完璧俳人の加賀さん
「
国語の授業中。背後から囁き声が聞こえた。
「どうぞ」
僕は筆箱から消しゴムを取り出し、後ろの席の女の子に手渡す。
「消しゴム、使い切っちゃったの?」
「落としたの。多分さっきの、理科室に」
彼女は答えた。なるほど。たしかに一つ前の授業は移動教室だった。
「このあとで、ちょっと探しに、行ってみる」
「うん。もし理科室で見つからなかったら、今日はその消しゴム使ってもらっていいよ。僕ふたつ持ってるから」
「悪いわね。この恩いつか、返すから」
「別にいいよ。僕もこの間、
「なるほどね。
「ちょっと言葉の意味が違う気もするけど……」
クラスメイトの
俳句研究会の会長を務めているので、ポリシーなのだそうだ。
▲
休み時間に理科室へ向かった加賀さんは、落としていた消しゴムを無事に発見して戻ってきた。
「ありがとう。失くした
「よかったね」
僕は貸していた自分の消しゴムを受け取る。
そしてその次の、数学の授業中のこと。
「で、この円の上を動く点Pがあるわけだ。この時の中点Mの軌跡を求めよ、と」
黒板にすらすらと板書していた
「じゃあこの問題を解いてもらおう。今日は26日だから、出席番号26のやつ……あ、加賀かぁ」
霧沢先生は『しまったなぁ』という顔をした。
生徒たちも『しまったなぁ』という顔をする。
「いとをかし。
加賀さんはゆっくりと立ち上がる。
「
「うむ」
「
「縦横無尽というか、まあこの円の上しか動かないけどな」
「
「(x-5)
生徒たちはあくびをしたり、こっそりスマホをいじったりし始める。
加賀さんが授業で先生に当てられると、とにかく長い。
「
「およそというか、まあ8だよ」
言葉の装飾をしやすい国語や社会科とかならまだいいが、数学との相性は最悪だ。短い単語でビシッとキメられないから、ものすごく冗長になる。
加賀さんと霧沢先生のやり取りは、さらに10分近く続いた。
「あはれなり。
「……そうだな。つまり答えは、座標3分の8と0を中心とした、」
「半径が、
「ハイありがとうございましたーもう座ってください」
不毛な問答をようやく終え、霧沢先生はヤケクソみたいな口調で言った。
たぶん先生としては「分かりません」と言ってくれたらいっそ楽なのだろうけれど、言葉選びが冗長過ぎるだけで、加賀さん本人は問題と解答を完璧に理解して喋るからなおのことタチが悪い。
「……なあ加賀。お前、それ、どうにかならんのか」
霧沢先生が苦虫を嚙みつぶしたような顔で訊ねる。
「なりませぬ。たった一つの、
えらくかっこいいことを言いながら、加賀さんは優雅に腰を下ろした。
▲
放課後。下駄箱で靴を履いていると、後ろから声を掛けられた。
「
魔法少女の
「ないならさ、一緒に食べて帰らない? 最近ランチのおいしいお店ができたんだって」
今は期末テスト準備の半日授業期間なので、学校はお昼で終わりなのだ。
「いいね。ちょうど昼ごはん何にしようか迷ってたんだ」
ほんとは行きつけのラーメン屋さんで食べるつもりだったけれど、せっかくのお誘いを断るわけにはいかないので咄嗟に答える。
「でも真幌羽さん、僕と二人だけでいいの?」
僕は『異性と二人っきりは恥ずかしくないでしょうか』の意味で訊いたのだけれど、
「うーん? 二人だけだと寂しいかなあ?」
真幌羽さんは単純に戦力の
「じゃ、今日も
僕は肩透かしを食らった気分になりつつ提案してみる。大神宮寺さんというのは、同じく最近なかよくなった大金持ち令嬢のことだ。
「残念。エリカちゃんはついさっき、いつものロックな送迎車で帰ってたよ。今日の午後は
「それ、言っていいのかな?」
彼女のことだから、ジェームズボンドにもコネがあるかもしれない。
「まあ、大神宮寺さんは空いてない、と。そしたら、他に誰か……」
逡巡している僕の目の前を、ちょうど加賀さんが通りかかった。
「加賀さん、いいところに」
声をかけると、足を止めた加賀さんは僕と真幌羽さんの顔を見比べる。
「新藤くん。それにマホショの、真幌羽さん」
マホショとは恐らく魔法少女のことだろう。文字数縛りのため、加賀さんはけっこう無茶な言葉の略し方をすることが多い。
「マホショは恥ずかしいから学校で言わないでほしいなあ」
照れながらも、真幌羽さんは自然な感じで笑っている。最近、この学校には自分と同じくらいへんてこな連中がわんさかいると気付いて慣れたらしい。
「加賀さん。今から新しくできた美味しいランチの店に行くんだけど、一緒にどう?」
僕が誘うと、加賀さんは右手の親指を立てた。
「かしこまり。
音の数を調整するため、加賀さんの口調と語尾は割とコロコロ変わる。
「でもフレンチだかイタリアンだか、洋食メインのお店らしいよ。加賀さん俳句の人だけど口に合うかな?」
