超富豪令嬢の大神宮寺さん

僕は、学校へは自転車で通っている。

ある朝、愛車ディアブロ号で校門をくぐろうとした時、ちょうど僕の横に一台の乗用車が停まった。

いや、乗用車に区分していいものだろうか。やたら重厚感があり、見たこともない外国メーカーのド派手なエンブレムがボンネットに付いた、小型の戦車みたいな車だ。


ああ、彼女か。

そう思った僕は、あいさつをするためにディアブロ号から降りる。


小型戦車の助手席からサングラスをかけたいかつい男性が出てきて後部座席にまわると、わざとらしいほどうやうやしい動きでリアドアを開けた。

中から降りてきたのは、一人の女の子。


「おはよう、新藤しんどうくん」

ソプラノ声で言いながら、彼女は長い金髪をしゃらりと掻き上げる。

「おはよう、大神宮寺だいじんぐうじさん」

僕もあいさつを返す。

「大神宮寺さんがこんな時間に登校するなんて珍しいね。いつも教室に入ってくるのは始業ギリギリなのに」

「今朝の予定に入っていた米大統領とのネットミーティングがドタキャンになって時間が空きましたの」


僕の隣のクラスの大神宮寺だいじんぐうじ慧璃華えりかさんは、超の上に超がつく大金持ち令嬢だ。

彼女の父親は世界一の大富豪で、その個人資産は5けい円を超えるという。


「そうなんだ。でも、せっかく時間が空いたんなら、普段の通学時間まで家でゆっくりしてればよかったのに」

「たまには早く登校して、暇を持て余している庶民の生態を観察するのも一興かと思いましたのよ」

大神宮寺さんは腰まで伸びた左右の縦ロールの髪、いわゆる金髪ツインドリルを大仰に震わせながらのたまった。

彼女はごく自然に他人を庶民呼ばわりする。普通なら腹を立てるところなのだろうけれど、登校前に大統領と会談する次元の人に言われると、左様でございますか、という気分にしかならない。

「では、ごきげんよう」

いかついSPに学生鞄を持たせ、大神宮寺さんは優雅な歩みで校舎へ入っていった。


          ▲


4コマの授業を終えた昼休み。隣のクラスの友人と駄弁だべるために教室に入った僕は、一人でお弁当を食べている大神宮寺さんの姿を見かけた。さすがにSPも校内までは入ってこないようになっている。

「エリカ様、今日はなに食べてはるん?」

隣のクラスの伊那嘉いながさんが弁当箱を覗き込む。伊那嘉さんに限らず、大神宮寺さんは同級生たちからよくエリカ様と呼ばれている。ものすごくイメージに合った呼び方だと思う。

「牛肉のしぐれ煮ですけれど」

「あれっ、思ったより普通やん。お金持ちは昼の弁当にもフォワグラとかツバメの巣ぶち込んでる思うとったけど」

「そんなもの家で食べ飽きてますし、学び舎では庶民の生活に合わせるようにしてますの」

「わっはー。やっぱホンマモンのお嬢様はちゃいまんなあ」

伊那嘉さんは自分の額をぺしんと叩いた。

「けどエリカ様。悪気がないのは分かっとるけど、あんまりツンツンしてたら話しかけづらいさかい程々にしときなはれやー」

陽気に言いつつ、伊那嘉さんはふらふらと去っていく。

少し話は逸れるけれど、この伊那嘉さんも例に漏れずヘンテコな人なので、別の機会にあらためて紹介しようと思う。


「……新藤くん、ちょっと」

僕の姿を見つけた大神宮寺さんが、食べ終えたお弁当を片付けて話しかけてきた。

「正直なところを聞かせて頂きたいのですけれど。わたくし、庶民の方々から見ると、そんなに話しかけづらいですかしら?」

「それは、まあ、あるかもしれないね」

さすがに即答はしづらいので、僕は言葉を選ぶ。

「どのあたりがですの?」

「ええと、なんていうか、その、高嶺たかねの花というか、浮世うきよ離れしてるというか」

「庶民のくせに勿体もったいぶりますわね。早くお答えなさい」

「そうやってナチュラルに他人を見下してるところかなぁ」

「なるほど」

大神宮寺さんは少し俯き、人差し指を額に当てて考える。

「やはり、もっと庶民に馴染むべきということですわね。新藤くん。わたくしに、庶民の生態を詳しく知る協力をしてくださらないかしら」

「協力って、具体的に何を?」

実地調査フィールドワークですわ。例えば、休日の過ごし方とか」

大神宮寺さんはぱちんと両手を叩いた。

「そうだわ新藤くん。今度のお休み、わたくしを、『庶民の休日』にエスコートしなさい」

「えっ。どうして僕が」

「あなた、ウチで飼っているボルゾイに目が似てますのよ」

「目が犬に似てるって言われたのは初めてだけど」

「生まれながらの奴隷の目つきですわ。人に命令されることに快感を覚えるタイプでしょう?」

「僕は別に構わないけど、その言い草はボルゾイに悪いよ」

「では次の日曜日に。宜しくお願いしますわね」

超富豪令嬢の大神宮寺さんは、一切の反論を許さず宣言した。


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そんなわけで、日曜日。僕は朝イチで、待ち合わせ場所のコンビニへと向かった。

