第一章 古の大剣豪、転生す
第1話 大願!とある剣豪の百年の祈り
無限に続く黒雲の果てから、世界が砕ける音が響く。
空間を維持する力の源が滅んだことで、この亜空間自体が崩壊し始めているのだ。
(あー、やっぱコレ。助からんヤツじゃのう……)
徐々に
だが、もう指先一つ動かす余力もない。
ならもうジタバタしてもしょうがあるまい、と開き直って、白髪の小柄な老人は焼け焦げた地面に大の字になって倒れ込んだ。
(大剣豪ラゴウの生涯もここまでかのう。……ふむ、まぁまぁ悪くない人生じゃったな)
それがこのラゴウという老人の物語だった。
人と魔族が相争う百年の戦乱の世で、生まれたばかりの頃に親を
それ自体はどこにでもある「ありふれた悲劇」でしかなかったが、ラゴウは偶然剣の師となる人物に拾われ、か細い生命を繋いだ。
人よりもほんの少しだけ運が良かっただけ。
それが、ラゴウの人生の始まりであった。
それから、剣を振るって戦い続けた。
幸運に恵まれて拾った命。どうせなら誰かを助ける為に使いたい。
その願いを胸に何十年もの時間を戦場で剣を振るっているうちに、いつしかラゴウは『剣豪』と呼ばれるようになる。
やがて、ラゴウは『勇者』と出会い、志を同じくして人と魔族の最終決戦、『人魔大戦』を共に戦った。
そして、勇者と剣豪は戦禍の根源に至る。
外宇宙から飛来せし「星を喰らう者」。
惑星の生命力そのものを喰らい尽さんとする強大な
この世界の生きとし生けるもの全てを滅ぼす災厄そのもの。
それが【覇滅龍ラーヴァージャナ】であった。
千年前の魔族の英雄たちによって一度は討伐直前までいくも、甚大な犠牲を払って遂に打ち果たすことはできなかった。
なんとか封印には成功した。
だが、それから千年もの歳月が経ち、封印は綻びはじめ、崩壊寸前となっていた。
永きに渡って封印されてきた覇滅龍は眠りから目覚めんと、虎視眈々と復活の刻を待っていた。
魔族の中で代々封印を維持し続けてきた「
そこで、魔族は何も知らずに栄え、増え続ける人間たちの生命を、封印の
世界の安寧の為に、お前達も血を支払え、と。
それが人魔大戦の始まりだった。
だが、その全ての歴史を聞かされたのは、勇者と剣豪が魔皇を討ち果たしてしまった後のことだった。
封印術式の
魔皇と相討つ形で力を使い果たした勇者に代わり、百まで生きた剣豪は
「ここはワシに任せんしゃい」
と力尽き倒れた勇者パーティの仲間たちに向かってニヤリとひとつ笑ってピースしながら、自ら覇滅龍の封じられた亜空間に身を投じた。
……これが今生の別れとなることを、直感しながら。
そして。
最後の闘いが始まった——。
………………
…………
……
——そして。
死闘は幕を閉じた。
「いやぁ。しっかし、マジで勝てるとは思わんかったな……。ワシってやっぱ、ちょびっと
それはほんの紙一重の勝利であった。
去り際に仲間から渡された全ての
だが、それでも勝利した。
たった独りで、神に等しい世界を滅ぼす存在を斬獲せしめたのだ。
(——あの
最後の一合。
全身全霊と剣士としての技量と覚悟、そして魂の全てを載せた一刀を放ったその瞬間。
ラゴウは師がいつか語っていた「剣の極致」に至ったという確信を得ていた。
刃が覇滅龍の首筋に触れた、その刹那。
何度も何度も剣を弾いた硬く重い覇滅龍の鱗を滑らかに切り裂き、無限に再生する九つの首を全く同時に斬断し、不滅と同義である「覇滅龍」という概念ごと一刀両断していた。
——あの一撃は、神ですら殺しうる。
今も掌に残る感触を確かめながら、ラゴウは自らの剣閃を何度も思い出していた。
「——剣士ラゴウ。よくぞ、世界を救ってくれました」
「うわ、びっくりした。誰じゃ!?」
飛び起きて、瞬時に構えをとる。
なんじゃ戦闘終わっておらんかったのか!? ヤバい油断した——!
