第一話d

 目を開けると光が部屋に射し込んでいた。そういえばカーテンを閉めずに寝てしまったんだっけか。

 あれからグレアと何十種類ものボードゲームで遊んだ。精神的な疲労はあるものの確かに体はすこぶる調子が良い。

 さて、まずはヴィオラのために朝食を作るか。その前に顔を洗って――、


「きゃあ⁉」


 部屋から出ようとしたその時、皿が割れるような音とともに短い悲鳴が上がった。何事かとすぐさま音の方へ向かう。


「どうした⁉」

「あっ、サクト……。おはようございます……」


 駆けつけるとそこには涙目のヴィオラがいた。その足元には皿の破片が散らばっている。


「朝食を準備しようとしていたのですが……、お皿を割ってしまって……」

「ああ、なんだ……。ケガはない?」

「はい……、でもお皿が……」

「皿なんていくらでもあるから一枚二枚割ったところで気にしなくても――」


 ふと、部屋の隅に目が行く。そこには身に覚えのない皿の破片が山積みにされていた。


「昨夜の片づけの際にもお皿をほとんど割ってしまって……。今朝もこれで七枚目でして……」

「そ、そっか」


 普通ならわざとだろと責めてしまうレベルである。しかしヴィオラがそんなことをするわけがないので、ただのドジとして理解するしかない。


「パンも真っ黒で炭のように焦がしてしまい……。コーヒーを淹れようとして粉を全部床にばら撒いてしまいましたし……」

「…………」


 うーん、ただのドジ、ただのドジ……。


「薪を割ろうとしたら勢い余って物置小屋を破壊してしまったり……。井戸で水を汲んでこようとしたらよそ様のお家の洗濯物に全部かけてしまったり……。たき火でゴミを処理しようとしたら――」

「よしわかった。ヴィオラ、一緒に旅をしよう」

「えっ?」


 我慢できずにどのタイミングで言おうか悩んでいた言葉を口にしてしまった。こんな生活力皆無で悪い奴にすぐ騙されてしまう女の子を放っておくことはできない。


「でも私、もう仲間は……」

「大丈夫、俺はいなくならない。村を出ることだってどうせ独り身だし気にすることはないよ。むしろトーポ爺さんや村の人たちも元気がなかった俺がやる気を出したことを喜んでくれるはずだ」

「私の旅の終着点は魔王討伐です。道中にも危険がたくさんあります……」

「あー、魔王は、まあその、大丈夫だよ、うん」


 実は魔王と知り合いどころか手先になっているとも言えず。

 しかし、勇者と魔王――、そのどちらとも仲を深めた俺としては戦って欲しくないのが本音だ。魔王の方は戦いを望んでいないようだし、時間をかけてヴィオラを説得できれば、と思っている。