スマホを弄りつつ待っていると、例の小型戦車が不気味なほど静かに駐車場へと入り込んでくる。

「お待たせしましたわね、新藤くん」

降りてきた大神宮寺さんは、白ブラウスにベージュのロングスカート、シンプルなパンプスという予想以上にカジュアルな服装をしていた。

「てっきり舞踏会のシンデレラみたいな恰好で来るかと思ってたけど」

「庶民の野暮ったいファッションは研究ずみですわ」

大神宮寺さんはドヤ顔で言った。

「それで、今日はどんな休日の過ごし方を教えていただけるのかしら」

「ちょっと待ってて、もう一人くるから」

「もう一人?」

大神宮寺さんが首を傾げていると、ちょうど待ち人が到着する。


「ええと、お待たせしました」

僕が呼んだ助っ人、真幌羽まほろばさんだ。

「大神宮寺さん、こうやって話すのは初めてだよね」

「あなたは確か、新藤君のクラスの」

「真幌羽です」

「週1ぐらいで魔法少女やってる人ですわよね」

うぐっ、と真幌羽さんは後ずさる。

「やっぱりバレてるんだ……」

「だって顔ほとんど出てますもの」

「大神宮寺さん、あまりそこには触れないであげて。今日は真幌羽さんには庶民の女子高生代表として来てもらいました」

本音を言うと、僕一人で相手をするとデートみたいになってしまうから恥ずかしい、というのが一番の理由なんだけれど。

「では早速、庶民の社会見学へと参りましょう」

大神宮寺さんは高らかに宣言して歩き出した。


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とりあえず庶民の休日といえば『お買い物』だろうということで、僕たちは町で一番大きなショッピングモールに足を踏み入れた。

「なるほど、色んな店舗があるものですわね」

ごった返しのモールを歩きながら、大神宮寺さんは興味深そうに辺りを見回す。

「大神宮寺さんくらいになると、一人でお買い物なんかしたことないでしょ?」

「馬鹿にしないでくださいまし」

僕が言うと、大神宮寺さんは心外そうに目を吊り上げる。

「今朝も一つ、言うことを聞かないドバイの原油会社を買いあげてやりましたわ」

企業の敵対的買収は、お買い物ではない。

「あ、あのポーチかわいい」

真幌羽さんが、雑貨屋さんの店頭に置いてあるキャラもののグッズに吸い寄せられてゆく。そう、お買い物とはこういう行為のことだ。

「これくださーい」

真幌羽さんは即決タイプらしい。すぐ会計を済ませ、目当てのポーチを手に入れた。

「かーわいーい」

ポーチを持ってご満悦の真幌羽さん。

「なるほど、ああいうのが流行りですのね。ではわたくしも」

大神宮寺さんも、そのキャラもののポーチを手にレジへと向かう。まったく同じ商品を買うのはどうかしらとか、そんなことを彼女に言っても恐らく通じないだろう。

大神宮寺さんは、ポーチをずいっと店員さんに突きつける。

「コレくださいまし。何億かしら?」

訊かれた店員さんは困惑の表情を浮かべた。そう言えば、今まで大神宮寺さんの口から億未満の金額を聞いたことがない。たぶん彼女は日本円の最小単位が9桁からだと思っている。

