縁が結ばれる日
朝からセミが騒音をまき散らしている。まあ、セミの中でも特にうるさいあのクマゼミは午前中しか鳴かないらしいので、今が大事な勤務時間なのだろう。夏らしいと言えば夏らしいので不快ではない。
明日の終業式が終わったら夏休み。牛久さんも赤点を回避できたらしいので心穏やかに過ごせると大変喜んでいた。
俺は俺で夏休み後の話になるが、秋の文化祭で実行委員になって天埜さんの手伝いをするという目標ができた。彼女はそこで生徒会長としてお役御免となるそうなので、最高の文化祭にしたい。やるべき目標が生まれたので活力ある日々が過ごせそうである。
そして、それを証明するかのように今日はいつもよりかなり早い登校をしている。家を出たばかりで足取りは軽い。
一直線に学校へ向かっても良いけど少し遠回りしようかな。なんだかこの夏空をもっと感じていたくなった。休みに入れば行楽に出かけるのも手かもしれない。夏休みの宿題はもう既にやり始めているし、八月は優雅に過ごせるだろう。
そんなことを考えながらぶらぶらと歩く。まだ人通りは少ない。なので、その声はとてもよく聞こえた。
「おばあちゃんが遠出するなんて珍しいね。私の学校がある方向で良かったよ。ひとりで行かせるのは心配だから」
「おやまあ、そんなに心配しなくても良いのに。三歳の子供がおつかいに行くわけじゃないんだよ」
人の好さそうなおばあちゃんと隣町の学校の制服を着た女子。二人は仲睦まじい様子でバス停でバスを待っているようであった。
あれは……、結構前に別のバス停まで道案内させてもらったおばあちゃんだ。とても良い人だったので印象深く俺の記憶に残っている。
二人の間に割って入るのは気が引けたけど、次いつ会えるかわからないので挨拶だけさせてもらおう。
「お久しぶりです、お姉さん。今年の春頃にお会いした泰山冬薫ですが、覚えて頂けてますか?」
驚かせないよう注意しつつ話しかけると、二人は俺の顔を見て対照的な表情に変わる。
おばあちゃんは思い出そうとしてくれているらしく、頬に手を当てて熟考モードに。
片や女の子の方はゴミを見るような眼差しを俺に向け、一瞬で苛立ったオーラを放った。
「何? ナンパ?」
「い、いや、違います! 一度道端でお会いしたことがあって、また会えたのが嬉しくてご挨拶を!」
「おばあちゃん、本当?」
「うーん、どうだったかしら」
「お姉さんが駅前に行くための道がわからなくて迷っていた時に案内させて頂いた! ほら、この学ランを見てください!」
「うーん……、あ、ああっ、あの時の! ごめんねえ、年寄りだから忘れっぽくて」
「いえ、三ヶ月も前のことですので……」
「ふーん……」
俺と再会できて嬉しそうにしてくれているおばあちゃんを見て、女の子も納得してくれたようだ。
危ないところだった。おばあちゃんに思い出してもらえなかったら、ただの変質者としてこの女の子に認識されていただろう。とても美人で可愛い子なので、数多の言い寄って来る男の一人という扱いだったかもしれないが。
「たしか……、そうそう、今度お会いしたらパフェをご馳走する約束だったわよね」
「ああ、俺も是非お姉さんと食事を楽しみながらお話に花を咲かせたいのですが……、これから学校でして……」
「そうよねえ……。でももうすぐ夏休みでしょ?」
「はい、明日が終業式です」
「じゃあ、冬薫君がお暇な時に誘ってくださいな。今日はお出かけしますけど、普段は家に居ることが多いので私はいつでも大丈夫だから」
「ちょ、ちょっと、ダメよおばあちゃん! こんな軽薄そうな男に関わったら!」
俺たちのやり取りを聞いていた女の子が声を上げた。初対面なので当然と言えば当然だが、俺への信用度は底辺どころか灼熱地獄ぐらい下層にあるらしい。現代社会を生きる上で正しい防衛である。
「咲良、そんなことを言ってはいけません。冬薫君は困っている私を嫌な顔ひとつせずに助けてくれたのよ。顔も男前だし誠実で素晴らしい方よ」
「でも……」
咲良と呼ばれた女の子はおばあちゃんから諭されて言い淀んだ。
おばあちゃん……、世界で一番俺を信頼してくれているかもしれない……。こんな俺よりおばあちゃんの方が素晴らしい人徳者ですよ……。
「ごめんね、この子ってばもう高校生なのに人見知りで。お姉ちゃんもおとなしいから、私が死んだ後が心配で私もなかなか死ねないのよ」
「もう! 死ぬとか言わないで!」
