縁と恋は結ぶもの

十五夜しらす

一日目Ⅰ

 学校内で表の世界と隔絶された唯一の空間――、その名も体育館裏。

 教室という檻から放たれ、昼休みという約束された自由を楽しむ生徒たちの声も届かない。晴れた日でも薄暗く、今は昨日の雨で嫌な湿気が残っている。

 ここが俺の戦場。

 高校に入学して二週間ほどだが、既に八回の戦が行われた。そう、告白という一騎打ちだ。

 これから行う九回目のお相手は、二年生でありながら所属するバスケ部のエースとして君臨するスポーツ系美少女。ロングヘアー派の俺としてはショートヘアーなのが気になるところ。まあ、それは付き合ってから俺色に染まってもらえたら万々歳。あとは俺とほぼ同じ身長なのも気になるけど、顔が良いのだからそれらは些細な問題である。

 今から名も無き雑草たちを咲き誇る可憐な花と変えて見せよう。配電盤のノイズは祝福の鐘の音となり、俺は楽園のアダムとなるのだ。


「ごめんなさい」

「えっ?」


 イヴとなるはずの彼女が事務的な声とともに頭を下げた。こちらはまだ『わざわざ呼び出してすまない』と伝統に則った挨拶をしただけなのに。


「なんでそんなに意外そうなのさ? キミね、学校中で噂になっているよ」

「ど、どんな?」

「体育館裏に住み憑いた女たらし妖怪――、ぶふっ!」


 笑うのを最後まで我慢したことは称えよう。

 しかし、異議を唱えたい。


「たらしてなんかいませんし!」

「アハハ! そりゃそうだ、たらす前にフラれているんだから。あー、面白いな」


 その快活な笑い声はさすが運動部といったところか。ものすごく馬鹿にされている波動を感じるけど。あと、可愛さを余すことなく振りまいていらっしゃる。


「ついにボクのところに来たか、って感じだよ。どういう基準で選んでいるんだい?」

「ボ、ボ、ボ、ボク⁉︎ 先輩ってボクっ娘なんですか⁉︎」

「えー、そうだけど、この状況でそこに食いつくかね」


 これは思わぬ収穫だ。まさか属性持ちを引き当てるなんて。今日の運勢は最高らしい。

 そう心の中で盛り上がっていると、彼女は前屈みになって俺の顔を覗き込んだ。


「ねえ、聞いてるの?」

「えっ、何ですか? 放課後のデートの話?」

「キミは脳みその構造が一般人と違うらしい。化学部のあの方に売り渡せばそこそこのお金になるかもしれないな」

「や、やだ! 化学部だけは、化学部だけは……!」

「ははーん、もうトラウマを刷り込まれ済みか。見境なく女の子と仲良くなろうとするからバチが当たったんだね。それでも性懲りもなくボクを呼び出したわけだけど」


 感情のない笑みを浮かべ、モルモットを見るような目を俺に向ける白衣の女子生徒――、あの光景がフラッシュバックする。

 彼女こそ真のマッドだ。人の体に躊躇なくあんなことを……、


「うわあああああああ!」

「しっかりせい」

「いてっ」


 心が恐怖に飲み込まれる寸前、先輩が脳天チョップで闇から救ってくれた。


「属性持ちで顔が良い上に優しいなんて……! 俺と付き合ってください!」

「なんでそうなるのかなー。さっき断ったでしょ」

「ど、どこが! どこがいけないんでしょうか!」

「がっつくんじゃない。まあ、そのボクに対する寸評は正しい。優しいボクがキミの悪い所を六個教えてあげるよ」

「三個目辺りで昼休み終わりますよ」

「まず一個目」


 俺の忠告を無視して彼女は細くて長い指を一本立てた。日頃バスケットボールを扱っているのに綺麗な手だ。


「人が大事なことを話しているのに違うことを考えている。今何を考えているか言ってみて」

「ユニフォームならスタイルがハッキリわかるだろうからバスケ部を見学しに行こう」

「放課後に体育館をうろうろしていたら射殺するから」

「悪い所なんてないのにおかしいなあ! と、思っております!」


 射殺はさすがに嫌なので模範回答に差し替えた。セーラー服も似合っていますよ、と付け加えるのは火に油だろう。

