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 帰りの電車内。

 今日もこれと言って面白みのない学校という時間を過ごし、新快速から普通電車に乗り換えて地元の駅に戻るところだ。

 入学当初はあんなにギクシャクしていた教室も、今ではあちらこちらでグループができており、上手い奴はそのグループを渡り歩いている。

 それが普通だと思うけど、俺は馴染めているのだろうか。ぼっちと言うわけではないけど、やはり不死殺しという特殊な家系に生まれてしまったことで、他生徒との壁を感じているのかもしれない。

 しかし、不死殺しの存在は秘匿であるので、クラスメイトはおろか先生も近所のおばちゃんですら禍津家が不死殺しを生業としていることは知らない。

 つまりは勝手に俺が壁を作っているだけだ。父さんに代理の不死殺しを任されて気負っているせいかもしれない。朝、母さんが言ってくれたように深くは考えないようにしたいが。

 もうすぐ地元の駅だ。いじっていたスマホをポケットにしまい、降車する準備をする。

 こんな憂鬱な気分も俺が恋しているあの彼女を一目見れば吹き飛ぶのだろうけど、帰りに一緒の電車に乗ったことはない。おそらく向こうは大学生なので、時間が合わないのは仕方がない。朝の通学時間だけでも同乗できることに感謝しよう。

 電車を降りて階段を登る。その先にすぐ改札があるので定期券をタッチして抜けたところで――、


「禍津様! お勤めご苦労様であります!」


 沈んでいた気分が一瞬で吹き飛ばされてしまうほどの快活な声で挨拶された。

 周りの視線が一瞬で集まるのを感じ、俺は慌ててその声の主を駅構内の端に連れて行く。


「天羽(あもう)……、挨拶してくれるのは嬉しいけど、禍津様はせめて二人の時だけにしてくれって言ってただろ。ただでさえ大層な苗字なのに……。それに、『お勤めご苦労様』は違う意味に取られるかもしれないから使わないようにしてくれ」

「そうでありますか? メグちゃんとしては、新生活に励んでらっしゃる禍津様を労ったつもりでありましたが」


 可愛らしく小首を傾げたこの少女の名は、天羽廻(あもうめぐる)。

 ショートカットが似合う見た目通りの体育会系少女だ。今はセーラー服を着ているが、そのはつらつとした性格がオーラとなって放たれている。この子は俺が通っていた中学校の一学年下の後輩に当たるのだが……。


「それにしても久しぶりだな。久しぶりの再会がこんな形になるとは思っていなかったよ」

「申し訳ありません。私も――、メグちゃんも部活の主将に選ばれてしまい、迂闊にサボれなくなってしまっており……」

「迂闊でも丁寧でも部活をサボるんじゃない。剣道の才能があるんだから、それを伸ばすために頑張れ」

「――! ありがたきお言葉! もちろん日々精進して参る所存であります!」

「う、うん。軽く言った言葉で感激されるのは何か悪いけど良かったよ」


 はしゃいだ彼女はそのまま慎ましやかな胸を張って言う。


「しかし、今日はサボったわけではありません。水曜日は部活が休みになったのでありますよ。顧問の先生と話し合い、見事勝ち取った次第であります!」

「おー、えらいな。アスリートは休養が大事だからな。主将らしく部の皆のことを考えているのか」


 と、感心したのも束の間。小柄な体で大げさに否定される。


「いえいえ! これはメグちゃんが禍津様と鍛錬に励むために勝ち取った時間であります。なにせ、メグちゃんは禍津様の弟子でありますから!」

「……まだその話が続いていたのか。俺は天羽を弟子にするほどの者じゃないよ」

「いえ、〝メグちゃん〟は! 禍津様の弟子でありたいのであります!」


 俺が天羽を苗字で呼んだことに反応して『メグちゃん』と強調する彼女。

 本人は、天羽という苗字が読みにくいということで好きではないらしい。響きも怪獣のようだと。廻という名前は気に入っているらしいが、畏まったような名前とも思っているので、周囲の人々に『メグちゃん』と呼ぶように強要している。俺はそれに負けずに天羽と苗字で呼んでいるというわけだ。