お年寄りあるあるの自虐ネタだけど咲良ちゃんは本気で怒っていた。わずかな時間だがおばあちゃんへの接し方を見ていると、とても大事に想っていることがわかる。
「あらあら、すまないね。口癖みたいなものだよ」
「……口癖なら直して」
「はいはい。それより咲良、冬薫君と連絡先を交換してくれるかしら?」
「えっ⁉」「えっ⁉」
おばあちゃんの急な提案に俺と咲良ちゃんの声が重なった。
「私は携帯電話の使い方がよくわからないから。この前も咲良からのメールに気づかなかったでしょう?」
「あれはLINEだけど……。でも何で私がこいつと――」
「これ、ダメですよ、人様にこいつなんて言っては」
「……ごめんなさい」
注意されてしまい咲良ちゃんはしゅんっとなってしまう。でもその目は俺を睨んでいてとてもこわい。
「あっ、そうそう。その制服ってすぐそこの高校のよね? 冬薫君は一年生?」
「はい、そうですが」
「この子のお姉ちゃんも冬薫君と同じ学校なのよ。三年生なのだけど……、『東大寺蓮華』という名前で髪の長い女の子とお知り合いだったりしないかしら?」
東大寺……。三年生の知り合いは天埜さんと丹生さんぐらいだけど。
「知ってます。F組の少し背の低い方ですよね」
無意識にそう答えていた。
「F組だったかしら……。でも、東大寺なんて苗字は珍しいからたぶんその子だわ。背も低いものね」
「うん……、そうだね」
同意を求められた咲良ちゃんは歯切れ悪く肯定した。
何故そんな反応になったのか、俺にはわかる。彼女は姉が嫌いなのだ。
でも、確信があるわけじゃない。ただの勘違いかもしれない。よく知りもしない他人の関係性を決めつけているだけかもしれない。
だけど、俺は知っているんだ。
その東大寺蓮華さんは咲良ちゃんのように美人で可愛いことを。
いたずらっぽい笑みで年下の俺をからかうことも。
優しい性格で、だからこそ周りと強く接することができず逃げ出してしまったことも。
「蘭子さん……」
「はいはい、どうしたの?」
孫である彼女たち姉妹がどんなに蘭子さんを大切に想っているのかも知っている。
俺は三人で仲良く暮らすという幸せな時間をもっと過ごして欲しいと思った。
そのために俺は――。
「また東大寺さんに俺の予定が空いている日を伝えておきます。咲良ちゃんも入れて四人で談笑できれば嬉しいです」
「まあ、それは素敵ね。是非お願いするわ」
「ちょっと、なんで私を巻き込むのよ」
「……お姉さんと仲良くなってもらいたいから」
「――っ! あんたに何が――!」
ブザー音がその叫びを遮った。
いつの間にか目の前に到着していたバスが扉を開いた音だ。
「咲良、何を怒っているの?」
「怒ってないよ……」
そう言い、咲良ちゃんはバスに乗ってしまった。蘭子さんは首を傾げる。
「ごめんね、冬薫君。あの子たちってあまり仲が良くなくて。冬薫君も蓮華から聞いたのかしら?」
「……ご存じだったんですか?」
「そりゃあ、何年も一緒に住んでいるわけですし、あの子たちのおばあちゃんですから。でも、本当に冬薫君の提案は素敵だわ。私も手伝うから是非誘ってちょうだい」
「はい、今日にでも東大寺さんと話しておきます」
「おばあちゃん、早く!」
「はいはい」
バスのステップの所から咲良ちゃんが呼んだ。蘭子さんは俺に頭を下げ、孫の手を借りてバスに乗り込んだ。
もう一度ブザー音が鳴り扉が閉まる。
発車したバスの窓越しで手を振ってくれている蘭子さんに、俺は手を振り返した。
※
朝一番に家を出たが、結局教室に着いたのはいつもより少し遅いぐらいの時間であった。
「よお、おはよ。遅かったな」
「おう」
俺が教室に入ってきたのを見るなりいつも通りの新発田である。適当に返事をして自分の席に着くと、こいつも当たり前のように前の席に座った。
「なんか慌ててないか? 何かあったの?」
「お前は俺の母親か」
一目見ただけで人の心情を当てやがって。
しかし、その通りなので俺は筆箱と白紙の便箋を取り出して机に向かい合った。
「その恰好懐かしいな。またラブレター乱れ打ち作戦を再開するのか?」
「乱れ打ちじゃねえよ。一点集中突破型だ」
「へえ。誰に?」
「三年の東大寺さん」
「ああ、あの」
書くのは東大寺さんを呼び出すためだけの一文。短い言葉だが、俺は一文字一文字に想いを込めてペンを走らせる。真剣な雰囲気が伝わったらしく、その間新発田は黙っていた。
