第8話
夜
あれから、従者ではあるが家の者となったリヒトは、主であるローズマリーから空いていた部屋を与えられた後、食器や茶葉等の場所、家や森での最低限の決まり事等を教えられ、教えた事以外の事は明日以降にしようと話し、解散しようとしたが、リヒトは穏やかだが真剣な声で、就寝前の入浴をする為にお風呂場へ行こうとしていた主を呼び止める。
「お嬢様」
「お嬢⋯まぁいいや⋯で、どうかした?」
「先程従者になったばかりで大変申し訳ありませんが、この穏やかで平和な暮らしを維持していく為に、私の家の騒動を片付けて参りますので、明日の朝から少々、隣国にある実家へ一時的に帰省したいのですが、お許しできますでしょうか⋯」
「実家帰るの?良いよ~。消息不明なままだとご家族が不安に思うもんね~。朝食は食べてく?」
「いえ、朝食は遠慮しておきま⋯」
「そう?フレンチトーストでも作って一緒に食べようかと思ってたんだけど」
「朝食は1日の始まりとも言いますし、しっかり食べた方が健康的で良いですね!」
「キメ顔の所悪いけど、口の端からヨダレ出てるよ~」
フレンチトーストと聞き慣れない料理名を聴いて瞬時に異世界の料理と判断したリヒトは、綺麗に微笑みながら器用にヨダレを垂らし、当初の予定をクルリと変更し、朝食後に出立する旨をローズマリーに伝える。
リヒトはすっかりローズマリーの手料理が大好きな食いしん坊狐になっていた。
「あぁ、それから、実家から帰って参りましたら、ドライヤー魔法と清掃魔法の指南をお願い致します」
「良いけど⋯何で?」
「従者というのは、主の身の回りのお世話をするのが主な業務となりますので、その為にもドライヤー魔法と清掃魔法の習得は必須なのです」
「なるほどね~⋯わかった。帰ってきたら、必要そうな魔法は一通り教えるね」
「ありがとうございます。長らくお引き留めしてしまい、申し訳ありませんでした。それでは、おやすみなさいませ⋯」
「ん。おやすみ~」
そうして2人は就寝前の挨拶を交わした後、それぞれの場所へ行くのに別れ、夜は更けていく。
ローズマリーが入浴を終えて自室で深い眠りに入った頃、与えられた部屋の中でリヒトはベッドの中で汗を滲ませながら身体を丸めて蹲り、ハァハァと熱い吐息を零していた。
「これ程強烈な物なのか⋯ック、運命の伴侶を求める⋯ハァ、...衝動は⋯!」
獣人の世界では昔から運命の伴侶が存在すると伝えられており、その伴侶と出逢えば惹かれずにはいられなくなり、結ばれると至上の幸福を得られるというものだ。
上手くいけば運命の伴侶と共に幸せな人生を送れるが、それ以外は伴侶が不慮の事故や事件、病気等で命を落とすと、獣人は後を追って自死したり、伴侶が悪人だった場合は都合良く利用されて使い潰されるというのも少なくはない。
それから、運命の伴侶が既に恋人or結婚していた場合は、獣人にもよるが、運命の伴侶の幸せを想って一生涯独り身を貫くか、振り向かせる為に注力するのだ。
そして、最も苦しいのは、運命の伴侶が未成年である場合、心身共に成熟するまで運命の伴侶を求める衝動に耐え続けなければいけない事である。
「ハ、ァ⋯先程まで耐え続けられたのに、ハァ⋯ッ、1人になった途端このザマとは⋯ハァ⋯自制心には自信があったんですがねぇ⋯ハァ⋯」
リヒトは子供の頃から何事も器用で理性的で、何をやらせても完璧にこなせてしまい、周囲からは賞賛されてきたが、自身はその度にただただ虚しく冷めた思いをして過ごしてきた。
そんなある時、油断して大怪我を負い、この森に逃げ込み倒れていたところを、後の主であるローズマリーに助けられ、生き延びた。
目も開けられず、聴力も低下しても微かな気配と匂いだけであったが、それでも十分にわかったのは、運命の伴侶である事、助けられた恩に報いたいという事、そして、愛する伴侶の傍にいたい、ということだけだった。
暫くして、辛うじて動けるようになるまで回復したリヒトは立ち上がり、突然、自分の運命の伴侶が見つかった興奮と、恩に報いたいという感情に驚きが混ざり合った不思議な感覚を伴ったまま、花のような匂いと濃密な魔力を辿り、運命の伴侶が住んでいるらしい門扉の前に着くと、結界が張られている事に気付く。
伴侶を阻む結界を壊したい衝動に駆られたが、その力さえも残ってない事に気付き、大人しく伏せて夜を明かしていたのである。
その後は自身を助けてくれた少女に嫌われたくない一心で理性的に振る舞いつつ、関心を向かせる為にあざとい行為もした。そのお陰で、どんな事や物に弱いのかある程度把握出来たのは良かった。
狐獣人は一般的に理性的で賢く、権謀術数に長け、あまり物事には固執しない性質なのだが、1度関心を向けるとずっと執着し続け、目的達成の為には相手に悟らせないようにしつつ、執念深く追い求める傾向があるのだが、リヒトは先祖返りであるせいか特に顕著であり、ローズマリーとの生活を邪魔されない為に、放置していた障害の排除と、伴侶を求める衝動を抑える鎮静剤を取りに、隣国にある実家へ一時的に帰省するのだ。
「ハァ⋯ハァ⋯明日の為にも早く眠らなければ⋯ハ、ァ⋯ッ⋯睡眠魔法を⋯ッ⋯」
衝動により上手く魔力を練れずにいたが、なんとか魔法発動にまで漕ぎ着け、そのまま自らに掛ければ、先程まで苛んでいた衝動は徐々に落ち着きを取り戻し、次いで衝動に抗っていた疲労もあってかトロトロと睡魔が訪れ、意識が遠のいていく。
「よかった⋯やっと眠れる⋯⋯起きたら⋯自分に催眠魔法⋯⋯を⋯かけな⋯⋯けれ、ば⋯⋯お嬢⋯さ⋯⋯ま⋯⋯⋯⋯スー⋯⋯スー⋯⋯」
こうして、リヒトはようやく安らかな眠りの海へと落ち、身を沈めていったのだった。
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