「禍津様も新生活が始まって二ヶ月が過ぎた頃。そろそろまた共に鍛錬にお付き合いしたいと思い、こうして待ち構えておりました!」

「まあ、トレーニングに付き合ってくれるのは良いんだけど、わざわざこんな所で待たなくてもスマホで連絡してくれたら良いのに」

「いえ! 二ヶ月とは言え、顔すら見せていなかったのでそのような無礼なことはできません。弟子として一時間程度待ち構えるなぞ苦にもなりませぬ!」


 一時間も待っていたのか……。

 地元の中学に通う天羽と電車で通う俺とじゃそれぐらいのタイムラグが生じてしまうのは仕方ないが、慕ってくれる後輩とは言え女の子を待たせるのは申し訳ない気持ちになる。

 だが、そんなことを口にすると天羽がしょげてしまうので、俺はその言葉を飲み込んだ。


「トレーニングと言っても、前みたいにランニングに付き合ってもらう程度だぞ? その、あれは、その……、今も変わらず俺はそんな大層な者じゃないから……」

「承知しております。一子相伝の技をメグちゃんが一朝一夕で手に入れることができるとは思っておりません。しかし! いつか必ず会得したいと考えております!」

「うん、わかってないな」


 俺が言葉を濁し、天羽が一子相伝の技と言ったのは不死殺しの力のことだ。一般人にも不死殺しの存在は知られているが、どこの誰がその不死殺しかは公にされていない。しかし、彼女は禍津家の秘匿をどこからか耳にし、俺の弟子になりたいと申し込んで来たのだ。

『まさか憧れの職業である不死殺しがこんな身近にいらっしゃったとは思いもしませんでした! このメグちゃんを禍津様の弟子にしてください!』

 と言うのが去年の夏休み明けに言われた言葉である。

 もちろん、彼女が何かしらの確信を持って俺が不死殺しと突き止めて弟子を志願しているのだろうけど、俺は自分が不死殺しであることを認めていない。ここまで確信されていると俺がただの往生際の悪い奴のようだが、やはり禍津家の秘匿として簡単に認めるわけにはいかなかった。

 それでも慕ってくれる可愛い後輩を無下にはできない。なので、俺が日課にしているランニングについて来ることは許していた。

 それから、駅の階段を降りて外に出る。そこからしばらく会っていなかった間の互いの近況を話しながら帰り道を共にした。とは言え、駅から急な坂を登った所で別れることになるので、そんなに話す時間があったわけではない。


