第3話
2.
入学式を迎えてから一週間が経過した日、担任になった男性の先生は朝のHRで一つの問題を出した。市場もっとも高く売られた絵は何だと思うかというのがそれだ。ルネマグリットを中心とするシュールレアリズム絵画が好きという風に自己紹介で語っていた隣の席の米村隆平が、意外なことに『No.5 1948』だと当てていた。163億8000万円で落札されたらしい。
授業でついていけないところはないけれど、漢字が書けないことが密かにネックになり始めていた私は下校時に、駅から家に帰るまでの間にある個人経営の書店に寄ることが習慣になっていた。
漢字ドリルの小学校高学年向けのものか、日本漢字検定協会の6級か5級くらいから始めようと思っていくつか探したのがきっかけで知ったその書店は、叔父一家も時折買い物をするらしい。
本を読むのは好きだ。青年海外協力隊やJICA職員の家族が置いていった本がたくさんJICAの事務所に残されていたけれど、どれも年代は古いもので国民的人気漫画と言われる類のものが多かった。それに、ほとんどのケースで全巻揃っている事はなかったけれど、それが逆に漫画への興味を掻き立てもした。
叔父からは、『季志子ちゃんの部屋だと思って好きに本を買っていい』と言われたけれど、居候をしている身で物理本をそんなにたくさん買うわけにはいかないという事は、小学生であろうとわかることだ。
個人書店は、三宮や西宮にある書店とは違って月刊雑誌以外は割と品揃えが偏っている。私がそれでも通うのは、その偏り具合がある程度、私の趣味と合っているようにも感じられるからだ。特に好きなのは大判の画集を色々と取り揃えているところかもしれない。母の影響か、あるいは父の影響か、それとも育った環境に影響を受けたのか、私はゲルハルト・リヒターの絵が好きだった。
瀬戸内海の豊島にも、リヒターの作品が展示されているという。神戸港からジャンボフェリーで行くことのできる高松市近郊にある豊島とは別の愛媛県のその島は、最初、夏休みの期間に気軽に訪れようと思っていた私を打ちのめしたが、小豆島を経由すれば行けることがわかり夏休みの計画に密かに追加されている。
リヒターの作品で印象に残っているのは、【ビルケナウ】という作品を図録で見た時のことだ。私が抱いた第一印象はモネの【印象・日の出】と同じような印象派の何かの絵画なのだと思った。けれど、図録に書いてある説明を読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。
リヒターの作品は、見るとはどういうことなのかを問うというのが原理なのだと図録には書いてあった。私は何の先入観もなく、知識もなくそれを見て、ただただどこか綺麗だと思ったのだ。
けれど、ビルケナウという言葉が持つ意味と、その作品で描かれているものを知った時、後味の悪さを覚えた。
夕食で大きなロブスターのようなものを格闘しながら料理に仕立て上げた母にその話をした時、母は少し考えてから今度の父の長期で取れる休暇では、ルワンダに行きましょうかとあっけらかんとした表情で言った。
私の感想と、あるいは感傷と母のどこか場違いなようにも当時は感じられた表情に、当時の私は怒りを通り越して笑ってしまったけれど、今から思い返せばあの母の言葉には意味があったのだと思う。ほとんどアフリカに住んでいた家に平日は遅くまで帰ってこなかった父とは異なり、母は日本人学校との送り迎えも車でしてくれていたので、通常の母子よりも密接な関係性ではあったものの、母はどこか放任というか、家庭でも学校でも小さくても役割を果たしていれば、季志子のやりたくないことはしなくていいという風なことを繰り返しいう人だった。
アフリカの狩猟民族か農耕民族かは忘れてしまったけれど、母の現地でできたルワンダ出身の知人の一人が話をしてくれたことがある。
欧米系の育児とは異なり、アフリカの子育てでは集団の中での役割を大事にするのだと。子供がやりたくないことはやらせないけれど、たとえばみんなで水を汲みにいく際には、子供にも小さなバケツを持たせるようなそんな育て方をするのだと。
その次の休暇を皮切りに、ルワンダには何度か父と母に連れて行ってもらった。初めて訪れた際には、かつてとても悲しいことがあったのだと父は語り、一冊の本を買ってくれた。
『LEFT TO TELL』というその本は悲しい惨劇を生き残った女性の本になる。
それを読んでもなお、私が旅をした当時のルワンダは綺麗で治安もいい印象しかない。母も千の丘の国とも呼ばれ、段々畑は古い日本の田園風景を思い起こさせるルワンダの地が好きだと言っていた。
父はルワンダの人間は最適で均衡した状態よりも刺激を求めてしまうから、季志子も適当にやることを意識してやるといいとことあるごとに言っていたが。
そんなことを考えていたからだろうか、なんとなく登校時に見かけるおばあさんの真似をしてお地蔵様にふと手を合わせてみるとアフリカ内陸部の赤茶けた土とは違う、アスファルトで舗装された膝にくる高低差のある帰り道の途中にいた筈なのに、私は気付けば、草原の中にいた。
そして、何故だか大きな岩でできた巨人が湖に釣り糸を垂らして釣りらしきことをしている。
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