一日目Ⅱ

 四限目の授業が終わり、皆が思い思いに席を立つ。

 授業に遅れたことで先生に怒られたような気がするけど、あまり覚えていない。

 俺の頭の中は愛しい彼女で一杯であった。そう、〝彼女〟だ。


「でゅふふ」

「うわっ、気持ちわるっ」


 幸せに浸っていると、主のいなくなった前の席に邪魔者が座った。いや、女子の視線を集める嫌われ者だが、幸福感に包まれている今の俺にはこんなクソ男もただのモブである。


「おい、むかつくこと考えているだろ」

「いや全然。ぐへへ」


 ――新発田和巳(しばたかずみ)。

 俺が告白した一年生女子たちはみんなこいつのファンだった。このご時世でも帯刀が許されていれば斬り捨てていただろう。喧嘩両成敗なんて何のそのだ。

 俺は五歳の時に引っ越してしまったので面識はなかったけど地元民らしい。昔この辺りに住んでいたことを教えてやってから妙に馴れ馴れしくなった。

 クラスの中でも特に話すことが多い。ある日、『俺はお前のことが……!』と告白されても驚きはしない。人生最大の力で拒否はするけど。


「さっきの授業中もずっとにやけていたよな。そのくせ問題当てられても普通に答えるし色々とキモイ」

「いやさ、良いことがあってさ。聞きたい?」

「聞きたい」

「だーめ」

「ぶっ飛ばすぞ」


 お茶目な一面を見せてやったというのに冷たい奴だ。


「わかったよ、当てて良いよ」

「何もわかってないじゃねえか。そうだな……」


 クソ男は回答権をもらうと顎に手を当てて真剣に思考し始め、すぐに推理を披露し出した。


「昼休みに何かあったってことだろ。まさかと思うけど、告白が上手く行ったのか? そんなことないよな?」

「いやあ、どうでしょうねえ」

「だって今度の被害者は比叡さんだろ? お前なんか視界に入れてもらえるだけでもありがたいっていうのに」

「被害者ってどういう意味だよ。楽しい楽しいアフタヌーントークを交わしたわ」


 先ほど使った教科書とノートを机に放り込んで五限目の準備をする。次は家庭科なので移動しなければならない。筆記用具だけ持って席を立つ。


「で、結局?」

「そう慌てるな。とりあえず家庭科室に行こうぜ」

「その余裕顔やめろ」


 やめろと言われても勝利者なのだから仕方ない。自然と顔も綻んでしまうというもの。

 新発田も筆記用具を手にして共に教室を後にする。直前に「鍵を閉め忘れないようにな」と日直の奴に声をかけてやったが舌打ちをされた。普段なら戦争勃発の合図だが何一つ気にならなかった。俺は大人の階段を登ってしまったらしい。

 そして、二階から渡り廊下を抜けて物理的な階段を降り、火事になっても被害が少なく済むよう校舎の端っこに設置された家庭科室へ入る。今日は調理実習ということもあり、すでに先生が色々と準備をしてくれていた。用意されたエプロンと三角巾を取って班の机へ向かう。

 ここに来るまでの道すがら、新発田に比叡先輩との話や〝俺の彼女〟の話をしてやった。だが、その感想として、


「いや、それ付き合ってないだろ」


 とか訳のわからないことを述べたので、席に着くついでに俺は肩をすくめてやった。


「はあ……。悔しいのはわかるけど現実を受け止めろよ和巳ちゃん」

「ちゃん付けするな。だってさ、十日以内に会えなかったら別れるって言われたんだろ? 相手は全力で逃げるってことだし、お前は相手の名前すら知らないし愛なんてありゃしない」

「笑止。互いの愛で日本中の電力を賄えるわ」

「虫カゴすらカバーできねえよ」


 チャイムが鳴る。部屋の前に並べられた食材を取りに来いという先生の指示を受け、班の代表者として俺が運び役をした。

 それから、注意点などを改めて説明されて調理スタートとなる。二種類の白い粉を水と一緒に混ぜ合わせている間に新発田がまた話しかけてくる。


「で、その彼女さんとやらのアテはあるのか?」

「アテって言ってもこの学校の生徒なのは間違いないんだから、教室を全部回れば良いだけだ」

「はっ? でもその人が一年生とは限らないだろ」

「あの雰囲気は三年生ぽいなあ。だから三年の教室を全部回れば見つかるだろ。いなかったら二年の教室行けば良いだけだし」

「バカ、どんだけ頭おかしいんだよ。常識を身に付けろ」


 あたかも俺が世間知らずのような言い草だ。堅実に事を済ませようとしているだけなのに失礼極まりない。


「じゃあどうすれば良いんだよ」

「いきなりお前なんかと仮にでも付き合うとか言い出すぐらいだ。相当おかしな人に違いない。素行調査した方が良いと思うぞ」

「調査ねえ……」


 班員が混ぜ合わせた液体をざるで濾しながら鍋に入れる。それから火にかけてみるが白い煙は出てこなかった。ヘラで混ぜていると弾力性のある塊になったので、あとはこれを冷やせば健全なわらび餅の完成だ。