「それでは、また夜に。いつものコンビニ前で待っております!」

「あんまり早く来なくて良いからな。俺は家から近いし約束の時間の五分前に出るから」

「承知しました! ならば、十分ほど前に到着するよう調整しておきます!」

「うん、わかってないな」


 車通りが多いコンビニ前とは言え、女の子を夜中に十分も待たすわけにはいかない。俺が十五分早く家を出ることにしよう。


 ♢


 帰宅し、玄関の鍵を開けて中に入る。


「ただいまー」


 声は返ってこない。玄関の靴を見ても母さんのものがないので、朝言っていた通り買い物に出かけているようだ。

 しかし、その代わりに小さな運動靴――それも高価な――が置いてあった。

 今日は朝の予感が的中し、次から次へと普通ではない人と出会う日らしい。天羽が一番まともだと言うのが可笑しな話である。

 自室の扉を開けると、案の定その普通ではない人――、見た目はただの幼女がテレビを前にゲームをしていた。


「おかえり」

「おかえりじゃねえよ。勝手に人の部屋にあがって人のゲームをしてるんじゃない」

「勝手にじゃない。ちゃんと真宵の許可を取ってから入っているよ」

「ああ、母さんはさっき出かけたところなんだな。すれ違ってしまったか」

「いや? 昼頃だったと思うから四時間ほど前に出て行ったよ」

「お前、人の部屋で四時間もゲームしているのか」


 今もテレビの画面を注視しながらゲームのコントローラーをカチャカチャと操作している幼女の名は、千代(ちよ)。

 俺との出会いはタチバナさんと同様、俺の生まれた病院で赤ん坊の俺を見て「猿のようだ」と笑っていたらしい。

 つまりは、この幼女は不死者だ。それも江戸時代の末期から生きているという。

 不死者は大人になるまでは成長するはずなのだが、千代の場合は十歳に届かないほどの姿で成長が止まっている。珍しい不死者の中でも特に希少な不死者というわけだ。ちなみに、千代という名前は偽名らしい。〝千年〟という意味が込められた名前を、不死者である自分を皮肉ってそう名乗っていると聞いたことがある。


「母さんにも勝手に入らさないように言っておかないとなあ……」

「別に良いじゃない。真宵も言っていたよ。『あの子の部屋にはいかがわしい物はないから出入りは自由よ』って」

「な、なんで母さんがそんなこと知っているんだ……」


 年頃の男子としては由々しき事態である。母親に部屋の中にある物を把握されているだなんて。


「あっ、そろそろ五時ね。次のイベント情報が出ていないかチェックしないと」


 そう言うと千代は最新のスマホを取り出してソシャゲに関する情報を調べ始めた。俺も据え置きゲームをしたりソシャゲをしたりするけど、ここまでガチプレイはしていない。本当に江戸時代の人間か、と目の前の幼女を疑ってしまうことが多々ある。着ている服もお洒落などこかのブランド物だし。


「あっ、新キャラが来る。でもガチャを回す石がないなあ……。聖、三万円渡すからこれでギフトカード買ってきて」

「課金厨の思考が恐すぎるわ」


 スマートにブランド物の財布から抜き取られた一万円札三枚を受け取る。実年齢は百五十歳以上だけど、見た目が幼女なのでコンビニでこれだけの額のギフトカードを買うと店員に怪しまれるのが鬱陶しいと前に言っていた。まあ本人にとっては悩みなんだろうけど、それを歯止めに重課金を止めれば良いのに、とは思う。

 まあ、それを今言ったところで仕方ない。素直にコンビニに行こうと部屋の扉のノブに手を掛けようとしたが、ふと、タダでパシリにされるのも癪になり千代に言う。


「なあ、買ってきてやるけどその前に相談に乗ってくれないか?」

「相談? 別に良いけど何?」


 千代はスマホを置いてまたテレビ画面に向かってゲームを始めていた。本当に聞いてくれる気があるのだろうか。


「あのな、ここだけの話にして欲しいんだけど……、俺、好きな人ができたんだよ」

「ほう、それで」

「でも、学校の知り合いとかじゃなくて、通学する時に一緒の電車に乗る程度なんだよ。どうにか仲良くなる方法を考えているんだけど、何かないか?」


 見た目が幼女とは言え、百年以上生きているわけだし何か画期的なアイディアをくれるかもしれない、と期待したのだが、


「そんなもの、万札を百枚ほど重ねて頬を叩けば良い」

「発想が昭和だなあ! 今は令和だぞ! そんなことしたら通報されるわ!」

「なら、ギフトカードを九万円分渡せ。安上りだしとても喜ばれる」

「誰も彼もがソシャゲをしてると思うな! 彼女は電車の中でも文庫本を読んでいるような女の子なんだよ!」


 それに高校生にとって九万円なんて安上りでもなんでもない。この幼女は課金のやり過ぎか元の性格なのかわからないが、金銭感覚がおかしくなってしまっているのは確かだ。


「でも、あれだね。どうしてその彼女を好きになったの?」

「えっと、まあそれは一目惚れってやつかな。最近はその子と一緒の電車に乗るために学校に行っているようなものだ。いつもおとなしめな服装で大人っぽくてとても美人で魅力的なんだよ。今週着ていた服装がどんなのだったかしっかり覚えているぐらい好きなんだ」

