第10話
「忘れ物は無い?」
「はい、ありません。昨夜の着替えだけでなく、旅装束のコートや鞄まで用意して頂き、ありがとうございます」
「構わないよ~。クローゼットの肥やしになってただけだしね。そういえばどうやって帰るの?徒歩なんだろうけど、隣国に通じる関所はここから遠いし、険しい山道が続くし⋯⋯凶暴な魔物がでるらしいよ?大丈夫??」
魔物の事で急に心配になったのか、キュッと小さな手でコートを掴み、心配そうに見上げるローズマリーの姿を見て、内心では可愛すぎて悶えているが、そんな様子を表情に出さずにソッと手に取って柔らかな芝生に跪くと、リヒトは安心させるような微笑みを浮かべながら説明する。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私は徒歩ではなく、足に飛行魔法を纏わせて、飛んでいくのです」
「飛行魔法!飛べるの!?」
「はい。魔力が続く限り飛び続けられます」
飛行魔法と聴いて一瞬でローズマリーの眼が心配から好奇の色に変わった事に安心したリヒトは、ゆるく立ち上がって距離を取り、魔力を練って呪文を唱え終えると、足下から陽炎の如く揺らめき立ち上る金色の雲が現れ、
「これが⋯飛行魔法⋯⋯凄ーい!!」
「今は魔力を少量消費してこれ位ですが、もっと多くの魔力を使えば、もっと高く速く飛ぶ事が出来、関所まで安全に一飛びですので、ご安心下さい」
「そっかぁ、それなら安心⋯かな?でも、関所まで魔力持つの?魔力回復薬持っていく?」
ローズマリーはアイテムボックスから、祖母が何かあった時の為にと、生前作り置きしていた魔力回復薬を取り出そうとしたが、リヒトは飛行魔法を一旦解除し、歩み寄ってやんわりと頭を横に振り、無言で止める。
「大丈夫です。この空間に入った時から清浄で濃密な魔力を貰っていますし、それに、昨夜と今朝頂いた食事に混ぜ込まれているお嬢様の魔力も取り込んだので、物凄く魔力が漲っているのです」
「えっ!料理の中に私の魔力が入ってたの?!」
「はい。気付かれなかったのですか?」
「全然気付かなかった⋯というか、魔力が入ってたなら味は?無理して食べてた⋯??」
「それなら心配ございません。味には全く影響無く美味しく魔力を取り込めたので、私にとっては僥倖です」
「そっか⋯良かった」
ホッとしたローズマリーの可愛らしい微笑みを見たリヒトは抱きしめたい衝動に駆られ、グッと堪えていると、そろそろ出発しなければならないと悟ったのか、ローズマリーは少しばかり距離を取り、魔法を発動させれば、リヒトの身体を魔力の膜のような物が幾つも重なって纏われ、徐々に馴染むように見えなくなっていった。
「コレは⋯」
「防御魔法と魔法防御魔法と俊敏魔法と精神防御魔法と状態異常無効の魔法と呪術返しの魔法を掛けておいた。これで何が来ても恐らく大丈夫な筈よ」
ニコリと何でもないように微笑むローズマリーに、リヒトは深い感謝の念と狂おしい程の愛情が混じり合うが、同じ分だけ心配になり、どうしても口に出さずにはいられなかった。
「⋯お嬢様、過分な配慮をして頂きありがとうございます。ですが、この様な魔法を使う時は私といる時か、お嬢様以外誰もいない所でお願い致します⋯」
あまりにも真剣な声と表情を見て、ローズマリーは心配して貰っている事を悟り、コクリと頷いて了承する。
「⋯⋯うん、わかった。でも、理由は聞いていい?そうじゃないと約束を守りたくても守れないから」
「わかりました⋯⋯お嬢様、補助魔法というものは、通常、1人につき一回が限度とされていて、お嬢様のように幼く、1人で幾重にも補助魔法を掛けられる存在はそういないのです」
「⋯つまり?」
「お嬢様が並の魔法使い達よりも優れている事が知られれば、各国の王族達はどんな事をしてでも⋯手段を問わず、無理矢理にでも手に入れようとするでしょう」
その言葉を聞いて想像し、ゲンナリとした表情を浮かべたローズマリーは魔法の扱い方を注意しようと心に決め、それをリヒトに伝える。
「無理矢理とか嫌すぎる⋯わかった。平和でのんびりとした森暮らしを漫喫する為にも、なるべく魔法を使わない方向でいく。けど、どうしても見過ごせなかったり、やむを得ない事があった場合はその限りではない⋯って事で良い?」
「はい。お嬢様がわかって頂けたのなら、私は構いません」
「ん、わかった。気を付けておくね。」
「進言を聴いて頂き、感謝致します。⋯それではそろそろ出発いたします。お嬢様との穏やかな生活を維持していく為に、速攻で愚か者達を粛清⋯ゲフンゲフン、排除して帰ってまいりますので、暫しの間、お傍を離れる事をお許し下さい」
「う、うん⋯、まぁ⋯ホドホドにね⋯」
朝の清々しい雰囲気に合わない黒い発言をしつつ、綺麗な礼の形を取るリヒトにたじろぎながらローズマリーは言葉を返すと、出発の為に一度結界を解除すれば、金色の美しい狐獣人は飛行魔法の呪文を唱えてトンッと地を蹴ってフワリと浮き上がり、豆粒程にまで上空へ遠ざかり、シューンッと軌跡を描いていき⋯やがてその姿が見えなくなっていった。
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