「俺なんかと、ってどういう意味だよ」

「ツッコミ遅いな。本当に悩んでいるのか」

「そりゃな。どこかで黒い帽子とサングラスを用意するかあ」

「古典的な恰好でストーキングしようとするな。少年法に甘えるんじゃない」


 まあ、こそこそ尾行するより街頭インタビューをする方が俺の性にあっているのだが。

 わらび餅を冷蔵庫に入れるなどの工程は班の女子に任せ、俺らはエプロンと三角巾を外した。シャーペンを出して配られた調理に関する穴あき問題を埋めていく。


「なら聞き込みでもするか……。新発田、知っていることを吐け」

「それが人に物を訊ねる態度かよ」

「栄えある証言者第一号の称号やるからさ」

「その彼女さん、たぶん東大寺蓮華(とうだいじれんげ)っていう三年生だよ」


 さらりと出てきた情報に、『撹拌』と記入しようとしていたシャーペン芯を折ってしまった。


「お、お前、俺から称号を引き出そうと計ったな……!」

「ちげーよ。今初めて訊かれたから教えてやっただけだ」


 アニメで物語の中盤に超重要情報を主人公に与えるだけのキザキャラみたいなセリフを言いやがって。視聴者からもっと早く言えと総ツッコミをもらうタイプである。


「さすがハーレムを築いている男は情報通ですね。彼女はいないのに」

「二言多いわ。それに情報通じゃなくてもピンッと来る人の方が多いと思うぞ。黒髪ロングストレート美人が一般生徒で過ごせると思うか?」

「思いません」

「まあ、俺は名前ぐらいしか知らないから後は他を当たるんだな」

「役立たず」

「ぶっ飛ばすぞ」


 友達のよしみで聞いてやっただけであったが、簡単に情報が手に入った。

 調査と言っても学校という狭いコミュニティの内なので難しいことではなさそうだ。名前がわかったので、あとは同学年である三年生に訊いてみるか。


「……なあ、そのへんに歩いている三年生を捕まえて話を聞こうとか考えていないか?」

「えっ、ダメなの?」


 俺の反応を見て、新発田は呆れたとでも言いたげにため息を吐いた。


「冬薫君さあ、少しは周りからどう見られているかを気にした方が良いよ」

「じゃあ、和巳君は俺をどう見ているんだよ」

「女好きの脳内お花畑ふわふわ能天気野郎」

「そっかあ……」

「全然気にしていないくせに傷ついた風にするな」


 そこに、皆を注目させるために先生が手を叩いた音が響いた。全班が作ったわらび餅を冷蔵庫に入れ終えたようだ。

 その後はプリントの答え合わせと解説があり、授業が終わる十分前にはわらび餅を実食した。先生の話に寄ると、今回『わらび粉』ではなく『さつまいもでん粉』を使用したらしい。それなのにわらび餅を名乗るのはおこがましいのではないか。と、やきもきしながら、きな粉と絡めて美味しく食べた。


 ※


 帰りのホームルームが終わった瞬間、俺は急いで階段を上がって三年生の教室が並ぶ廊下に駆け込んだ。それと同時に各扉が一斉に開いて賑やかになる。

 さて、誰に東大寺さんのことを訊こうか。それよりこのまま目を凝らして本人を探せば良い気もするが。

 とりあえず、一通り教室の中を覗いて行く。掃除当番の生徒の他にも無駄話をしている男女が何人か居た。その誰もが俺を怪訝な顔で見てきたが、こっちには大事なミッションがあるので、お構いなしに相手の顔をしっかりと確認して行った。

 そして、廊下の端から端まで歩いて最後の教室を覗こうとしたその時、


「た、泰山君!」


 放課後の喧騒にかき消されてしまいそうな声が俺を呼び止めた。

 振り返ると、プリントの束を大事そうに抱えた美人さんと目が合う。


「これはこれは、ご無沙汰しております。天埜さん」

「えっ、う、うん、ご無沙汰だね」


 高校生という枠にはまらず、大人っぽい雰囲気を醸し出すこの方こそ我が校の生徒会長、天埜羽衣(あまのうい)さんだ。

 何を隠そう、俺が二週間前の入学式の後すぐに告白した人物でもある。生徒会長として登壇した彼女に心を奪われてしまったのだ。控え目そうで応援したくなるし、なんと言っても顔が良い。

 だが、結果としては粘った末にお断りされる形となった。おとなしい人だから押せばいけるんじゃ、と思ったけど押し過ぎたせいで頬にビンタをもらい決着。人生初の告白で色々と学ばせて頂きました。