「私は『創世神ミト』。世界を創りし“はじまりのひと”が一人。……安心なさい。貴方の敵ではありませんよ」
ラゴウの眼前にふよふよと、人間の子供の姿をした存在が宙に浮かんでいた。
一見すると普通の子供にも見えるが、明らかに「人間ではない」空気を纏っている。
性別を超越した美しすぎる
「なんじゃ、ビビって損したわい。……ところで、
子供の姿をした創世神は、ふふっと微笑んでラゴウに答えた。
「よく分かりましたね。でも、それは私ではありません。……貴方の剣の師である『剣神リノ』は、私と同じ“はじまりのひと”の一人です」
「あぁ、成る程。……やっぱあのアホ師匠、人間じゃなかったか。納得じゃ」
あんなバケモノ、人間であってたまるか。
姿形は全く似ていなくとも、あの鬼神も
「本当によくやってくれました。
「難しい話はよく分かりませぬが……世界の為に少しでも役立てたのなら、ワシとしてはオールオッケーですじゃ」
満身創痍で力なく地面に座り込むラゴウは、それでも創世神に向かってニッコリ笑ってみせた。ワシの力が役に立って良かった、と。
創世神はラゴウに向かって続ける。
「世界を救った英雄に、ささやかですが褒美を与えたいと思っています。——ラゴウ、どんな望みでも構いません。何か叶えたい願いはありますか?」
どんな願いも叶えてあげられます、と創世神はラゴウに微笑む。
うーん、とラゴウは
——ワシの望みって、なんじゃろう? と。
子供の頃から剣一筋に生きてきた。
剣を極め、剣で世界を少しでも良くすることが人生の目的であった。
剣の極致に至り、世界を救った今。
そのどちらも叶えてしまった状態だといえる。
そこでラゴウは少し困って、もう一度自分の人生を振り返ってみて……一つの「答え」を得た。
「神様」
「願いは決まりましたか?」
ラゴウは、覇滅龍を滅した一撃と同等に魂を載せて、己が願いを口にした——!
「ワシ、
ですじゃ——ですじゃ——ですじゃ————
亜空間の黒雲満ちる空に、ラゴウの魂の叫びが
「……」
「…………」
「………………ダメかのう?」
「いえ! ダメとかそういうのではありません! ただちょっと、面食らったというか」
「お、おお! 良かったー! そういうのじゃないから、ってドン引きされたのかと思いましたわい!」
やれやれ、驚かさんでくだされー! とラゴウは冷や汗を拭うが、事実としては概ね合っていた。
(……世界の守護を司る『守護神』としての転生、なんて選択肢もあったのですが、思いの外個人的な望みがきましたね。リノ、貴方の弟子は本当に貴方そっくりです)
創世神ミトは自分と同質の存在であり、古い友でもある剣神リノに想いを馳せる。……あの友もまた、どこまでも自分の欲求に素直な性格をしていた。
創世神の思いを知ってか知らずか、ラゴウは己の望みを話しはじめた。
「こんな時になんですが、ワシ、百歳なんじゃが童貞でして」
「……はぁ」
「それも全てはあのアホ師匠の言いつけなのですじゃ」
剣の道を歩みはじめたある時。
ラゴウの剣の師である女傑、リノはこんなことを言った。
「剣ってのはなぁ、
ラゴウ、十二歳の頃である。
思春期を迎えて色々とムラムラきていたラゴウは、殺気すら纏う師匠の台詞に、冷や水をぶっ掛けられたような気持ちになった。
自分の裡の、欲に塗れた愚かな心を見透かされたと思ったのだ。
「それから、ワシは己を恥じてより一層剣の道に没頭していったのですじゃ……。そして、気が付いたら童貞のまま、ジジイになって、おった……」
「……」
ラゴウは、ずうぅん、と肩を落とす。
「後になって知ったのじゃが、あの時のセリフは、師匠が酒場で知り合った男と『結構イイ感じ』になったのに、土壇場で逃げられた事へのただの八つ当たりだったのじゃ。……ワシ、あんまり関係なかったのじゃ」
「……なんというか、お気を落とさず……?」
結果として、
それは不幸という言葉で片付けるには、重た過ぎる業であった。
だが、長い人生の中で、ラゴウにも「これワンチャンあるんじゃね?」と思った瞬間が、ほんの数回だが確かにあったのだ。
共に星を眺めたあの夜。
野営中に肌を寄せて温め合ったあの時。
そして、最終決戦の前夜。
長く歩んだ道の中で、ラゴウとて幾人かの女性と親しい関係になることはあった。
旅の仲間、危機から助けた姫君、そして——。
「ワシ、いつも自分には剣の道があると言って、
そのいずれとも、決定的な関係を結ぶことはなかった。剣の道を極める為、と自らを騙し、相手の中の自分へ向けられた想いを見て見ぬふりをした。……ただ、己のヘタレさが故に。
「ワシ、生まれ変わって、今度こそ恋愛できる男になりたい。……勇気を、出したいのです」
ラゴウは真摯な想いで、己の後悔を口にした。今度こそ逃げずにちゃんと向き合う、と心に誓って。
ガラスが砕けるのに似た音が近付いている。
気が付けば、亜空間の崩壊はすぐそこにまで迫っていた。この場所に留まっていられるのも、あとほんの僅かな時間になるだろう。
「……よく分かりました。剣士ラゴウよ。貴方に新しい人生を与えましょう」
ラゴウの身体が光の粒子となって、輪郭が解けていく。
「そこで、貴方なりに実りある恋愛ができるように頑張ってみてください。……折角です、貴方の極めた剣の技量は持ち越せるようにしましょう。きっと何かの役に立つはずです」
「おぉ……感謝します。神よ」
ラゴウの姿形が光となって消えた後。
そこには眩く輝くラゴウの魂だけが残った。
創世神ミトは、その輝きを優しく胸に押し当て、ラゴウが生まれ変われるように祈った。
「……あ、そうです。一つだけ」
(……?)
「フラグ管理は、慎重に、ね?」
薄れゆく意識の中で、ラゴウは思った。
ふらぐ、とは? と————。
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