「はあ、それだけ聞くとただのストーカーだけど」

「うっ……!」


 不死者の幼女の一言が俺のハートを打ち砕く。無意識下では思っていたのかもしれないが、実際に〝ストーカー〟と口にされるとぐうの音も出ない。今日だって電車を降りてから彼女をキョロキョロと探したり、わざわざ同じ改札を通ったりしていたぐらいだから。


「まあ、縁があれば話すキッカケぐらい生まれるでしょ。それすらなければ縁のない相手だったということだけ」

「……そうですね。コンビニ行ってきます」

「ガチャ更新は七時だから急がなくても良いからね」


 最後にそれっぽい答えとパシリに対する優しさを見せられて、俺は学校鞄だけ部屋に置いてそのまま部屋を出た。


 ♢


 それから、パシリらしく早足で最寄りのコンビニで買い物を済ませて家に戻る。

 自室では変わらず千代はテレビに向かってアクションゲームをしていた。

 買ってきたギフトカードを彼女の横に置いてやるついでに俺も隣に座る。そこからぼーっと人のプレイを見ていたが、何度も同じところでゲームオーバーになっているので、ついヒントを与えてやると、「ヒントなんていらない! あなたはネット上でどこからともなく現れて好き勝手にリプライを付けていくクズ共と同等なのか!」などと全力でキレられた。そこまで怒らなくても、と思ってしまうが、確かに聞いてもいないのに自分の意見を言って去って行くネット民は面倒なので納得してしまう。

 それからは口を挟まずプレイ動画を見るつもりで眺めていたら母さんが帰って来たらしく、階下で物音がした。

 天羽との約束もあるし、晩御飯までに宿題でも済ませるかと俺は立ち上がって机に向かう。何度も同じところでゲームオーバーになってしまうことに腹を立たせた千代のテーブルを叩く台パンの音を聞きながらプリントに答えを記入していった。


 ♢


 千代を含め三人で晩御飯を済ませ、天羽と約束していたランニングから帰宅する。その頃には千代は帰ったらしく家にはいなかった。帰った、と言ってもどこに帰ったのか俺は知らないけど。

 天羽とは俺の母校である中学校の最近の様子を聞いたり、俺の高校生活について話しながらゆっくりとしたペースで走った。楽しそうに自らの学生生活を話す彼女に対し、俺の口は重かったが、「メグちゃんも早く禍津様の学校に通いたいであります!」と言っていたので、俺がぼっち予備軍になっていることがバレなくてホッとした。でも、わざわざ俺の高校を選ぶ必要もないのに、と思うが、まだ受験まで半年以上ある。そこまで深く考えずに『高校生活に憧れる女子中学生』になってくれて微笑ましいと思っておこう。

 シャワーを浴びて湯船に浸かる。

 今日は高校に入学してから一番慌ただしい日だったかもしれない。それが学校外で出会った人たちのせい、というのが悲しい。タチバナさんや天羽は久しぶりに出会ったけど、千代は比較的よく出会うのでそこまでと言えばそこまでなのだが。

 湯を手ですくって顔を洗う。

 そろそろ自分も本当に覚悟を決めないとな。

『死を望む不死者』を唯一救うことができる不死殺し。その使命からいつまでも逃げているわけにはいかない。もし、次の依頼が来たその時こそは……。

 お風呂から上がりバスタオルで体を拭いてパジャマに着替える。そして、リビングに顔を出すと、家事を終えた母さんがテレビの音をBGMにノートパソコンに向かい合っていた。


「今日もお疲れ様、ひーちゃん。何か飲む?」

「うん、でも自分で牛乳を入れるよ」


 俺より背の高い冷蔵庫を開いて牛乳パックを手に取る。コップに注いで一気に飲み干した。

 そして、そのコップを水に浸けて母さんと向かい合うように椅子に座る。すると、ノートパソコン越しに母さんがにっこりと笑う。それに釣られてしまったのか、ついつい千代にもした相談を母さんに話そうと思った。


