第31話 マイコバクテリムウ・ツベルクローシス

 俺達は街の北西部に足を向けると、先日オルタンシアが訓練していた場所にたどり着いた。


「この裏が私の家になります」


 レンガ造りの家だが、両隣にある一般市民の家と変わらず、お世辞にも広いとは言えない。

 元貴族なら屋敷の一つや二つ持っていただろう。それが今はこの小さな古ぼけた家でひっそりと暮らしているのか。


「どうぞ。奥の部屋に母がいます。暗いから気をつけて下さい」


 オルタンシアに案内された部屋は言葉通り明かりがなく、あるのはカーテンの隙間から入る太陽の光だけだった。


「オルタンシア?」

「お母様、ただいま戻りました」

「今日の神武祭はどうだった? 怪我はしてな⋯⋯ゴホッ! ゴホッ!」

「大丈夫ですか!」


 オルタンシアは急いで母親に駆け寄り、背中を擦る。だが咳は止まることはなく口から痰を⋯⋯いや血痰を吐き出していた。


「だ、大丈夫よ⋯⋯それよりこちらの子は?」

「初めましてユウトと申します」

「ダメよ! オルタンシア早くこの子を部屋の外に出⋯⋯ゴホッ! ゴホッ」

「俺は平気です。もしお話できるようなら、その病気の症状についてお聞かせ願えませんか?」

「私は大丈夫だけど⋯⋯」


 母親はチラリとオルタンシアに視線を向ける。するとオルタンシアは小さく頷いた。


「けど病気が移ったら大変だから少しだけね」

「私みたいに?」

「ええ⋯⋯ゴホッ! お隣のおじいさんが咳をしていて私に⋯⋯」

「そのおじいさんは?」

「もう亡くなったわ。私もおじいさんと同じ症状だからいずれ⋯⋯」


 それはオルタンシアが悲観的になるのもわかる出来事だな。


「どのような症状があるんですか?」

「ゴホッ! ゴホッ! 初めは咳が出て倦怠感が、その後ずっと微熱が続いています」

「そして痰に血が混じったというところですか」

「ゴホッ! そ、そうです」


 なるほどな。これは感染症の類いだ。

 おそらくだが幕末に生きた新撰組一番隊隊長、天才剣士沖田総司の死因と言われている結核だ。

 胸部レントゲン、ツベルクリン反応、菌の培養、PCR検査でもあれば診断できるが、もちろんそんなことはできない。

 そしてリファンピシンやストレプトマイシンなどの抗生物質もない。この世界の今の技術では、気休め程度の薬しかないはすだ。後は本人の体力と免疫力が頼みだが。

 俺が見た感じだと母親は痩せ細っているし、ベッドから起きることも出来なさそうだ。とてもじゃないが自分の力だけで治るとは思えない。

 このままだとオルタンシアの母親が待っているのは、確実な死だ。


「ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」

「お母さん! ユウトさん今日はもう」


 母親の体調を考えるとこれ以上は厳しそうだな。


「わかりました。無理をさせて申し訳ありませんでした」


 俺は頭を下げて部屋を退出する。

 そして数分程部屋の外で待っていると、ドアが開いた。


「お待たせしてすみません」

「勝手に俺が待っていただけだ」

「それで? 何か発見でもありましたか?」

「いや、特になにもなかったな」

「そうですか⋯⋯何となくあなたなら何かわかるかと思っていたのですが」


 12歳の子供に期待するなど、オルタンシアはかなり追い詰められているようだ。


「一つだけアドバイスを」

「何でしょうか」

「病気を治すために日光には当たっていた方がいい。それと食事はなるべく魚を多く取ってくれ」


 共にビタミンDを増やす効果があり、免疫力を高めることができるのだ。

 もちろんこれで結核が治る訳ではないが、


「そのようなことで母の病気が治るのですか?」

「信じる信じないは任せる。それと明日はどうするつもりなんだ」

「⋯⋯悔しいですが、薬のために従うしかありません」

「そうか⋯⋯勝ちを譲るのはいいが、明日の神武祭の決勝戦は必ず来てくれ。面白いものが見れるぞ」

「面白いもの? それは一体⋯⋯」

「明日のお楽しみだ」


 そして俺は呆然としているオルタンシアに背を向けて、家を出るのであった。

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