春からずっと鞄に入っていたラブレター作成セット。心残りはなかったはずなのに取り出すことはできなかった。おそらく、今日という日が来ることを、俺の知らない俺自身が知っていたのかもしれない。
「ちょっと行ってくる」
「もう授業始まるぞー」
「五分もあれば余裕だ」
封をした手紙を持って教室を出る。階段を駆け下りて下駄箱へ急ぐ。
もう生徒のほとんどは教室に居る時間だ。三年生の下駄箱の前に人影はない。
正面から見て右から三番目の三列目。ネームプレートを確認し、中を見ないようにラブレターを放り込んだ。
果たして彼女は気づいてくれるだろうか。気づいたとしても来てくれるだろうか。
始業を告げるチャイムが響いた。
新発田にはカッコ良く言ったけど、教室に戻る時間を考えていなかったな。
もう一度ネームプレートを見る。『東大寺蓮華』の文字をしっかり目に焼き付け、来た道をまた急いで戻った。
※
放課後。
春頃まで俺のホームとして告白の場に活用していた体育館裏。またここに帰ってきた。
昼休みと違ってもうしばらくするとバスケ部のかけ声が配電盤のノイズをかき消してしまうはずだ。それでも、ひと気がなく薄暗いのは変わらない。そのせいか夏なのに涼しく感じる。
今朝、東大寺さんの下駄箱にここへ来てもらうためのラブレターを入れた。呼び出した手前、遅くなってはいけないと終業のチャイムと同時に教室を飛び出した。おそらく教室から体育館裏までのタイムを競う世界大会があれば俺は金メダルを取れただろう。
しかし、俺が息も絶え絶えになりながら着いた時にはもう彼女は待ってくれていた。
「こんにちは」
お尻まで伸びた長い髪を揺らし振り向いた彼女は美しかった。天使の鈴のように透き通った声は俺の胸を高鳴らせた。
「東大寺さん――」
「あなた、お名前は?」
「えっ……?」
彼女の言葉に俺は耳を疑う。
俺のことがわからない……?
「こんな風にお手紙をもらって呼び出されたのは初めてなんだけど、ちゃんと名前も書いておいた方が良いと思うよ」
「すみません……。泰山冬薫です……」
女神の微笑みを携えた彼女は確かに東大寺さん……、のはずだ。
「泰山君。うん、覚えたよ。それで、どうして私に手紙をくれたの?」
「どうしてって、そりゃもちろん……!」
もちろん――、いや。
どうして俺はこんなに駆り立てらえる想いを彼女に抱いているのだろう。
「ふふっ、ごめんね。わざわざこんな所に呼び出したのだから私もわかっているよ」
彼女が言うように告白するために決まっている。
だが、自分で整えた場のはずなのに、訳もわからず舞台に立たされたような心境だ。
「でも会うのは初めてだよね? それともどこかで会ったのかな?」
「それは……」
東大寺さんの問いに俺は答えることができなかった。答えられるはずなのに答えられない。でも、とても大切な時間を共有したはずなんだ。
「今朝、バス停で蘭子さんと咲良ちゃんに会いました」
話を逸らすかのように言う俺に、東大寺さんは小首を傾げた。
それでもすぐ言葉の意味に行き着いてくれたらしい。
「あっ、もしかしておばあちゃんが迷子になっていたのを助けてくれた男の子って、泰山君のこと? かなり前だけど家に帰ってきたおばあちゃんが嬉しそうに話していたよ」
「そうです。その時に蘭子さんと仲良くなりまして……」
「じゃあ、おばあちゃんから私のことを聞いたんだね。所謂親バカだから良いように言ってたでしょ? 実際に会って幻滅してない?」
「そ、そんなのするわけないじゃないですか!」
「そう? それなら良かった、のかな?」
ころころと笑う彼女の顔をずっと見ていたい。
この気持ちは何と言い表せられるのだろう。
俺はそれを知らなかった。でも、知っているはずなんだ。
「俺は……」
「ん?」
言葉がどこからともなく溢れてくる。
俺はそれをせき止めることなく口に出す。
「俺は、東大寺さんのことが好きです」
一瞬、驚いたような顔を彼女が見せた。
しかし、それが気のせいであったかのように彼女は笑う。
「へえー、今初めて会ったのに? もしかして見た目が好みだった? 嬉しいけど、泰山君は見た目だけで告白しちゃうような人なんだー」
からかうように、俺の言葉が冗談であるかのように。
それを〝俺が〟否定する。
「始めはそうだったかもしれません。綺麗で可愛くて、声も良くてタイツもお似合いで。……でも、本当はもっと前に好きになっていたのかもしれません」