 先輩は「よろしい」と口にすると、今度は指を二本立たせる。


「さっきも訊いたけど、なんでボクと付き合いたいと思ったんだい?」

「顔が良いからです」

「うん、悪評通りで安心するよ」

「悪評ってなんですか! 俺ほど誠実な男はいないですよ」


 聞き捨てならない単語を否定すると、何故か彼女はため息を吐いた。


「〝彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず殆し〟という言葉を送ろう」

「おっ、孫子ですか。俺も三国志が好きなんですよ」

「キミは知識を実生活に活かせてないね。あと、ボクは野望派で武田家だ」

「あー、ぽいですね。やっぱり上杉家と戦うところから始めるんですか?」


 このまま歴史シミュレーションゲームについて語り合えると思ったが、彼女は人差し指と親指を曲げて三を示す。


「今時、下駄箱にラブレターを入れて体育館裏に呼び出すかね。女子なら古風で可愛らしいけど、よりにもよってチャラい男子がだよ」

「いやあ、昔から姉の漫画を借りて読んでいたから憧れだったんですよ」

「それを何度繰り返せば気が済むんだろうね。夏休み前に全女子をここに呼び出す気かい?」

「いえ、先輩が彼女になってくれたら止めますよ」

「なんでカッコつけているのかなあ。まあ、ボクみたいな怖いもの見たさで相手にしてくれる子もいるだろうから頑張ってくれ」


 ポンッと俺の肩に手を置くと、先輩は校舎の方へ足を向ける。これは気になる男に対して女の子がアピールするタッチに違いない。


「泰山冬薫(たいざんとうか)です! よろしくお願いします!」

「知ってるけど名乗るのが十三分ほど遅いよ。あと、よろしくしないし二度と関わらないでくれー」

「俺の悪いところがあと三個残ってますよー!」


 離れて行く彼女は背を向けたまま手をひらひらと振った。そして、体育館の向こうに姿を消してしまう。

 ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。あと五分で昼休みが終わる頃であった。悪い所を六個挙げるという話だったけど、三個目で時間切れになるという俺の読みは正しかったわけだ。

 それに試合としてはフラれたけど、勝負としては脈ありな手ごたえを感じた。スマホのメモ帳を開き、顔が良い女子リストにある比叡梓(ひえいあずさ)の隣に三角マークを入れる。追記として『※ボクっ娘』と書いておいた。

 さて、この高揚感のまま放課後に呼び出す女の子の下駄箱にラブレターを入れるとするか。

 制服の内ポケットからシンプルな洋封筒を取り出す。中にはこれまたシンプルに『放課後、体育館裏に来てください。大事なお話があります。』と綴った便箋が入っている。ちなみに、昼休みと放課後に呼び出す二種類を用意してあるので、間違えないように気をつけなければならない。

 ボクっ娘先輩が去って行った方へ俺も足を向ける。教室に戻る途中に下駄箱があるので、さっさとミッションを遂行するとしよう。

 スマホとラブレターをポケットに戻して校舎へ向かう。鎮座している配電盤の横を通り過ぎて、体育館の影から抜け――、


「うおっ⁉」


 俺は反射的に声を上げた。

 配電盤の影で幽霊のように背の低い女子が隠れていたからだ。

 早くなった鼓動を落ち着かせるために胸を手で押さえながら、その女子をようく見てみた。

 ――視線が交わる。俺の心臓が再び高鳴るのを感じた。

 だが、先ほどとは性質の違う驚きである。

 美しい。そして、可愛い。

 涼やかでキレ長な目。僅かに緩ませたその口元は俺に友好的な証だ。


「これ、受け取ってください!」


 そう判断した次の瞬間、勢いよく腰を九十度に曲げてラブレターを差し出していた。ラブレターは確かに内ポケットに入れたはずなのに。恐ろしく素早い動きに自分自身のことながら意識がついて来れなかった。

