第5話 魔法使い脳
卒試選択の発表があった後、普段は口をきいたこともない教師たちが、珍しく私に声をかけてきた。
「ご愁傷様。モーリ先生」
今までかつて「おはようございます」「お先に失礼します」「お疲れ様」などの挨拶と同じように、「ご愁傷様」と声をかける光景があっただろうか。
担当教官は、生徒の自主性を重んじて課題の選択に口を出してはいけないと言われているが、課題の選択について話し合う権利はあったはずだ。
それにどの担当教官も裏では、課題の選択に対して、示唆を与えている。
「生徒の課題は、いつでも変えることが出来ますから。リコランデに向いている課題を、それとなく告げるのが良いかもしれません」
卒試主任のゴッフル先生だ。ドワーフ特有のバリトンの低い声だ。
意思を曲げないことを美徳とすることで有名な、頑迷な西ドワーフですら、私に助け舟を出してくるほどだ。
「顔色が悪いですよ。お薬でもお作りしましょうか?」
錬金術担当のミルル先生が、一度も喋ったことのない私に話しかけるほど、私の顔は青ざめていたらしい。
ミルル先生はB課題を選択した生徒たちの担当教官をすることになっている。私も出来ることなら、それがよかった。
大きな瞳で見つめられて、思わず私は目を逸らした。
「大丈夫ですよ」
「ですが、メガネが……」
慌てて、自分のずり落ちそうになっているメガネをかけ直す。
「全然、大丈夫です」
いや。何一つ大丈夫ではない。
S課題だと?
古代竜の討伐だと??
私が卒業生の時も、その課題は避けた課題。
いや、私だけではない。過去の多くの卒業生が避けてきた。避けるのが当然だ。そもそもS課題とは「汝の身の程を知ることも重要だ」という学校側からの教えなのだと、代々噂された課題ではないか。
苦い思い出がよみがえってくる。
古代竜。
永遠を生きるのではないかとさえ言われている。
竜族は、謎の多い種族のひとつだ。
人類とも魔族とも自分からは交わらない孤高の存在だ。その中でも、古代竜は他のドラゴンと同じ竜族なのかもわかっていない存在だ。
時折人類や魔族に使役される、知能の高いドラゴンは存在する。人語を語るドラゴンも存在する。長い年月をかけ、捕まえた翼竜を馬のように扱う竜騎兵も存在する。
しかし、それらのドラゴンですら畏怖するのが古代竜だ。
凶暴かつ、ありとあらゆる魔法も剣技も、その鱗に傷一つ付けられないとさえ言われる。実際問題、古代竜に挑んで、帰ってきた者がいない。
ほとんど伝承や御伽話の世界の住人だ。
その古代竜が、この世界には五頭いると言われている。
千二百年前の古い詩『五色の竜』に出てくる竜には名前がついている。
偉大なる赤炎竜。豪竜セキド。
深淵なる黒冥竜。獄竜ジョスカ。
強欲なる緑翠竜。貪竜プーティニス。
清冽なる蒼光竜。烈竜イ・ドゥ
高貴なる白銀竜。賢竜ウラドキア。
いずれの古代竜も、それぞれ結界と呼ばれる聖域の中に棲んでおり、簡単には近づけない。そして千二百年以上、これを討伐できたものもいなければ、いなくなったという話もない。もはや生ける神の領域なのだ。
何故、それを選ぶ?
死ぬ気か? 死にたいのか?
いや、死ぬなら一人で死ね。
まさか最初からそれを選ぶつもりで、私を選んだのか?
私の蘇生術は禁忌の呪文だと知らないのか?
……いや、考えてもみろ。授業を聞いているような奴なら、もう少し成績もいいだろ? 劣等生のことだ。カジュアルなノリで、死んでもいい課題を選択したに違いない。あの小娘。私が、ほいほいと生徒を助けるような甘い教師に見えたとしたら、とんだ誤解だぞ。私は助ける気は一切ない。
私はお前を蘇生するつもりはないぞっ!
リコランデの、学校の思い出に程度に助け舟を出したつもりが、とんだ厄介ごとに巻き込まれる羽目になった。
リコランデに諦めさせるのが良い。放課後にリコランデを呼び出し……。
いや、まて。
…………教師として、それはどうなのだ?
これが一介の冒険者だとしたら、私は仲間を止めただろう。
無謀な夢を見て、自分の命を粗末にするなと。あの時と同じように。
だが、相手は生徒だ。まだ若い。
夢を追うのは当然だ。
だが誰かに諦めさせられた夢を引きずって、一生を終えていいものだろうか。
人生は選択の連続だ。
あの時、こうすればよかったとリコランデが思い出す時、私はリコランデの味方として思い出されるか。それとも障壁として思い出されるのか。
思い出は、いつも選ばなかった選択肢を夢想させる。
私はどうか。
あの時、仲間を止めなかったものとして、残りの人生を彷徨っているではないか。
……とは言えだ。
よりにもよって、古代竜だと?
なんの傾向と対策もない。前人未到の地の、万物無敵の相手だ。
過去のやり方で通用する相手かもわからない。
いや、いやいやいや。いやまて。
ははははは。私としたことが。何を本気にしているのだ!
廊下で急に笑顔になった私を気味悪そうに、他の生徒が避けていく。
どうやら『魔法使い脳』の悪いところが出てしまったようだ。
我々魔法使いは、目標を立てたら、それに向かって、やり方を考えてしまう。どうすれば、目標を攻略できるのか、算段がつくまで動いてはいけない。と魔法使いは考える。
魔法の力を過信しすぎないからだ。
魔力をどう節約し、相手の最も弱い部分を、どれくらい効果的に叩くかを考える。その為、自縄自縛になることがある。
そうじゃない。
今回はそうじゃないんだ。
リコランデの思惑はどこにあるのか。
まずは、それを知ることが大切だ。
それにリコランデは前に「やれるところまでやる」と言っていた。最初から達成するつもりはないのかもしれない。達成するつもりがないのであれば、達成できない課題をわざと選んだという可能性もある。
◇
放課後に、そのリコランデは職員室に私を訪ねてきた。
その瞬間、急に職員室が静かになる。
どの教師も、リコランデの思惑が気になって仕方がないのだろう。
いや、私がどうやって諦めさせるのかを聞こうとしているに違いない。
ふと、ゴッフル先生と目があった。厳しい表情だ。
諦めさせろというプレッシャーをひしひしと感じる。
しかし、その後ろに立つグロッシ校長のまなざしは、母なるものだった。この出来の悪い子をよろしくお願いしますと。
こうなったら、もう私の査定がどうなるかを考えた方が良いのか?
教師として、どちらが正解か。
それを選び、私の今後の人生をどうするか考えた方が良い。
「先生。勝手に選んでごめんね。でも、これだけは、どうしても相談できなくて……」
リコランデの眉毛が八の字になっている。
見上げるその瞳は、私に怒られると思っているのか、少し潤んでいる。
……そうだったな。この子は、全ての教師に叱られているんだった。
私はその顔に思わず笑ってしまった。いや、人によっては微笑んでいる程度にしか見えなかっただろう。私の笑顔の最大限が、この微笑みだ。
「随分と、面白いものを選んだな」
頭を撫でてやった。
臆病な魔法使い脳とはお別れだ。
私は、この子の限界を伸ばしてあげる教師になろう。
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