「ええと、4,000円ですけど」

「はァ?」

大神宮寺さんは令嬢にあるまじき不穏な音程で訊き返した。たぶん僕ら庶民の目線だと『4もんです』と言われたぐらいの感覚なのだろう。

「え、エリカちゃんとりあえず財布だそっか」

このままではめんどくさいことになりそうだと察した真幌羽さんがフォローに入ってくれる。ごく自然に名前呼びになっているところも含めて女子力が高い。

「財布? そんなもの持ってませんけれど」

「え!? あ、そっか。お金持ちだから現金なんか持たないんだね。じゃあクレジットカードか電子マネーで」

「そんなのも使ったことありませんわ」

「えっ? じゃあどうやって支払うの?」

「支払いなんてやったことありませんわ。いつもじいやかSP任せですので」

僕と真幌羽さんは顔を見合わせる。

今朝ドバイの原油会社を買収したとか言ってる人は、まさかの無一文だった。


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「なるほど。買い物をするには金銭が必要でしたわね」

大神宮寺だいじんぐうじさんは、聞きようによっては哲学的に思えなくもないことを言った。

「恩に着ますわ新藤しんどうくん。お金は億倍にして返しますので」

「いや、金利はゼロでいいよ」

結局、ポーチ代は僕が出し代えておいた。

「そうは行きませんわ。さらに今から昼食代までお借りするわけですし」


ちょうどお昼どきになったので、買い物をひと段落させた僕たちは、フードコートにある業界最大手のハンバーガーショップに来ていた。

「本当に混んでおりますわねぇ」

30分近く待ってやっとのことで確保したボックス席に座って辺りを見回しながら、大神宮寺さんは溜息を吐く。

「さすが、世界で一番流行っている外食チェーンですわ」

「大神宮寺さん……ハンバーガー、ひょっとして今まで一回も食べたことない?」

「もちろん」

「じゃあどうぞどうぞ、冷めないうちに」

「それでは早速」

手元の紙袋からガサゴソとダブルバーガーを取り出し、ゆっくりと口を開けて嚙り付こうとする大神宮寺さん。


僕は、そんな大神宮寺さんの顔をじっと見つめた。


隣の真幌羽まほろばさんも、大神宮寺さんの顔を凝視している。


「……なんですの?」

大神宮寺さんは怪訝な顔をする。

「いや、別に」

「どうぞどうぞエリカちゃん」

「はあ。では頂きますわ」

あらためて、大神宮寺さんはダブルバーガーにかぶりついた。


「……………………」

しばらく無言で咀嚼したあと。

「……お金を出してもらっといて物凄く言いづらいのですけれど……何だか……もっさもさで……あんまり……おいしくないですわね……」

大神宮寺さんは小さく呟いた。


「あー。そっちかぁ……」

僕は落胆の色を隠せなかった。ひそかに『何コレめちゃんこ美味いですわ!』みたいなお金持ち初ジャンクフードのテンプレリアクションを想像していたのだ。

「まあ、普通はそうなるよねぇ……」

真幌羽さんも肩を落としている。同じような期待をしていたのだろう。


がっかりしつつ、僕と真幌羽さんもハンバーガーを食べ終えた。

「あっ、シークレット当たった!」

真幌羽さんが、セットに付いてきた食玩しょくがん箱を開封して嬉しそうな声をあげる。

「シークレット?」

当然そんなシステムなんて知らない大神宮寺さんは、真幌羽さんの手元を覗き込む。

「おもちゃが付いてるラッキーセットだよ。65536分の1の確率でシークレットが入ってるの」

真幌羽さんは得意げに小さなフィギュアストラップを見せつける。

「きもっ! 何ですのコレ」

「えっ。エリカちゃん『ひもじいようちゅう』知らない?」

肉も野菜も何でもかんでも食べてしまう、おなかを好かせた蝶の幼虫をモチーフにした人気絵本キャラクターのフィギュアストラップだ。

「どぎつい原色ばっかりで、完全に毒蟲どくむしのカラーリングですわ」

「『キモかわいい』と、『もうただただキモい』の境界線ギリギリに立ってる感じがいいんだよねぇ」

真幌羽さんは恍惚の表情をしている。今日は大神宮寺さんのせいで霞んでいるけれど、そういえば彼女も大概おかしい人だった。

「記念にエリカちゃんにあげる」

「えぇっ」

真幌羽さんが笑顔でストラップを差し出すと、今日一度も揺るがなかった大神宮寺さんの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。

「あの、そんな貴重なもの受け取れませんわ」

「いいからいいから」

辞退しようとするが、ストラップを無理くりてのひらに握らされる。

「では、頂きますわ……」

大神宮寺さんはしぶしぶ毒蟲どくむしストラップを受け取った。

「じゃあ腹ごしらえも終わったところで、ショッピングの続きに行こうか!」

満を持した様子で、真幌羽さんは立ち上がる。

どうやら休日は昼過ぎからテンションが上がってくるタイプの人だったらしい。

「え、えぇ……」

少し引きつつ、大神宮寺さんも続く。


それからも雑貨屋やアパレルショップを何件かハシゴして、最後にカフェでタピオカミルクティーを飲み、大神宮寺さんの『庶民の休日』は幕を閉じた。


          ▲


次の日、月曜日の朝。僕がディアブロ号で登校すると、驚いたことに大神宮寺さんが校門の前で待っていた。

「新藤くん、昨日はありがとうございました。勉強になりましたわ」

「ひょっとして、それを言うために待っててくれたの? 今朝もいろいろ予定があったんじゃ」

「世界経済調整会議があったのですが、ブッチしてやりましたわ」

世界経済の調整よりも優先されてしまった。

「庶民の生活、どうだった?」

「まあ、予想してたほどつまらなくはなかったですわね」

肩を竦める大神宮寺さんだけど、その脇に抱えた学生鞄に『ひもじいようちゅう』のストラップが付いているところを見ると、けっこう楽しんでもらえたみたいだ。


「今度はカラオケとかボウリングに連れてってくださいましね」

そう言うと、SPを従えた大神宮寺さんは校舎へと入っていった。

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