹羽長秀の城となり、更に幾度か城主を変え、石田三成が城主となった際にこの五層の天守を持つ大城郭が築かれました。

 そして『三成に 過ぎたるもの 二つあり』と、名参謀島左近と並び称されたのです」


 私のガイドを聞いて頷くオッサン、お延さん、お次さん。

 全然聞かずに景色を眺めて喜んでるグラ玉コンビ。

 ロープウェイは佐和山城山頂、本丸へ。そして天守へ。


******


「彦根の街一望じゃない」

 天守の麓、本丸の入口から彦根城が丸見えだ。

「だから彦根城に全部持って行かれたんだね」

「治部殿の再評価が成されてからやっとこの天守も建て直されたとか」

「太閤様のご配下にしては金で飾る事もない、質素な建物ですしね」

 質素だけどやっぱり人は高い所に登りたい物、平日ながら結構人が来ている。


 城の裏側、彦根駅前からもロープウェイがあって、そっちから登って来る人の方が多い。

 私達もそっちから来りゃよかったのに。


 山上に聳える五層の天守が彦根城下を見下ろす。

「天下の謀反人にされてしまった治部殿の天守が、赤揃えの幕府筆頭の城を見下ろすというのも皮肉でしょうか?」

「いや、それだけ余裕が出来た、スペインの脅威は去ったって事だと思うよ」

「ほえ~」


 うん。私はまだまだだなあ。

 当面は受け売りになるのは仕方ないかも。

 でも、出来ればもっと調べて世界の人にも、スペインやポルトガルの人にも歴史を不快にならない様楽しんでもらえる様鍛えなければいけないね。


 平和な日本の、平和な琵琶湖をぽや~っと眺めながらそう思った。


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※現実世界で、日本の城の復元(というかほとんど模擬)が始まったのは…

 一般的には明治末の岐阜城天守(今より前の)、甲府城二層櫓、洲本城のちっちゃい天守(昭和天皇即位記念建築)と言われています。

 大坂城にも一時二層の楼閣が博覧会用に建てられました。


 この世界では江戸時代から復元が始まった様です。移築解体した時の建物の実測図がしっかり残されていた様ですね。

 尚現実での明治で破却された城では建物の記録が詳細に残されたケースもありました。磐城平城、岩村城、岡山城は有名です。


※この世界、明治の廃城令が城の破壊を意味しなかった様です。

 士族がそのまま近代化軍として存続したためですが、駐屯地になった訳ではなく、巨大建築群の維持にも相応に予算が掛かった様子です。

 廃城令には巨大木造建築群の維持費から解放される、という意味合いも大きかったのです。


※彦根城は復元された佐和山口や本丸御殿も加え、現存建築が多いので凄くバッサリしました。

 なお天守の横にデンっと張り出す月見櫓や多聞、湖に張り出す山崎曲輪の三層櫓などは解体されました。

 今残る建築は、天守以下売却され解体待ちだったものを、明治天皇行幸に際し現地を視察した大隈重信の奏上で、辛うじて破却を免れた物なのです。


※この世界での近代化は、主人公のやらかしで18世紀、いや一部は16世紀から行われてしまいました。


※佐和山城天守は五層なのか三層なのか記録はありません。

 かつては光成捕縛の後炎上し女子供は悉く身投げして自害したと落城秘話が語られましたが、近年は粛々と降伏したとの説もある様です。

 石田三成に関する話は江戸幕府による改竄、脚色が激しく、念入りに破却された居城佐和山城と共に謎多き存在です。

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