46 現身
もう杖は必要ないとは思うが、念のために三段式の折り畳みステッキを伸ばして、杖を突きながら鈴音と散歩をする。
散歩と言ってもアパートに戻るだけだが、こうして杖を突きながら犬の散歩をしていると、まるで隠居老人のようだ。
「エイ兄、先に部屋に入ってるね」
「おう、そうだな」
防犯カメラやドライブレコーダーなどの録画機器を含む、他人の視線がないかを確認してから、鈴音がリードごと姿を消した。
念のため、騒ぎが起こってないか周囲の音に耳をそばだてつつ、階段を上って自分の部屋に入った。
なんせ、ここはペット禁止だ。なのに、犬を連れ込んでいることが大家にバレたら、少々面倒なことになる。
「エイ兄、おかえり」
「おう、ただいま。……って、何だその格好は?」
えへへ~っと楽しそうに笑いながら、犬耳をつけた少女姿で鈴音が出迎えに現れた。ちゃんと尻尾もパタパタさせている。
「どう? 元気出た?」
元気が出たかと言われたら微妙だが、楽しそうにしている姿を見ていると、気分が明るくなる気がする。
うんうんとうなずきつつ、よしよしと頭を撫でてやる。
少しでも退屈しのぎになればと鈴音を連れてきたものの、これから俺がするのは、ネボコのイラストを描くことだった。
なので、結局は退屈させてしまうことになるかも知れない。
こんな時に、誰か……美晴でも来てくれたら嬉しいけど、この時間はまだ学校だ。
「……っと、その前に、メシだな。鈴音、何か食いたいもんでもあるか?」
「ん~、たこやき?」
悩んだ末に、困った注文を出してきた。
この部屋には、たこ焼き器なんてものはない。
「たしかホットプレートのアタッチメントで…………いやいやいや、そもそも材料がないよな……」
小麦粉とかつおだし、卵……あとは具材だが、ネギと天かす、それにキャベツあたりだろうか。紅ショウガに青のり、かつお節、ソース……
必要な材料を思い浮かべていくが、足りないものが多すぎる。それに、そもそも肝心のタコがない。
代わりにウインナーやチーズを入れてもいいが、それでもやはり、もう一度買い物に行かないと作れそうにない。
とりあえず、荷物を片付けることにする。
買い物なら、頼めば美晴がやってくれるとはいえ、さすがに頼りっきりなのも悪い。だから、リハビリついでに行ってみたのだが、これなら何とかなりそうだ。
とはいえ、今から再び買い物に行くのは、さすがに勘弁してもらいたい。
「あっ、そうだ冷凍……」
単身者には大きめの、冷凍室が下についているツードアの冷蔵庫。
安い時にまとめ買いができるようにと思って購入したものだが、結局は気分転換を兼ねて、毎日のように買い物に出ているので、冷凍室はともかく冷蔵のほうはスカスカに空いている。
その冷凍庫の奥底から、六十個入りの冷凍たこ焼きを掘り出した。
たこ焼きソースがないので放置してあったのだが、浸して食べる出し汁を作って明石焼き風にしてみる。
「なんだか美味そうだのう」
ネボコが興味津々だったので、途中で身体を貸してやった。
どうやら味覚もあるようで「うまい、うまい」と絶賛しつつ食べ続け、残しておこうと思っていた半分も温めて、鈴音と二人で六十個全部を平らげてしまった。
ネボコが食べたといっても、俺の身体だ。結局は俺の腹が満たされることになる。
「「ごちそうさま」」
予想以上の満腹感に苦笑しつつ、片付けようと立ち上がる。
そこでふと気付く。隣の部屋から持ち込んだ敷物とテーブルを使っていたことに。
俺の手伝いだと言って鈴音が用意してくれたんだが、なんの疑問も抱かなかった。
「あっ、片付けはボクがするから、エイ兄は休んでていいよ」
鈴音が洗い物をしているところなんて見た事がない。だが……
たぶんまだ、俺のことで罪悪感があるのだろう。俺の世話をすることで、その気持ちが少しでも和らぐのならと任せてみる。
その間に俺は、パソコンの電源を入れてモニターに向かった。
デスクトップ画面の女神アリスティアに挨拶をして、ツールを立ち上げる。