「……いえ、それでもやはり居場所がある方を危険に晒すわけにはいきません。私も未熟ゆえサクトを守り切る自信は、ありません……」

「…………」


 勇者自身が未熟と言っているのに俺が強く出ることができなかった。勇者になることを夢見て修行していた過去があるので、その辺の人よりは動ける自信はあるけれど。

 なんとか旅に同行しても迷惑をかけないという実力を証明したいがそう簡単には……、


『話は聞かせてもらったぁ!』

「うわぁ⁉」

「ど、どうされました⁉」


 突然第三者の声が大音量で響いた驚きでひっくり返り叫んでしまった。しかし目の前にいるヴィオラには聞こえなかったらしく、急に叫んだ俺を心配している。


『サクトよ! 我に名案がある。万事任せぃ!』


 この声は昨晩から明朝までずっと聞いていたものだ。つまりグレアである。どうやら俺の頭の中だけに声が響いているらしい。


「大丈夫ですか? 立てますか?」

「うん、ごめん急に……」


 ヴィオラの手を借りて立ち上がる。突然奇異な行動を取った相手にも彼女はとても優しかった。

 しかしグレアは何を言っていたんだ? 名案とか言ってた気がするけど。

 と、その時、


「う、うわあああああ! 魔物が出たぞおおおおおおお!」


 外から先ほどの俺に負けず劣らない叫び声が響いた。それに続いて村人たちの悲鳴が上がる。


「魔物⁉」


 それを聞いたヴィオラが機敏な動きで家から飛び出して行く。俺は先ほどのグレアの言葉を思い返しながら、玄関横に立てかけておいた黒い木刀を手にし後に続いた。



 外に出てすぐに目についたのは魔物の群れであった。魔物たちは泣き叫ぶ村人たちを捕まえ下卑た笑い声を上げている。


「貴様ら! 皆を放せ!」


 剣を抜いたヴィオラが力強く魔物たちに向かって叫んだ。普段の落ち着きのある姿からは考えれないほど勇ましい。

 だが、ヴィオラは動けなかった。魔物たちが村人を人質のように扱っているからだ。


「ヴィオラさん、儂らのことは構わず倒すのじゃ!」


 人質の一人――、トーポ爺さんが巨体の魔物に掴まれているというのに威勢のいい声を上げた。それに同調するように他の村人たちも自分たちに構うなと合唱を始める。


「くっ……!」


 しかし、そう言われてヴィオラが見捨てるわけがない。だが、剣を強く握りしめたまま鋭い睨みを魔物たちに向けることしかできなかった。

 そこへ、


「ぐわっはっはっは! 貴様が勇者か!」


 巨大な斧を持った魔物が前に出てきた。その風貌と自信に満ちた声からリーダー格と思われる。


「そうだ! 襲うなら私だけにしろ! 村の人たちは関係ない!」

「ぐふふ、それこそ俺様たちには関係ない。貴様を倒すためなら何でも使ってやる」

「この外道め……!」


 ヴィオラの剣先が揺れる。そして今まさに飛び掛かろうという体勢に入ったが、やはり人質のことを思い踏み出すことができない様子だ。


「がはははは! いい面だ! その顔をさらなる絶望で歪ませてやろうではないか。おい、そこの人間!」

「――なんだ!」


 魔物が突然俺の方を指差した。


「俺様と一騎打ちをしろ。もし貴様が勝てば捕まえた人間たちを解放してやろうではないか」

「な、なにっ……」


 いきなりの提案に木刀を握る手に力が入る。俺があんな強そうな魔物と――、それも一騎打ちで戦って勝てる見込みはハッキリ言って薄い。


「サクト! 乗る必要はありません!」

「ぐわっはっはっは! さあどうする? 人間どもを助けられるのは貴様だけだぞ? いや、貴様を殺した後にもう一度別の人間と戦っても良いな。そうやって一人一人と無様に死んでいくのを勇者は指をくわえて見ていることしかできないのだ。がっはっはっは!」

「なんと卑劣な……!」


 たしかに残忍な魔物が考えそうなことだ。人間を使ってゲームを楽しもうとしている。

 しかし、追い詰められている俺たちはその誘いに乗るしかない。俺はヴィオラを追い越し魔物の前に進み出た。


「――サクト!」

「大丈夫。相打ちになってでもあいつを倒して皆を助ける」

「でも、そんな木刀では……」

「使い慣れている物が良い。とは言っても半年ほど握ってなかったけど」


 軽く素振りをして木刀の感触を確かめる。かっこつけて前に出てきたものの、やはり勝てる気はしない。弱い魔物となら戦った経験もあるが、目の前の相手のように巨体で武器を操る魔物と戦うのはもちろん初めてだ。もし経験があったなら今頃俺は生きていない。

 俺は木刀を構え剣先を相手に向けた。


「ぐふふ、人間にしてはなかなか良い目をしているではないか。では、その勇敢さを称えて貴様だけに良いことを教えてやろう」

「良いことだと?」

「そうだ。俺様は五日間徹夜していてとても眠い。それに二日酔いで頭はガンガンするし風邪気味で体の震えも止まらん。三日前に奥歯を抜いてからというもの痛すぎて満足な食事もできていない」

「…………」


 なんか急に緊張感が無くなったぞ。

 後ろを振り返ると心配そうな眼差しをこちらに送り続けるヴィオラの姿が。彼女には先ほどの言葉は聞こえていないらしい。


「それに今の俺様の武器はこの斧だが普段は弓を使っている。だからこんなに大きな斧を扱えるかすごく不安だ。あと、人前に出ることが苦手なのですごく緊張していて体がガチガチだ。まともに動けないかもしれない。しかしやるしかないのだ! さあ! 俺様の弱点は右わき腹だぞかかってこい!」


 そして、魔物は大きな斧を持ち上げて高く構えた。右わき腹ががら空きである。

 ふーっ……。

 釈然としないが、村の人たちの命がかかっている、と思い込んで俺は魔物へ向かって地を蹴った。そして木刀を使い完全に導かれた軌道で魔物の右わき腹を打つ。


「ぐ、ぐわあああああああああ! 瞬時に俺様の弱点を見抜き的確かつ強烈な鋭い振りを隙のない俺様に打ち込むとはああああああああああああ! ただの人間と思い侮っていたわ……! まさか、勇者に引けを取らぬ実力を持つ者がこんな村にいたとはな……! こんな強い人間が勇者に協力すれば俺様たち魔族の脅威になること間違いなしいいいいいいい! やられたあああああああああああ! ……魔王様今です。転移魔法をお願いします」


 子供が遊ぶチャンバラでなかなか死なない悪役のように魔物は長いセリフを吐いた後、大げさに倒れて一瞬で消えてしまった。おい、最後にも何か聞こえたぞ。


「ぎぇええええええ⁉ リーダーがやられたぞ⁉ まさかこんなことになるなんてえええええええええ⁉」

「勇者だけならまだしもこんな人間がいるなんて! うおおおおおおお恐ろしい! 俺は逃げるぞ! こんな所で死んでたまるものか!」


 村の人たちを捕らえていた魔物たちが慌てふためき、一斉に村の外へ逃げ出していく。

 俺は無意識のうちに木刀を地面に放り投げていた。


「うおおおおおお、すげえぞサクト! 強いのは知っていたけどそこまでだったとはな!」

「サクト兄ちゃんかっこよかったよ! 俺にも剣を教えて欲しい!」

「サクトありがとう……。どうなることかと思ったけどあなたのおかげで助かったわ……」

「…………」


 皆から見れば今の俺は激戦の末に勝利を収め放心状態になっているように見えるのかもしれない。しかし、その実は魔物たちの芝居の下手さに呆れ果てているだけだ。


「サクト!」

「うわぁ⁉」


 突然背後から抱きつかれて意識が一気に現実に戻って来る。振り返ると大粒の涙を流すヴィオラの顔があった。


「良かった……、無事で……。私が不甲斐ないばかりにサクトが……、死んで、しまうかもと……」


 あー、胸が痛む。俺が始めたことじゃないのに泣きじゃくるヴィオラに罪悪感がものすごく湧いてくる。


「ぐすっ……、先ほどはサクトの腕を疑ってしまい、すみませんでした……。あなたは私なんかより強くとても勇敢です……。まだ心が変わっていなければ、是非私と魔王討伐の旅をしましょう……」

「……………………うん、よろしくね」


 一緒に旅をできることになって嬉しいけど、腑に落ちない気持ちが強すぎてすぐに返事ができなかった。

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