「あの、母さんに相談があるんだけど」

「まあ! なになに! もしかして恋の相談? キャー!」


 愛息からの言葉に興奮する主婦。いや、父さんが旅に出てしまったのでパートを始めたとも聞いたな。それがどこで何をしているかは教えてくれないので、母さんの身体能力を含めて考えると何か裏家業に手を出しているのでは、と心配になってしまう。

 まあ、俺の不死殺しも裏家業なのだけれど。


「うん、当たり、かな。実は、通学途中で一緒の電車に乗る大学生ぐらいの子に一目惚れしてしまったんだ」

「えっ!」


 母さんが両手で口を覆い驚いた様子を見せる。どうしたのだろうと思っていると、次は切れ長の目からポロポロと涙が流れ始めた。


「ど、どうしたの母さん⁉」

「う、ううん、何か、感動しちゃって……」


 感動?

 一目惚れしただけなのに?

 その疑問を母さんが答えてくれる。


「実はね、あたしと心次郎さんが出会ったキッカケもね、心次郎さんがあたしに一目惚れしてくれたことなの。だから、親子なんだなあって痛感しちゃってつい……」


 思い掛けない所から両親の馴れ初めを聞いてしまった。

 俺は父さんに似てしまったのか……。でも、母さんは十八歳で結婚したと聞いたことがある。そして、父さんは母さんの十歳年上だ。そんな年離れた女の子に一目惚れするより、三歳ほど上のお姉さんに恋する俺の方が健全と言えよう。まあ、法にさえ触れなければ恋に年齢は関係ない……、いや、俺の推理では、そんな出会ってすぐに結婚したわけではないだろうから、母さんが高校生の時に父さんが一目惚れしていることになる。父さん……。

 しかし、父さんが嫌いというわけじゃない。それでも身長的な問題で心配になってしまう。母さんの身長は百七十二センチ。対する父さんは百六十三センチ。顔の造形は美人な母さんに似ているねとよく言われるので安心していたが――父さんが不細工と言っているわけではない――既に父さんの身長を抜かしてしまっている俺にとって、ここから成長しないかもと思うとナーバスになってしまった、という話だ。

 もちろん人間見た目で価値が決まるわけではないけど、年頃の男子高校生としては思うところがある。神様――、タチバナさん以外の神様、どうか母さん似のまま成長させてください。


「ごめんね、一目惚れした子ができたっていう話よね。心次郎さんの場合は、積極的に声をかけて来てくれたわよ。最初は警戒していたけど、段々とこの人は良い人だなあ、って思っちゃって、気づいたら結婚してひーちゃんが生まれていたわ」

「そっか……。やっぱり積極性が大事だよね……」


 千代の答えは縁に任せろであったが、母さんは実例を挙げて積極性の大切さを説いてくれた――、この際、女子高生を口説く社会人の図のことは忘れよう。

 しかし、縁というのは運もあるが、積極性から生まれるものでもあるはずだ。そう考えると、やはり俺が何とか話すキッカケを作りたいところだけど……。

 それから、特に質問したわけではないけど両親の惚気話を聞かされた。初デートはあそこで、プロポーズはあそこで。初めて作ってあげた手料理に父さんが美味しいと言ってくれてとても嬉しかったなどなど。

 とても楽しそうに話す母さんに水を差すわけにはいかず、俺はひたすら相槌を打っていた。こうやって何かに夢中になっている人を見るのは嫌いじゃないので、純粋に俺も楽しくなっていた。

 ひと通り話終えたのか、母さんがノートパソコンの時計に目を遣ったらしい。


「あら、もうこんな時間。ごめんね、たくさん話しちゃって。ひーちゃんの参考になれば良いけど」

「うん、参考にするよ。ありがとう」


 ほとんど仲良くなった後の話だったので現状必要な情報ではなかったが、いつか参考になる日が来るはず、と今は信じるしかないだろう。


「あら?」


 何かに気づいたように母さんが言葉を漏らす。

 そして、ノートパソコンを操作し、しばらくしてから先ほどまでの楽しそうな表情から一変、真剣で心配した顔で俺に言う。


「また不死殺しの依頼が来たわ……。どうする? 嫌だと思うけど、一応ひーちゃんに訊かないといけないから……」


 その声色はまさしく息子の身を案じる母親のものだ。今朝も断ったばかりだし、俺にそのことをわざわざ訊ねるのも憚れたのだろう。

 俺は少し黙って考え込む。

 いつまでもうじうじと悩んでいるわけにはいかない。何事も積極性が大事だ。それに今まで何度も次の依頼こそ受けると決めていた。実際、それは叶わなかったが、先ほどのお風呂場で俺は改めて決意したのだ。

