第10話 仰天!宿屋の女将は超越者


「ここだ。おーい! 婆さん! 着いたぞう!!」


 父上の先導で街の中を進んでいたワシらは、途中から中心街から西に外れた一角にある宿屋に到着した。


 老舗しにせの空気漂う宿屋のエントランスには、よく磨かれて飴色になった木製の調度が品良く並べられ、壁にかけられた振り子時計がカチ、コチ、カチと規則的な音を奏でている。仄かに残る甘い香り、これは葉巻シガーじゃろうか? ——静かで、瀟洒しょうしゃな大人の空間がそこに広がっておった。

 ……そこに、さっきの父上のである。あ、母上が頭を抱えておる。


「相変わらずうるっさいねぇ。アンタの馬鹿声で怒鳴らなくても聞こえてるよ。まだ耳は遠くないんでね」


「だはははは、わりぃわりぃ! 今日はウチの一家で世話になる。チビ二人に子龍までいて騒がしくてすまねぇが、宜しく頼むぜ」


「一番騒がしいのはアンタだろうに、アーク」


 エントランスホールから二階に繋がる階段の上から、細身の老婦人が煙管キセルくゆらせながら降りてくる。


(…………なん、っと……!)


  老婦人を見た瞬間、ワシは瞠目どうもくしてしまう。その歩き方、身のこなし一つから老婦人が身に付けた恐ろしいまでの技量が感じ取れた。流派は純粋な剣ではあるまい。じゃが、技量レベルだけなら師匠に匹敵する程か。……一体何者なんじゃ、このお婆様は。


「もーー、いつもウチの旦那が済みません……。お久しぶりです、老師」


「久しいねぇ、スピカ。探索者シーカー辞めて以来かい? ああ、老師は辞めてくんな。もう随分前からタダの隠居のババアさ。……それで、例の話のはその子らかい?」


 老婦人は煙管キセルの先でワシとミラを指す。ピタリ、と中空で止められたその先端に、美しい剣の理合が宿っておった。


(…………ぬぅ!!!!)


「ほう、やるもんだね。あながちアークの大法螺おおぼらという訳ではなさそうだ。……アンタ、名は?」


「……ケイト。ケイト・レシュノルティアと申します」


「ケイト。“計都ケイト”か。成る程、良い名だ。……?」


「ええ、


「そうだ。お前は剣で合わせて上手くなしたね」


「次に左薙ぎ。これは後ろに避けました」


「そうだ。次は?」


「……よくは、分かりませぬ。同時に左右、上下から斬撃が。られました」


 ワシの背には氷水のような冷え切った汗が流れておる。……今、


 真っ青な顔で冷や汗を流すワシの表情を見て、老婦人は口を押さえて大笑した。


「いや、いや、試して悪かった。すまないね、ケイト。だが、そこまで見えてたら私から教えることなぞそう残っていないよ。……アーク、アンタの子は鬼子だね。この子は本物だ」


 


 実剣を持たず、「相手を斬る」という意思——剣気というべきものを相手に向けて飛ばし、想像の中での斬撃を見舞うというわざ

 卓越した技量を持つものだけがそれを認識し、反応することができる。……じゃが。


(師匠以外から、これを喰らうとは思っておらんかった……)


 不覚も不覚。前世のラゴウであればどの剣にも十全に反応してみせたものを、今のワシでは二太刀合わせるので精一杯じゃった。完全に、意識が甘くなっておる。


「ぐぬぅぅぅ、無念! じゃが、いずれ必ず第二第三のワシが現れて恨みを晴らすじゃろう……」


 スパ、ザク、シャキーンっ


「ぐわぁぁぁぁっ!!!!」


「……ノリは間違いなくお前の子だよ、アーク。意外と愉快な子だね」


 これだけキッチリボコられたのは師匠のところを出奔して以来じゃ。マジで何者なんじゃこの婆様。


「……ねぇ、ケイト。本当に途中まで見えて、しかも避けられたの?」


「信じられねぇ。……俺がそれが出来るようになるまで何年掛かったと」


 精神的疲労で磨かれた床の上で大の字でノビておるワシを覗き込むように、両親が左右からサラウンドで何か言っておる。なんじゃー、ワシしんどいんですけどー?




 そのまま、ぐったりしたワシを父上が担いで、取ってあった部屋まで案内された。そこは、最上階の三階の角部屋、二部屋分を繋げた「特別室」であった。

 坂の上の他よりも小高い土地に建てられた宿屋であるため、三階からの景色であるが迷宮都市の幻想的な夜景が一望できた。……なるほど、これは特別じゃ。


「のう、父上。あの宿屋の女将はどういったお人なのじゃ?」


「ああ、ビックリしたろ? あの人はなぁ、俺とスピカの師匠筋に当たる人なんだよ。あんな婆さんだけどな、多分この都市まちで一番か二番に強えんじゃねぇかな?」


 聞けば、それはもう凄いお人じゃった。


 元・英傑セイヴァー級探索者、イレーネ・アレクサンドラ。

 探索者シーカーギルドが公認する、最上級探索者……だった、人。


 今から三十年ほど前に活躍した探索者で、今なお残る『月曜宮ソーマ迷宮ダンジョン最深階層到達者レコード・ホルダー


 探索者シーカーは、ギルドの定めた規定により、以下の七位階に級位クラスが分かれておる。下から順に、


 『屑石ストーン級』

 『黒鉄アイアン級』

 『鋼鉄スチール級』

 『青銅ブロンズ級』

 『白銀シルバー級』

 『黄金ゴールド級』

 そして、『英傑セイヴァー級』


 と決まっておる。

 この中で、父上や母上は『白銀シルバー級』であり、この級位クラスでも地域に一組、二組パーティが存在するか否か、という少なさなんだとか。

 兎に角、上位の級位クラスに認定されるにはギルド公認の『偉業』を打ち立てる必要があり、普通なかなかそんな機会に巡り会わないのだと父上は言う。


(……じゃが、ワシは知っておる。ワシやミラが生まれて以来、父上は迷宮探索の危険度リスクが随分低いところだけを潜っておることを)