「どうしたんですか。俺の魅力に気づいて、やっぱりお付き合いしますって言って頂ける流れですか」

「それはない、かな……」

「でもすみません。俺、彼女が出来てしまって。天埜さんの気持ちには応えたいんですけど体が一つしかないもので……。二つあれば二股じゃなく一股ずつになるのに俺が不甲斐ないばかりに申し訳ないです」

「と、冬薫君、もう少しゆっくり喋って。あと、付き合うなんて言ってないよ……」


 困った様子の彼女がとても可愛い。告白した日以来の会話だが、これからは毎日話したいものだ。


「天埜さん、東大寺蓮華さんのクラスってどこですか?」

「東大寺さん? えっと、F組だからそこだよ」


 白魚のような指が俺の背後の教室を指した。やはり最後に残ったここか。

 調査なんかせずに直接話をして互いを知れば良い。さっさともう一度会って自然消滅する事態を避けないといけないし。


「ありがとうございます! また運命が重なった時に会いましょう!」

「あっ、冬薫君!」


 天埜さんの名残惜しそうな声を振り切って教室の扉に手を掛ける。そして、勢いよく開け放った。


「たのもぅー!」


 俺の声が綺麗に響く。掃除をしていた数人の女子生徒たちの視線が一斉に向けられた。誰も彼も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 その中に黒髪ロングストレートの美人女子はいなかった。いや、この人たちが美人ではないと言っているわけじゃないと注釈しておこう。


「あの、東大寺さん知りませんか?」

「……あー、さあ? いないからもう出て行ったんじゃないかな」


 俺が質問してから少々時差があったけど答えが返ってきた。

 どうやら天埜さんと話をしている俺の背後を通っていた可能性が高い。声をかけてくれたら良いのに、と思うが、俺に見つけて欲しいという乙女心が勝ったのだろう。ならば早く追いかけなくては。


「冬薫、君……」

「はい!」

「きゃあ!」

「いてっ!」


 呼ばれたので返事をして振り返った瞬間、天埜さんにビンタされた。つい、はやる気持ちが声に出てしまい驚かせてしまったようだ。


「あっ! ごめんなさい!」

「いえ、俺の方こそ。それにしてもこんな所でまた会うなんて、運命っておそろしいですね」

「う、うん? さっき話していた所から二メートルも動いていないし……」


 教室に居る女子たちから「あれって泰山冬薫じゃね?」とか「また生徒会長に殴られてるよ」とかヒソヒソと話しているのが聞こえてきた。何故前にも叩かれたこと知っているのか気になったけど、そちらに気を割いている余裕はない。天埜さんともトークに花を咲かせたいけど今は急がなくてはならない。


「すみません! 無限の星々の下で巡り合った時にまたお話しましょう!」

「ち、違うの。滅多やたらに一年生が三年生の教室に来るのは良くないって注意を……」

「失礼します!」


 話し足りなさそうな様子だが、今の俺は東大寺さんの彼氏だ。そう強く自分に言い聞かせ、すぐ横の階段を駆け下りた。



 その後、下駄箱まで急いで行ってみたが東大寺さんは見当たらなかった。

 他の生徒もほとんどいない。月曜日ということもあり、部活がある人たち以外はさっさと学校からおさらばしたらしい。

 東大寺さんも帰ってしまったのだろうか。

 そうだ、靴を確認すれば良いんだ。

 F組であることもわかっているので、苦労せずに『東大寺蓮華』のネームプレートを見つけることができた。正面から見て右から三番目の三列目だ。背の低い彼女でも靴の出し入れをしやすい位置である。

 念のため周りに誰もいないことを確認し、ガチャっと開く。

 中には真新しい白色の上履きと小さな消臭剤が入っていた。いつもラブレターを入れる時はできるだけ中を見ずに放り込んでいたので、こうして個人の空間をしっかりと見てしまったことに罪悪感を覚える。彼氏彼女の付き合いでもプライベート空間を覗くのはご法度だからだ。

 そして、そんな大罪を犯してまで得た情報は悲報であった。彼女はもう帰ってしまったらしい。

 運動部ならまだ校内にいるだろうけど、文学少女の方が似合う容姿をされていたのでそれは望み薄だ。いや、意外と陸上部で短距離走をしていたりとギャップがあっても良いのではなかろうか。


「うーん」


 そういえば、彼女の口から比叡先輩の名前が出ていたな。同じバスケ部だったりするのだろうか。

 まあ、あのボクっ娘先輩も有名人だから顔見知りでなくとも名前ぐらい知っていてもおかしくはない。

 体育館に行くという手もあるが、射殺予告がされているので今日のところはおとなしく帰ろう。俺も命は惜しい。

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