 代理を託してくれた父さん。それに心配してくれる母さんを安心させてあげたい。


「その依頼、受けるって返事しておいて。俺、頑張ってみるよ」


 そう言うと、先ほどとは比にならないほど母さんの目から涙が滂沱する。


「……うん、わかったわ。返事……、しておくね……」


 ティッシュで目元を拭きながら、母さんはキーボードを打ち返事を書き始めた。

 もう後戻りはできない。俺は依頼を成し遂げるんだ。

 とは言っても、相手が本当の不死者かどうか見分ける仕事もある。

 精神的に病んでしまった一般人が不死者と思い込み依頼してくる場合もあるからだ。機関から発行される不死者であると言う証明書があれば事は早いが、それはそう簡単に発行されるものでもない。

 その辺りの仕事の流れは父さんからしっかりと学んでいる。あとはそれを実践するだけだ。


「あら?」


 また母さんが声を漏らす。今度はどうしたんだろうと言葉を待つ。


「この依頼者さん、ここから近い所に住んでいらっしゃるみたい。なるべく早く会いたいとも仰ってるし、こちらから場所と日時を指定しても良い?」

「そうなんだ。じゃあ、母さんに任せるよ」


 父さんの不死殺しの仕事の事務係をしていたのも母さんだ。その辺りのことは本職に任せた方が良いだろう。それに、早く依頼者に会えた方が一度決めた決心が揺らぐ前に依頼をこなせるかもしれない。


「じゃあ、今週の土曜日にいつも買い物に行くショッピングセンター内にあるコーヒーショップで会う、ということにしておくわね。ひーちゃんとスマホでやり取りできるように登録IDを送っておくから」

「うん、お願い」


 待ち合わせ場所に人が多いショッピングセンターを選ぶのは、不死殺しを襲おうとする輩が依頼者を装って来る可能性があるためだ。そのため、逆に人気のない所だと危険が大きい。


「依頼の受諾と詳細を送っておいたわ。依頼者さんの名前は、鴻伊那(おおとりいな)さん。機関からの証明書はないみたい。不死者のリストにも載っていないから、最近不死者になった方だと思うわ。だからか、かなり余裕がなさそうな文面ね。すぐにひーちゃんのスマホにも連絡先が追加されると思うけど、もちろんこちらからしか連絡しないって言ってあるから大丈夫よ」

「ありがとう。俺、頑張るよ。土曜日までまだ三日あるし心の準備をしておくよ」

「うん、無理なら無理でいつでも言ってね。母さんが鴻さんと会って断って来るから」

「大丈夫だよ、心配しないで」


 本当に過保護だけど、それだけ俺を大事にしてくれているということだ。

 母さんに、おやすみ、と挨拶して自室に向かう。

 扉を開けて電気を点けようと手を伸ばす。すると、テーブルの上に置いてあるスマホの画面が暗闇の中で光っていた。

 電気を点けて確認してみると、先ほどの依頼者がチャットアプリで俺を登録してくれた通知であった。名前も『鴻伊那』と出ているので間違いない。

 ベッドに寝転がる。

 伊那という名前なのだから、おそらく女性だろう。

 いつ正気を失うかわからない不死者。メンタルが不安定な女性は特にそれを気にして、メンタルの不調が不死者の兆しと思い込んでしまうケースが多々ある。

 そう言った意味でも、慎重にこの依頼者とは言葉を交わさなければならない。

 母さんに言ったように土曜日まで三日ある。様々なシミュレーションをし、その時に備えよう。

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