 頭を下げたままちらりと麗人の足元に目を遣る。

 細い脚は八十デニールと思われる黒タイツに包まれていた。学校の多くの女子が紺色ハイソックスということもあり、物珍しさからさらに魅力を感じてしまう。


「冬薫君」

「は、はい!」


 どこぞの声優さんですか、と問いたくなるような澄んだ声で名前を呼ばれた。心臓どころか身体ごと飛び跳ねる。その拍子にまた目が合った。

 彼女の表情は友好的なものから挑発的なものに変わっていた。年の離れた姉が俺をおもちゃにして遊ぼうとしている時に似ている。


「それ、ここに呼び出すための手紙?」

「なんでそれを……」

「比叡さんにも言われてたでしょ。あなたって有名人なのよ?」


 どうやら想像以上にこの学校では俺の名が轟いているらしい。しかし、先ほどの先輩の話に寄ればあまり印象の良いものでもなかった。本物は誠実な男であることを伝えなければ。


「えっと、噂に尾ひれが付いていて」

「そうかしら? 現在進行形で名前も知らない私を誘い出そうとしてるけど」

「そ、それは」

「冬薫君は見た目さえ良ければ相手の名前なんてどうでも良いんだー? それってナンパだよねー?」

「うぐっ」


 ことんっと首を傾けられ切り揃えられた前髪が揺らいだ。

 サラサラと色の濃い黒髪。後ろはお尻ほどまで伸びている。『黒髪ストレートロングを極めし者』の称号を彼女に送りたい。


「変なこと考えているでしょ?」

「いえ、至極真面目な感想ですので!」

「肯定っと。やっぱり比叡さんの言う通りだね」

「うぐっ……」


 この人は俺と先輩の会話をずっと聞いていたようだ。

 何故ここに居たかなど会話を楽しみたいところだけど、もう昼休みが終わってしまう。最後になんとか誤解を解いて――、


「いいよ。付き合ってあげる」


 丁度、チャイムが響き渡る。


「えっ?」


 彼女の言葉は俺の耳に届いていた。届いていたが、理解が追い付かないあまりに間の抜けた声が出てしまった。


「うん? その手紙を私に渡して放課後に告白するんでしょ?」

「そう、ですけど。……えっ?」

「じゃあ、今返事をしても問題なしってこと。――でもね」


 柔らかな表情がきゅっと引き締められる。右手が俺に向けられたかと思うと、白くてほっそりした指はチョキの形をしていた。


「今日を入れて十日以内に私ともう一度会えなかったら自然消滅。つまり、お別れね」


 そう言うのと同時に指が閉じられた。〝ちょきん〟とハサミで何かを切ったような音が頭の中に響いたような気がした。


「じゃあね。もう授業が始まってるよ」


 直後、ハッと我に返る。

 目の前に居たはずの彼女の姿が消えていた。


「あれ……?」


 立ったまま気を失っていたのだろうか。そう表現できるほどに頭が混乱しているのは確かだ。

 スマホを取り出して時間を確認する。昼休みが終わってから二分経過していた。つまり、名前も知らない可愛い女子と付き合うことになってから二分経ったということだ。


「よっ……!」


 実感が薄いけど現実に起こったことのはず。その証拠に俺の犬並みの嗅覚が彼女の残り香に反応している。


「しゃああああああ!」


 歓喜の叫びとともに両の拳を春の空へと突き上げた。通りすがりの鳥が勝利を祝福してくれた、ような気がする。これまでの戦いを見守ってくれていた配電盤とハグを交わし、俺は教室へと凱旋するのであった。

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