真幌羽さんは心配そうに言った。俳句の人は洋食を食べないというのは偏見だし、そもそも俳句の人というカテゴライズの仕方がおかしいと思う。
「失敬ね。
「そうなんだ。家ではおやつにようかん食べながら抹茶飲んでるイメージだけど」
「そうでもにゃー。おやつは
「へぇ。カップラーメンなんて食べるんだね。意外!」
真幌羽さんの言葉に、加賀さんは大きく頷いた。心なしかドヤ顔っぽいのは、
「行きましょう。さあ行きましょう、行きましょう」
真幌羽さんも心なしかドヤ顔ぎみで言った。加賀さんを真似て
▲
噂のお店『エントロピー』には、学校から歩いて15分ほどで辿り着いた。いかにもファンタジー映画に出てきそうな、木造のお洒落な店だった。僕たち3人は空いているボックス席へと通される。
「ええと、メニュー表どこですか?」
テーブルの上を眺めながら真幌羽さんが訊ねた。
「固定のメニュー表はございません。その日に仕入れた一番のお勧め食材を調理致しますので、口頭でのご案内となります」
席に案内してくれた美人の店員さんが、人の好さそうな笑顔で答える。
「すごい! おしゃれ!」
真幌羽さんは語彙力のなさすぎる感想を述べた。
「
加賀さんは語彙力のありすぎる感想を述べた。
「本日は希少なブランドのチーズが入りましたので、チーズ料理お勧めデーとなっております。チーズハンバーグ、チーズダッカルビ、海鮮山盛りドリアに……」
「山盛りドリアで!」
すらすらと説明する店員さんに、真幌羽さんが食い気味に注文する。僕はチーズハンバーグにした。
「お客様は?」
最後に残った加賀さんは、申し訳なさそうな顔で首を振る。
「すみません。チーズは臭くて、苦手です」
「もちろんチーズを使わないメニューもございますよ」
店員さんは笑顔で言った。
「教えてよ。とびきりお
「本日のチーズ無しの料理は、ええと、『シェフがお祖母ちゃんに教わった秘伝のアーリオオーリオペペロンチーノ』『バルト海の春風が優しく運んできたカルトゥペルパンクカス』『味噌カツ』の3つでございますね」
「味噌カツで。ついでに付けて、半ライス」
文字数縛りのせいで選択肢が一つしかない加賀さんは、悲しそうな顔で注文した。
少し待っていると、注文した料理が運ばれてきた。
僕はチーズハンバーグにナイフを入れる。店員さんの言った通り、今までに食べたことのない変わった風味のチーズがとてもおいしかった。
「おいしいおいしい!」
真幌羽さんは笑顔でドリアを頬張っている。
「イケてるわ。
カツを齧りながら、神妙な顔で相槌を打つ加賀さん。でも味噌カツは多分この世で最もオシャレから遠い食べ物の一つだから、きっとやせ我慢だろう。
「へぇ。じゃあ加賀さん、もう二年以上ずっとその喋り方なんだ」
「
食後の紅茶を飲みながら、加賀さんは自慢げに答える。
「でも、季語とかは入れないんだね。ほんとは一つ入れなきゃいけないんでしょ?」
「無茶言うな。ンなこと
「そっかぁ。日常会話だけでも大変なんだね」
じゃあ普通に喋ればいいのに、と真幌羽さんの目が言っているけれど、口に出さないのは優しさだろう。
「あっ、すみませぇん!!」
そこにちょうど通りかかった店員さんが、足を滑らせて加賀さんのスカートにお
「うごごごご。こんなのないわ、そりゃねぇわ」
加賀さんは慌ててハンカチを取り出す。突発的な事態ではさすがにフワフワしたことしか言えないけれど、それでも縛りは崩さないのだから凄いと思う。
▲
食事を終えた僕たちはお店を出た。
「おいしかったねぇ。今度また別メニューにも挑戦しなきゃだ」
真幌羽さんはポイントカードまで作ってもらって上機嫌だ。
「次こそは、
加賀さんはやっぱり味噌カツはオシャレじゃなかったと認めた。
帰り道の途中の交差点で、僕たちはちょうど3人とも別れることになる。
「加賀さん、今日はいきなり誘っちゃってごめんね」
「なんちゃない。これぞ青春、
僕が言うと、加賀さんは真面目な顔で答える。
「今度またどこか遊びに行こうね」
「あたぼうよ。
真幌羽さんの言葉に、グッと親指を立てて返す加賀さん。
「ではまたね。さよならだけが、人生だ」
流暢に言い残し、加賀さんは手を振りながら交差点を曲がってゆく。
「じゃあ、わたしも帰るね」
「うん。またね、真幌羽さん」
「さようなら、バイバイバイバイ、また
クオリティの低すぎる句を
二人の姿が消えるのを見届け、僕も家に向かって歩き出す。
ほんとうに、ヘンなひとしか、いないなあ。
僕のまわりのヘンテコな人たち 天宮伊佐 @isa_amamiya
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