 深い階層であればこそ、ギルドをも唸らせる明確な「成果」を持ち帰れるというもの。

 じゃが、父上はワシらのために無茶を控えてくれておるのじゃ。


「俺のことはいーんだよ! それよかほら、イレーネ婆さんの話だろ?」


 探索者シーカー級位クラスは上に上がれば上がるほど上げにくくなる。

 白銀シルバー級探索者の人数が、全世界で百名程度。

 白銀シルバー級の上の黄金ゴールド級で、世界で二十名ほど。

 最上級の英傑セイヴァー級については、現役の探索者が世界中合わせても三人しかいない。


 ほとんど天災と同義である龍の暴走を鎮めたり、迷宮ダンジョン奥深くの未踏領域でのみ出現するレアエネミーの情報を持ち帰ったり、迷宮ダンジョン内の順路が一定期間ごとに組み変わる「変遷」という現象によって一度は閉ざされた領域への別ルート確立など。これらの「偉業」を息をするようにこなして、初めて『黄金ゴールド級』から『英傑セイヴァー級』への昇格が認められるのだとか。……どんな化け物じゃ、それ。


(そんで、現役を退いた元『英傑セイヴァー級』が、ここにおると)


 そりゃあもうビックリするほど強い訳じゃ。

 世界でも五指に入るとか、そういう次元の強者じゃもん、それ。


(前世の『剣豪ラゴウワシ』なら勝てるか……? や、なんか相性によっては普通に負けそうな気がするのう)


 ちなみに、前世のワシも「世界最強の剣士」とは謳われておったが、真の意味での「世界最強」はワシではなかった。


 チート持ち異世界転生勇者とか、

 存在が半分チートなエルフ魔導師とか、

 実質無限の軍団召喚できるアホ魔族とか、

 ワシのいた勇者パーティの仲間たちには誰にも勝てる気がせん。

 ぶっちゃけ剣だけで言っても師匠の方が強いが、あの方は創世神様カミサマと同ジャンルの存在らしいので一旦別とする。

 ……という、はちゃめちゃ強いメンツとほぼ「同格」とワシはあの婆様を判断した。うむ、ほぼほぼ人外じゃな。


 つーか、父上も母上もエラい人に師事しておったもんじゃ。二人がこの時代の水準でも強者である理由が痛いほどよく理解できた。……成る程のう。あの婆さんの弟子が、生半可な鍛え方をされている訳があるまいて。


 ベッドの上で正座しながら、ワシは今までの父上の話をしっかり聞いて、その上で思った。


「……そういえば、なんでワシ、めっちゃ狙われとったの??」


 サッ、とワシから目を背ける父上。あーん? なんじゃーその不審なムーブは? 父上、なんかやらかしとらぬかーー?


「やっ、あのだな。俺の配信でちょくちょくお前の話をしちゃってたらだな。婆さん……いや、師匠が一度顔見せに来い、と……」


「……父上、ワシのこと配信でなんつっとったの?」


「…………剣の天才、とか。俺より強い神童、とか……」


 この時点でぐむっ、となるが我慢して先を促す。


「とか? 他には?」


「……大剣豪ラゴウの生まれ変わりだ! とか」


「!!」


 一瞬、よもやワシの前世について知っておるのかと思って肝が冷えた。……じゃが、父上がいつも詰められた時にする「モジモジ」が発動しておったので、恐らくバレてはおらん……筈じゃ。……ただ、それ以外にちょっと気になる事がある。


「……のう父上。それって視聴者リスナーの皆様からどんな反応なんじゃ?」


「えーとだな……」


 ゴソゴソ、とポケットから携帯用の魔晶石モニターを取り出して、父上の配信チャンネルである『熊戦士ベルセルクの熊ちゃんねる!』に接続する。なになに……?


コメント

・まーた熊が小熊自慢してるのか。

・親バカ熊さん。

・俺よか強いってまだ子供だろ? 流石に草を禁じ得ない

・剣豪wwラゴウのwwww生まれ変わりwwwwww


「めちゃくちゃ煽られとるじゃないか!!」


「いやーみんなコメントくれるのありがたいよなー」


 父上、基本的にどんなコメントでも笑って許せる勢なので視聴者リスナーの民度がやや低めである事に定評がある。……そしてそれワシに飛び火してるんじゃけど。


・てかさウワサの小熊くん。十歳になったなら今度『誦魔しょうまの儀』やるんでしょ? 聖堂のLIVE中継でウォッチしよっと

 


 ん? これってワシのこと?

 『誦魔しょうまの儀』って、なんじゃ??

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