第一話b

「さっき旅人みたいな子とすれ違ったんだけど、こんな村に珍しいわねぇ」

「あら、知らないの奥さん。その子、勇者らしいわよ!」

「ええっ⁉ あんな若い子が勇者なの⁉」

「らしいわよ~。ここまで連れてきた御者さんに聞いたもの」

「あらま~。一体何の用なのかしら?」

「さあね~。でも、これはここだけの話よ。勇者が来てるなんて広まったら大騒ぎになっちゃうわ」

「そうね、ここだけの話よね。でも、ハッキリと顔を見たいから、私行って来るわ」

「じゃあ私もお供しようかしら。もう勇者なんて見れるかわからないもの」



「おい、聞いたか。この村に勇者が来てるんだってよ」

「おっ、おめえさんも聞いたか。おらもさっき嫁さんから聞いて仕事ほっぽり出して来たんだよ」

「今はトーポ爺さんと話してるらしいぞ。爺さんは薬師だし薬でももらいに来たのかねえ」

「それより勇者って女らしいじゃねえか。それも飛びっきり美人の」

「そうそう。口元は布で隠していて目元しか見えなかったが、あれはその辺の舞台女優なんか裸足で逃げ出すほどだよ」

「そんなにかい⁉ おらも一目拝みに行くかなあ」

「おいおい、嫁さんにどやされるぞ。でも見に行くなら俺も付き合おうかな」

「ははっ、おめえさんこそ嫁さんに尻叩かれるぞ。まあバレないように行くべ」



 田舎村の噂は流行病のようで、あちこちで勇者の目撃情報を耳にする。そして誰もが興味津々で野次馬根性が旺盛らしい。同じ村人として恥ずかしい。

 しかしまあ、そこまで持ち上げられていると余計に一目見たくなる。おそらく俺も自称魔王の命令がなくても勇者を探していただろう。

 そして、勇者はトーポ爺さんの家に居るという情報を信じて足をそちらに向けた。と、言っても爺さんの家は俺の家の近所だ。本当にぐるっと村を散歩して家に帰ることになってしまった。


「…………」


 家の近くまで帰って来ると、俺はとんでもない光景を目の当たりしてしまう。

 この村の全人口がここに集まっていると思えるほどの人たちがいたのだ。

 不自然に道を行き来しているおっちゃんや、井戸端会議のように輪を作りながらも、ちらちらとトーポ爺さんの家を見ている主婦たち。子供たちが「勇者さーん!」と家に向かって呼びかけるものだから慌てて口を塞ぐ親たち――、しかし親もそこから離れようとしない。

 皆が皆、勇者が出てくるのを待っているのは明らかだ。これだから田舎者は、と笑われても顔を覆うことしかできない。

 そんな風に俺が村に都会人が来訪していないことを祈っていると、トーポ爺さんの玄関扉がバンッと開いた。村人たちが一斉に騒めき立つ。

 だが、そこに立っていたのはやせ細った禿頭の老人であった。つまりトーポ爺さんである。


「こらあ! 揃いも揃って何だ貴様らは! 散れ散れ!」


 村中に響きそうな怒鳴り声を上げ、トーポ爺さんは手にしたホウキを振り回した。それによって子供だけでなく爺さんに叱られながら育った大人たちも震え上がる。


「聞こえんかったか!」


 爺さんが一歩踏み出すと、集まっていた村人たちが悲鳴を上げながら蜘蛛の子散らすように逃げ出した。そうしてすぐに周りに人はいなくなり、俺だけが取り残されてしまう。


「むっ、貴様も――、なんじゃサクトか」

「俺は家に帰ろうとしてただけだから」


 聞かれてないけど俺は咄嗟にここにいる大義名分を口にする。俺もなんだかんだトーポ爺さんのカミナリは恐い。


「ちょうどお前さんに用があったところじゃ。中へ入れ」

「えっ、でも今そこに……」

「ほれ、さっさと来い」


 勇者が居るんじゃないのか、と言いかけたが爺さんが有無を言わさぬ物言いで俺を招く。そして爺さんは先に家の中へ消えてしまった。

 行くしかないか……。

 たしかに勇者を見ようとしていたわけだが、まさか出会う羽目になるなんて。

 いや、勇者がトーポ爺さんの家に居るなんて情報は噂話が出所だ。爺さんが勇者が来ているにも関わらず俺を呼ぶはずがない。どうせいつもの山で薬草を取って来いだの雑用を押し付けられるだけだろう。

