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 そして、三日後となる約束の土曜日。

 駅と連結されているショッピングセンターなので、電車を降りて真っ直ぐ待ち合わせ場所のコーヒーショップがあるエリアへ向かう。

 待ち合わせ時間から五分が過ぎた頃。店の看板が見えた。

 一度、店の前を素通りして店内の様子を確認する。学生や社会人らしき彼氏彼女、家族連れなど様々な人たちで満席になっていた。依頼者である鴻さんが席を取れたか怪しいところである。

 そこで、スマホでチャットアプリを起動させてメッセージを送る。

『遅くなってすみません。今、どちらにいらっしゃいますか?』

 そう送ると、一分もしないうちに返事が来る。

『指定された店内で、窓際の二人席に座っています』

 俺の緊張が最高潮まで高まる。ついに、初仕事が始まろうとしている。

 一度目を閉じて深く息を吐く。

 そして、店内に入って適当にドリップのホットコーヒーを注文した。商品が出てくるまでの間に、それとなく鴻さんが座っているという窓際の席に目を遣る。


「――――」


 唖然とした、とはまさにこのことだろう。人生で初めて味わってしまった感覚。

 その原因は、俺の視線の先にある。

 窓際の二人席で人を待つように座っている女性が、通学途中で一緒の電車になるあの『一目惚れした彼女』であったからだ。いつも電車で見る服装よりお洒落な格好をしている。髪型もなんという名前かはわからないが、編み込んだ髪を上で止めてあって年頃の女の子という感じで似合っている。

 そんな新しい彼女の一面を見れたというのに、俺の頭の中は真っ白になっていた。

 先ほどまで緊張で心臓の鼓動が早くなっていたはずなのに、今はすっかりと止まってしまったかのように血の気が引いている。

 いや、まだ彼女が『死を望む不死者』と決まったわけではない。身内の不死者を殺してあげて欲しいという依頼かもしれないし、不死者と思い込んでいるだけかもしれない。

 店員さんからホットコーヒーが入ったカップを受け取る。ゆっくりと、何かの間違いであって欲しいと願いながら、一歩ずつ鴻さんが待つ席へ向かう。

 そして、


「鴻伊那さんですか?」


 若干声が震えていたかもしれない。

 それを聞いた鴻さんがこちらを向くと、その目は驚いたように見開かれる。


「そう、ですけど」


 初めて聞いた声は美しかった。見た目の美貌に合った声と言えるだろう。しかし、声色としては俺を不審に思っている様子だ。


「依頼を受けて参りました『使いの者』です。お話を聞かせください」


 俺自身が不死殺しとは名乗らない。本当は、不死殺しの依頼を受ける順序としては本当に使いの者を出すのが当たり前なのだが、禍津家にそんな人を雇う余裕はない。母さんに任せても良いけど、俺は父さんがやっていた『母さんを危険に晒さないやり方』で不死殺しの仕事をこなしたかった。


