第5話 その5

「ノザキさん!」

 先輩が声を上げると、崖の下側の藪の方から声が聞こえてきました。

「ここです。すいません、足を滑らせて落ちてしまいました。」

 薄暗い崖の方を覗くと、確かにノザキさんの上半身が見えたそうです。

「今は藪に引っかかってますけど、バランス崩れたら、そのまま落ちちゃいそうです。私のことは気にしないで、あなただけでも逃げてください。」

 絶望的な状況でもノザキさんは、先輩のことを気にしてくれたそうです。

 先輩はどうすべきか一瞬迷ったそうですが、すぐにその場でうつ伏せになると、

「ノザキさん、つかまってください。」

 そう言って、崖下に向けて腕を伸ばしたそうです。ノザキさんにはギリギリ届くか届かないか、そんな距離感だったみたいです。

「私のことは、気にしないで。とにかくあなただけでも」

 ノザキさんは繰り返しそう言いましたが、先輩は気にせず続けました。

「そんなのはいいから、早く掴んでください。」

 ノザキさんは躊躇っていたものの、やがて腕を伸ばして先輩の腕を掴もうとしたそうです。

 しかしその刹那、いつのまにか近づいていた黒い服人物が先輩の右足をつかんで引っ張ってきたそうです。

 先輩は顔をそちらに向けられなかったそうですが、低い音で「ウッ、ウッ」と爬虫類の鳴き声のような音が聞こえてきたそうです。

 このままでは、自分自身の身も危ないと考えた先輩は、とりあえず助かる方法について思いを巡らせました。

 まず、真っ先に浮かんだ対処法は、ノザキさんを一旦あきらめて、足を振りほどき、その上で、黒衣の人物と対峙することでした。しかし、ノザキさんがどれだけ今の状況で止まれるかはわかりませんし、黒い服人物がどれだけの力をもっているかもわかりません。そもそも、掴まれた足を思い通りにふり解けるかすらわからない状態でした。

 そこで先輩は、ノザキさんと共に行く道を選択しました。

「ノザキさん、すいません。僕は今の足を掴まれてます。思いっきり振りほどくので、多分そのまま落下してしまいます。その覚悟で受け身をとってください。」

 決して安全な方法ではありませんが、2人で助かるためにはこの方法しかないと先輩のは思ったのでした。

 先輩はあらん限りの力を右足に入れると、思いっきり上下に振りました。黒衣の人物は驚いたためすぐに手を離してしまったようでした。

 しかし、先輩もバランスを崩してしまい、予想通り崖下に落ちてしまいました。

「ノザキさん!」

 先輩は野崎さんの腕をつかみましたが、そのまま2人とも崖の下に落ちていってしまいました。バキバキと、薮の中の木が折れる音がしましたが、地面に着くまでに先輩は気を失ってしまい、どのように着地したかはまったく覚えていないそうです。


 先輩が目を開けると頭上には白み始めた空が広がっていたそうです。

 上半身を起こすと、全身に痛みが広がったそうです。

 先輩は

「ノザキさん」

 と声をあげ、つかんだはずの手を見てみましたが、そこには腐りかけの、一部骨が露出した手があったそうです。さらにその手の先には、登山服をきた死体が転がっていました。

 普通であれば、気が狂わんばかりの状況ですが、先輩はなんとなくこの亡骸がノザキさんではないかと感じたそうです。

 とにかく下山をしようと足を動かそうとしましたが、そうすると激痛が走り、上手に動かせませんでした。骨が折れているか、またはそれに近い状況なんだろうと察したそうです。

「誰かいませんか?」

 先輩はそう声を上げると、「誰かからいるのか」と声が帰ってきました。

「ここです。ここにいます。」先輩はそう大声を上げると、どうやら地元の人らしき年配の男性が近づいてきました。

 先輩を見つけると、「大丈夫か?もう大丈夫だぞ。」そう声をかけてくれました。

 後ほど話を聞いたところでは、先輩は3日間ほど行方不明になっており、捜索隊によって救出されたそうです。足は右足を骨折しており、しばらくは入院と治療が必要な状態でした。

 先輩が目覚めた際に隣にあった亡骸は、やはり先輩同様遭難者で、先輩に先立つこと一週間ほど前に失踪していたとことでした。

 先輩が名前を確認したところ予想通りノザキという名前の男性でした。驚くべきことに、死亡推定時刻は4日以上前であり、先輩が入山する頃にはすでに亡くなっていたとみられるそうです。

 結局先輩が何故あの世界に入り込み、そして何故戻ってこれたのか、黒衣の人々は何者だったのかは不明なままですが、先輩はこの話を救助された当初は誰にも話さなかったそうです。あまりに荒唐無稽な話で、誰も信じてくれないと思ったためだそうです。

 それでも先輩としては夢には思えないし、ノザキさんさんのお陰で自分は元の世界に戻れたんだと言っていました。ノザキさんは命の恩人だと、少し照れくさそうに、そして少し自慢げに話していました。

 少し長くなりましたが、以上が私が先輩から聞いた話です。


 みなさん、聞いてゾクッとしましたよね。そうですよね。だって私にはノザキさんが善人には思えませんでしたから。

 みなさんはヨモツヘグイは知っていますよね。そう、黄泉の食べ物を口にすると、その世界から出られないというアレです。ノザキさんは先輩に何回もに、あの世界の果物を勧めてましたよね。

 ノザキさんは、先輩が入山したころにはすでにこの世にいなかったわけですよね。

 彼の本心はどこにあったんですかね。


 

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黒衣の列 村上 二 @hitotsu-futatsu

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