 高まる鼓動を鎮めるためにあれこれと理由を探した。

 だが、


「こんにちは」


 おそるおそる家の中に足を踏み入れると、常人とは一線を画した存在であると瞬時に脳が判断してしまうほどの女の子に挨拶されてしまった。


「こ、こ、ここここ、こ」

「?」


 どこにでもいそうな旅人の服装だが、腰に携えている剣が異彩を放っている。鞘に収まっていてもわかるのだからさぞ名のある名剣なのだろう。

 が、それよりも女の子自身が後光を背負っていると錯覚するほど輝いて見える。最初の笑顔も眩しかったが、ニワトリと化している俺を見る不思議そうな顔も眩しい。村人たちが色めき立つのも納得できる美しさである。


「これでも食って落ち着け」

「――にっが!」


 突然背後から口に何か放り込まれた。めちゃくちゃ苦い。だけど乱れていた心が徐々に落ち着いて行く。


「ほれ、挨拶」

「うっ……、どうも、サクトです……」

「何をかっこつけとるんじゃ」

「いてっ」


 そんなつもりはないのに爺さんに背中をバシンッと叩かれた。


「お会いできて光栄です、サクトさん。私はヴィオレット・ブリームス。勇者として魔王を討伐するために旅をしています。よろしければヴィオラと気軽にお呼びください」

「あっ、いや俺はそんな大した者じゃないので……、そちらこそ気楽に喋ってもらえれば……」

「何をまごまごしとるんじゃ」

「――うぇ! だから苦いって言ってるだろ!」

「ふふっ」

「うっ……」


 また爺さんに苦い物を放り込まれた勢いで怒鳴ったら勇者に笑われてしまった。恥ずかしい。


「トーポさんの仰る通り楽しい方ですね」

「年頃なのか少々擦れておるがの。まあそんなわけだサクト、今晩ヴィオラさんをお前さんの家に泊めてやれ」

「ごほっ⁉ ど、どうやったらそういうわけになるんだよ!」


 突拍子もない爺さんの言葉に呼吸が一瞬おかしくなってしまった。こんな美しい女の子を男の家に泊めろだなんて常識が吹っ飛んでいる。


「儂はこれから薬の調合に取り掛かる。明朝までかかる作業じゃ。だから近所にあるお前の家が適任じゃろ」

「いや、そうはならんだろ」

「ケチ臭いやつじゃ。どうせ部屋は余っておるだろ。儂の家は狭いし薬の臭いがきつくてとても客人なんて泊めれん。つべこべ言わずヴィオラさんを案内してやれ」

「なんでそんな強引に……」

「あの」


 俺と爺さんが言い合いをしていると、柔らかくもしっかりと意志のある声が間に入ってきた。横を見ると勇者が微笑んでいた。


「やはり突然このようなお願いはご迷惑なってしまいます。私なら村の方々にご迷惑にならない場所で野宿しますので」

「いやいや、こいつは恥ずかしがっているだけで迷惑なんて思っておらんよ。ほれ、そうじゃろ?」

「うっ、ま、まあ……」


 村の中とはいえ女の子を野宿させるわけにもいかず頷くしかない。


「本当にご迷惑ではありませんか?」

「それは……、な、何ひとつ問題ないよ!」

「――良かった。では、一晩お世話になります」


 やや不安そうな眼差しで見られたら、そりよ俺もにっこりと笑って親指を立ててしまうというもの。その甲斐あって勇者は安心したようだ。


「うむ。では儂は薬の調合を始める。サクト、客人を迎える食事の用意はできるだろうな?」

「あー、村の人たちに昨日色々もらったから大丈夫、かな」

「そうか。失礼のないようにな」


 そう言うと爺さんは俺と勇者を外に出して扉を閉めた。

 さて、


「?」


 腹をくくって勇者を――、ヴィオラを歓迎するとしよう。

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