無能の勝利

三鹿ショート

無能の勝利

 呼び鈴に応じて外に出ると、そこには彼女が立っていた。

 彼女は気まずそうな表情を浮かべていたが、私は心配になった。

「此処には来ない方が良いと言っただろう」

 彼女は何も答えなかった。

 何時までも外に立たせているわけにはいかなかったため、私は彼女を家の中に入れた。

 扉を閉め、鍵をかけたところで振り返ると、私は目を疑った。

 いつの間にか、彼女が衣服を脱いでいたからだ。

 露わになった白い肌から、目をそらすことができなかった。

 だが、私は即座に我に返ると、扉に目を向けながら、

「何のつもりだ。我々の関係は、既に終わっているだろう」

 そう告げた私に、彼女は身体を密着させた。

 そして、彼女は申し訳なさそうな声色で、

「もう一度、私と身体を重ねてください」

 思わず、彼女に振り返る。

 下着姿の彼女に迫られるという状況だが、彼女の表情を考えると、色気のある雰囲気ではない。

 私は、彼女に事情を問うた。

 何も伝えないつもりだったらしく、しばらくは首を横に振っていたが、やがて根負けしたのか、私に子細を語り始めた。


***


 彼女はもともと私の恋人だったが、現在は私の兄と結婚している。

 私の兄は、有名な企業の重役であり、容姿端麗で、文武両道に秀でているが、その性格は褒められたものではない。

 兄は、自身の能力や立場を利用し、他者が敗北する姿を見ることに喜びを見出しているのである。

 特に、他者の恋人を奪うことが好みだった。

 性質が悪いのは、恋人を奪われた人間の悲しむ姿を見ると、即座に女性を捨てるのだ。

 それを何度も繰り返していれば、当然ながら敵も多い。

 しかし、大企業の重役であることが影響し、常に警護役が目を光らせているため、報復を目的に近付くことも出来ない。

 加えて、兄自身も身体能力が高いために、復讐の機会を得たとしても、それが叶うかどうかは不明である。

 彼女を私から奪った理由だが、それは兄が特に私のことを見下しているということが影響している。

 優秀な兄どころか、私は常人より能力が劣っているため、兄には幼少の時分から毎日のように罵倒されていた。

 だが、己の能力を理解しているゆえに、その罵倒は私に大した傷を与えなかった。

 兄にとって、私が平然としている姿が面白くなかったのだろう。

 より深い傷を負わせるためにはどうすれば良いのかと考えた結果、彼女を奪うことに決めたらしい。

 元々、兄もまた彼女に対して好意を抱いていたが、自分よりも劣っている弟が選ばれたことも、略奪の理由の一つだったに違いない。

 その方法は、実に卑劣だった。

 金銭に困っている彼女の両親に金を貸し、返すことができないほどの利子を付け、それを帳消しにするためには娘を自分の結婚相手にしなければならないという条件を与えたのである。

 両親のために、彼女は己を犠牲にした。

 彼女は私に泣きながら謝罪をしてきたが、兄に目をつけられていた時点で、どのような方法であろうとも、いずれは兄の所有物と化すことは、想像することができていた。

 それでも、悲しくないと言えば、嘘になる。

 彼女との関係が終わりを迎えてどれほどの時間が経過しようとも、新たな恋人を得ようとは考えなかったほどである。

 そのような彼女が、何故私のところへとやってきたのか。

 それは、優秀な兄に存在していた、見えることのなかった欠陥が理由である。

「彼には、子を作る能力が無かったのです」

 衣服を着た彼女は、そう切り出した。

 幾ら身体を重ねても子どもが出来ないことに疑問を持った彼女が密かに調べたところ、私の兄は、ある一点において無能だったのである。

 しかし、自身が優秀であることを信じて疑わない私の兄に伝えたところで、原因が自分に存在するとは認めないだろう。

 それどころか、彼女に原因が存在するのだと糾弾する可能性もある。

 いずれにせよ、良くない未来が待っていることに、変わりはなかった。

 それを避けるために、彼女は私の子種を求めてきたというわけだ。

 確かに、弟である私ならば、兄の代替品としては丁度の存在だろう。

 それに加えて、彼女は未だに私のことを忘れることができていないらしく、誰にも明かすことはできないが、私との愛の結晶をその身に宿すことができるのだ。

 これは、誰もが幸福と化すような選択である。

 事情を知った私は、改めて彼女に問うた。

「本当に、父親が私で構わないのかい。誕生した子どもに私の無能が受け継がれた場合は、困ることになるに違いない」

 その言葉に、彼女は首肯を返した。

「あなたの子どもならば、私は心の底から愛することができます。もしもあなたの兄の子どもだったとすれば、どこかにその面影を感じてしまい、愛することに抵抗感が生まれてしまう場合もありますから」

 彼女からそう告げられた瞬間、私は彼女を抱きしめ、その唇を奪った。

 舌を絡ませながら、衣服の下に手を滑り込ませていく。

 たとえ私の兄と何度身体を重ねていようとも、それを忘れさせるほどに、彼女を愛そうと決めた。


***


 幸いなことに、父親である私とは異なり、息子は無能ではないらしい。

 兄のように常に首位を保つほどではないが、それなりの能力を持っているようだ。

 そのためか、兄が疑いを持つことはなかった。

 私は甥に会うという口実で、避けていた兄の元を訪れるようになった。

 息子の幸福そうな笑みを見る度に、私もまた、嬉しくなる。

 明らかにすることはできないが、兄を敗北させることができたからだ。

 そのようなことを考えているということは、自身が無能であるということを自覚しながらも気にしていない風を装っていたが、実のところは、劣等感を抱いていたのかもしれない。

 だが、彼女がそれを打ち消してくれた。

 彼女は、私と兄の両方を救ってくれたのである。

 やはり、彼女は素晴らしい女性だった。

 不幸な事故で兄がこの世を去り、彼女と再び一緒になることが出来る未来を想像しながら、私は今日も生きることにした。

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無能の勝利 三鹿ショート @mijikashort

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