「……どうぞ」


 まだ警戒されているが、どうやら話は通じたらしい。向かい合う形で相席となる。テーブルの上には俺と同じホットコーヒーのカップが。そこに俺の分も置いた。


「禍津と申します。お待たせしてすみませんでした」

「いえ、お気になさらず。……ところで、禍津さんはおいくつですか?」


 もちろん角砂糖の数を聞かれているわけではない。素直に自分の年齢を答える。


「今は十五歳です。高校一年生になります」

「だよね、どう見ても子供だもん」


 先ほどまでの敬語と打って変わって、鴻さんは砕けた口調になった。少し肩の力が抜けたのか、彼女はため息を吐く。


「まあ、依頼のことがどこにも漏れてないなら本物の使いの人なんでしょうね。まさか年下の男の子が来るとは夢にも思っていなかったわ」


 漆黒のスーツに身を包んだ中年男性が来ると思って緊張していた、と鴻さんは素直に吐露する。


「じゃあ、こちらも自己紹介。間違いなく、鴻伊那です。高校三年生の十八歳」

「えっ⁉」

「――えっ⁉」


 俺が軽く驚いた声を出したことにより鴻さんをビックリさせてしまった。周りは喧騒に包まれているので、誰もこちらに視線を向けることはない。


「なんで驚いたの?」

「い、いや、大学生ぐらいかな……、と思っていたので……」


 彼女は小首を傾げる。

 そりゃそうだ。鴻さんからしたら俺のことを見た覚えもないのだろう。こちらが勝手に知っているだけで、勝手に大学生だと思っていただけなのだから。


「確かに年上に見られることが多いけど、高三と大学生なんてそう変わらないでしょ」

「そ、そうですね」


 じゃあ、なんでいつも私服で早朝から電車に乗っているのか、という質問をしたかったが、それを今したところで話がややこしくなるだけだ。


「では、早速ご依頼の件について詳しくお伺いしたいのですが、鴻さんの――」

「ああ、伊那で良いわよ。鴻より呼びやすいでしょ」

「……はい。では、伊那さんの周りに誰か不死者がいらっしゃるのでしょうか?」


 淡い期待を抱きながらそちらの質問から入ってみた。

 しかし、彼女は首を横に振る。


「私が不死者なんです」


 先ほどまで年下の男子と話していた口調ではなく、とても重々しく言葉を続ける。


「だから――、私を殺してください」


 確固たる意志で紡がれたその言葉に偽りがあるとは思えなかった。俺の何度目かの恋の相手が、不死者であると告白したのだ。

 それに対して俺は――、


「お断りします」

「なんでよ!」


 反射的に出てしまった答えに伊那さんは声を荒げてテーブルを叩いた。さすがに目立つ行為をしてしまったので、周りの視線が集まる。伊那さんも、しまった、という表情をして席に座り直した。

 周りに再び喧騒が戻る。


「……どうしてそんなにすぐに断られなきゃいけないの?」


 完全に怒った声。普段が綺麗な声だけあってドスを利かされるとなかなかに恐い。

 だが、彼女の疑問は最もである。ここで「あなたのことが好きなんです」と言えたらどんなに楽か。


「いえ、すみません。失言でした。もう少し詳しく話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」

「詳しくって何を話せば良いの? あと、そんなに畏まらなくて良いわよ。普通の先輩後輩ぐらいの感じで話してくれたら」

「……わかりました」


 見た目の落ち着きのある大人びた雰囲気と違い、なかなかにお強い性格をした方らしい。そういうギャップにますます好きになってしまうが、ここは一旦仕事モードに徹しよう。


「例えば、何故自分が不死者と気づいたか、とかですね。あとは、何故その歳で死にたいかなどを」

「ああ、そういう……。そうね、じゃあ不死者と気づいた理由から話すわ」


 そう言って伊那さんは一度カップに手を伸ばして口をつけた。

 そして、改めて話を始める。


「ゴールデンウィークの前ね。夜に一人で外を歩いていたら知らない男の人に襲われたの。サバイバルナイフって言うのかしら? それでぐさりとお腹を刺されたわ。私が痛みでうずくまっている間にその男の人はいなくなっていたけど、刺されたはずの痛みがなくなって私はすぐに立つことができたの。それで刺された箇所を見たら、服に穴は開いていたけど体に傷ひとつなかった。でも、道路には確かに私の血が広がっていたの。ここまで言えばわかるでしょ?」

「……なるほど」


 不死者が不死者たる所以の治癒能力の高さ。

 普通の擦り傷程度なら普通の一般人と治る速度は変わらないが、命に関わるような傷を負うと瞬時に治癒してしまう。

 首を切り離されたら胴体から新しい頭が生えてくるし、バラバラにされても一番大きい部位から元の人間の形に戻る。それは不死者である死刑囚などを使った大昔の実験結果で明らかになっている。聞いた話では、ドラム缶にコンクリート詰めにされた不死者を海に落としたら、その不死者の家に落ちていた髪の毛から人間まで戻ったらしい。

 それほど不死者は〝不死〟なのである。なので、腹部を刺された程度の傷ならすぐに治っても不思議ではない。


「で、なんでこの歳で死にたいか、よね。それはさっきの話と少し関係があるんだけど……、私は正気を失うことが怖いの。本当はこんな人の多い所に来たくないほどに」


 不死者特有の症状。脳で未知なる物質が分泌され正気を失うと言う。

 それにより、周りの人に危害を加えたりするケースがあり、それが不死者が忌み嫌われている理由のひとつであることは周知の事実である。だけど、


「それはそんなに気にすることではないんじゃないですか? だって、近年の研究結果では不死者が正気を失う確率なんて年『0.3%』程度なんですよ。それに正気を失ったからと言って絶対に周りに危害を加えるわけではないこともわかってますし。それを考えれば、普通の人と同じぐらいの歳を生きてから死ぬかどうか考えても遅くないと思いますけど」