「……どういうこと?」
始めとはいつのことか。もっと前とは。
そんな抽象的な言葉でも、しっかりと東大寺さんに伝わるという確信があった。
「本当に、本当の本当の最初は、泣き虫なお姉ちゃんだなあ、という印象でした」
「…………」
「二人で鬼ごっこをしていたら、俺が東大寺さんをいじめているんだと思って咲良ちゃんに殴られたりもして」
十年前の小さな寺で遊んだ日々。それは夢や幻ではなく、俺の大切な思い出。同時に、東大寺さんも大事に想い続けていてくれた時間。
「仲良くになるに連れて、泣き虫なお姉ちゃんは俺の大好きなお姉ちゃんになっていきました」
東大寺さんの表情にもう笑みはない。真剣に俺の言葉を聞いてくれている。
「その時の好きは一度途切れてしまいましたけど、高校に入って東大寺さんとお話して、俺は思い出したんです。人を好きになる気持ちを。東大寺さんを守りたい、という想いを」
あの寺で、三ヶ月前に蘭子さんを助けるために東大寺さんとの縁を切る直前。あの時、東大寺さんに対して芽生えたと思っていた感情は、幼い俺が持っていたものであった。
だから、俺はもう一度言う。
「東大寺さん、好きです。付き合ってください」
たとえもう一度縁を切ろうと、俺は必ず思い出すだろう。もう東大寺さんへの想いは俺の心の奥底に刻み込まれているのだから。
「……とうか、くん」
昔から彼女は名前で俺を呼んでくれていた。
彼女はずっと変わっていないのだ。
こうしてまた話せるのをずっとずっと待っていてくれた。
こんなにも泣き虫だというのに。
「ごめんね……! ごめんね……!」
「こちらこそすみません。長い間待たせてしまって」
三ヶ月前に縁を切ってからか、十年前に縁を切ってからか。そのどちらでもである。一日であったとしても、彼女を寂しい想いにさせたことには変わりない。先の告白もここに着いてから時間がかかってしまった。初対面であるかのように装い、二人の関係を安易に教えてくれない東大寺さんは意外と強いのかもしれない。そしてそれが彼女の優しさだ。
泣きじゃくる彼女を抱きしめ、縁が結ばれたことを強く実感する。
「冬薫君は何も悪くないよ……。私のわがままやおばあちゃんのために頑張ってくれたんだから……」
「東大寺さんの信頼があってこそですよ。……それで、返事はどうなんでしょうか?」
「返事?」
「付き合ってくださいの返事です」
俺がそう言うと、彼女はむっとしたように俺の腕から離れてしまった。目を腫らして顔中に涙の跡をつけたまま言う。
「私はこの前言ったもん」
「それはこの耳にハッキリ残ってますけど、それとは別にちゃんと聞きたくて」
「むー」
頬こそ膨らませないものの、ご立腹になられてしまったらしい。
でも、聞きたいものは聞きたい。
「冬薫君、少し下を向いてくれる?」
「えっ、こうですか」
「もうちょっと上。私の胸の辺りを見てて」
東大寺さんの胸。
慎ましい膨らみがそこにはあった。
女性の価値は胸の大きさなんかで決まるわけではない。東大寺さんはそれを俺に伝えたいのだろうか。
「変なこと考えてるでしょ」
「いえ、真理だなと」
「よくわからないけど――」
そのまま言葉が続くのかと思われた。しかし、それに反して彼女は再び俺に向かって飛び込んでくる。
「…………」
「はい、お返事だよ」
あごを引いていた俺。背伸びをした彼女。重なり合うは二人の唇。オー、イェア。
「大丈夫?」
「は、はい! だ、だ、だ、大丈夫です!」
本当は大丈夫ではなかった。あまりにも心が乱れ、俺の脳内にラップ旋風が巻き起こった。
この年でキスなんてして良いのだろうか。俺が一生一緒にいて幸せにするしかない。
「冬薫君は面白いね」
「へへっ……、よく言われます」
「えー、誰から言われてるのかなー?」
「い、いや、全然言われたことなかったです……」
哀愁を帯びる俺に対し、東大寺さんはにへへと笑った。
ああ、これからこんな毎日を過ごせるのか。まだ夏休みは始まっていないけど今日中に宿題を終わらせて予定をがら空きにしておこう。
「冬薫君」
「はい」
「好きだよ」
不意の二撃目。軽いキスは青春の証。
そして、お互いを愛し合う誓いである。
〈了〉
縁と恋は結ぶもの 十五夜しらす @shirasu15th
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