ネボコの現身をデザインしているのだが、すでにあらかた完成している。
設定上、鈴音の弟ってことになるが、同じぐらいの大きさでいいだろう。
そんなことを考えながら作業を進めていると、ネボコが唐突に注文を付けてきた。
「のう、栄太よ。鈴音の弟ってことなら、ワシも犬の姿になれたほうがよくないか?」
「……えっ?」
確かに、鈴音は普段、犬の姿で過ごしてる。
「ほれ、狛犬ならば対をなすもの。であれば、われらも一対となって神社を守護するというのはどうだ?」
「……まさか、犬になりたいのか?」
「なあに、子供よりも犬のほうが、自由が利くようだからのう」
「そう自由ってほどでもないぞ。飼い主が一緒じゃなきゃ、外を出歩けないからな」
とは言ったものの、悪い考えではない。
犬は飼い主と一緒でなければ保健所に連れていかれるが、子供は保護者が一緒でも平日の朝や昼間に出歩けば、補導員や警官に呼び止められる。
学校はどうしたのかと問われたら、相手が納得するような説明をするのは困難だ。
それを考えたら、犬の姿でいてもらえたほうがありがたい。
「よし分かった。鈴音と同じようにしよう。けど、犬種はどうする?」
「ふむ、別に変える必要もあるまい。とはいえ、ひと目で区別がつく方が良いな」
「そうだな。だったら……」
新しいキャンバスを開いて、猛然と描き始める。
資料なら前に調べたものがある。
シェットランド・シープドッグの子犬で、ホワイト、ブラック、
鈴音の時は立体だったが、イラストなら俺の得意とするところだ。愛らしさを残したまま、ほんの少し筋肉量を増やして精悍さを加えていく。
カラーリングも
これで見分けがつくはずだ。
そうなると人型のほうにも、少し変更が必要だ……
………。
「よし、これでどうだ?」
「うん、かっこいい!」
いつの間にか近くで作業を見守っていた鈴音が返事をした。
それに、どうやらネボコも気に入ってくれたようだ。
「ふむ、では始めるとするか。とはいえ、初めてのことだから緊張するのう……」
そう言いつつも、全く緊張する様子はない。むしろ、楽しそうだ。
俺は、落ち着いて椅子から立ち上がり、鈴音に手招きをして、二人並んでベッドの端に腰を下ろす。
ほどなくして、ディスプレイからキラキラと光の粒子が出てきて、部屋の中央に集まり始めた。そして……
「おお、なんとも見事なものだな」
犬の姿で現れたネボコは、そんなことを言いながら、ひと通りの動きを確認してから人型に姿を変えた。
「全く違和感なく馴染んでおるな。元からこの姿であったかのようだ」
そして最後に、犬耳と犬尻尾を生やして、鈴音の前に立つ。
幽世での姿とはほとんど変わっていない。元々の黒髪に金メッシュが入ったぐらいだろうか。あと、金色だった瞳がブラウンになっている。
背格好は同じぐらいだが、鈴音と違って落ち着いた雰囲気で、悠然と構えていて隙がない。見た目は子供だが、武術の達人って設定が生きているようだ。
「じゃあ、これを受け取ってくれ」
俺がメモ書きした紙片だ。そこには、名前が書いてある。
「鈴音の弟って設定だからな。名前も似た感じにしたほうがいいだろ?」
「うむ、そうだな」
「だから、真の名は
「ありがたく頂戴する。して苗字は?」
「それなんだよな。郡上ってのは違う気がするし、神社暮らすんだったら静熊なんだけど……」
「ふむ、犬なのに熊とは、これ如何に?」
「まっ、そういうことだ。いっそ、神軒町だから、神軒って名乗るか?」
「うむ、それで構わぬよ」
メモを受け取って、
その後、ミズトヨとミズタチにも現身を与え、無事に三人とも身体が光って活動が認められた。
「これで、ひと通り終わったな」
双子の水神が姿を消し、目の前には犬耳姿の姉弟が楽しそうにじゃれ合っている。
その光景を見て癒されていると……
「え~、だったらボクも……」
鈴音がなんだか不満そうな声を上げた。
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