「なんで不死殺しの使いがそんなに必死に不死者が死ぬのを止めようとするのよ。あなたたちの仕事でしょ?」


 若干早口になりながら説得を試みたが伊那さんには届かなかったようだ。バッサリと正論で斬られてしまった。


「言ったでしょ、さっきの話と関係あるって。……私を襲ったその男の人も不死者だったのよ」

「それは……、なんでわかったんですか……?」

「突然私の目の前に現れたかと思うと、そのままナイフで自分の首を掻っ切ったからよ。血が噴き出して辺りが真っ赤になったわ。でも、その傷はすぐに治った。そして、私を刺して逃げたってわけ」


 確かに、話を聞く限りではその男は不死者で間違いない。


「そんなことする不死者って絶対正気を失っているわけじゃない? だから、私は怖いの。自分があの男の人と同じようなことをして、誰かを傷つけることが」

「…………」


 何も言葉が出て来なかった。

 そんなトラウマになるような惨劇を目の当たりにし、さらに刺されて苦痛を味わい、その上に自分がその男と同じ存在だと気付いてしまったのだ。どれだけ不死者とは言え、正気を失う確率は低いとこちらが言っても、実際に恐ろしい目にあった彼女を説得するのは難しい。


「あと、隠し事をして依頼を受けてもらうのも悪いから全部話すわ。私、鴻家の人間なんだけど、この苗字に聞き覚えない? 経済界だと結構有名なのよね」

「すみません、そちらには疎くて……」

「うん、別に知らなくても問題ないわよ。ただ、伝えたいのはこの鴻家は不死者を迫害しようと国家指定不死殺しを始め、様々な機関に支援金を出してるの。そんな家系の人間から不死者が出たと世間にバレたらどうなるか想像できる?」

「……大変なことには、なりそうですね」

「そうね、間違ってないわ。仮に世間にバレないようにもみ消されたとしても、不死者である私は確実に家から追い出されて特別隔離地区にでも入れられる。大好きな家族の手によって、ね。だから、機関に不死者だって言う証明書をもらいに行くこともできないの。手続きが大変だし親族にも確認を取られるんでしょ?」

「……そうですね。親族がいる不死者が、正式な手続きをしようとすれば、そうなります」


 言葉に詰まりながら俺は答えた。

 彼女の周りにはとても複雑な事情が絡み合っているらしい。

 しかし、それでもあえて簡単にまとめるとするならば、『襲って来た男のように正気を失いたくない』と『不死者であることを家族にバレたくない』ということだろうか。

 しかし、ひとつ問題がある。


「伊那さんは十八歳ということですけど、うちは国家指定不死殺しでないとは言え、契約書を交わす必要があります。未成年の場合、親の同意が――」

「それも問題ないでしょ。あなた、ちゃんとニュースとか見てる? 今年から十八歳以上は成人として扱われるようになったのよ。だから、私の意思だけで契約書にサインできるの。世間にバレないように、行方不明として扱われるようにしてくれると助かるわ」

「そういえば、そうでしたね……。行方不明にすることも可能です……」


 今年、二〇二二年から日本は成人年齢を十八歳に引き下げられた。海外ではかなりの国で当たり前のことらしいが、やっと日本もそれに合わせたというわけだ。俺としては最悪なタイミングと言える。

 行方不明についても、契約書にそのような旨を伊那さんが書いておけば、提出した機関によってそのように扱ってくれる。伊那さんのように親族にも不死者であることを悟られたくないケースはなくはない。不死者にも人権は存在しているので、それを隠したいという意志も尊重されるのだ。

 先ほど証明書の話が出てきたが、それはあくまでも不死者であると証明するためのものであり、『死を望む不死者』として交わす契約書とはまた別である。


「他に何か問題は?」


 もう下手な口出しはさせないという力強い物言いである。確かに、伊那さんが嘘を吐いていなければ不死者である事実も法律的にもクリアしていた。

 しかし、しかしだ。

 法とかそんなところに一切関係ない俺の気持ちという問題がある。

 俺は、伊那さんのことが好きなんだ。

 だから、殺したくない。どんなに本人が死を望んでいたとしても。


「一度、不死殺し本人と検討してみます。またこちらから――」

「一刻も早くお願いね。私は、怖いの……」


 その言葉には応えず、俺は席を立つ。

 まだ一口も飲んでいないコーヒーを専用の流し口に捨ててカップもゴミ箱に捨てる。

 そうして、店を出る前に振り返って伊那さんを見る。

 彼女の顔は、いつも電車で見るような表情であった。魅力的と思っていたその顔の裏には、とても重い気持ちを抱えていたのだ。

 そして、まとまらない頭を無理やり整理するため、俺は帰路に着いた。

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