序)第3話 ロイ

「困っている人を助けるのに理由なんているかしら?」


 侯爵夫人はあっさり、ナナにいいました。

 ナナにはその意味が分かりませんでした。

 ナナの瞳にはまだ光が差していません。

 体の傷はえても、心の傷は癒えていないのでしょう。


 まるで人形のよう。

 空っぽの心を持った。


 侯爵夫人は変わらず微笑をたたえています。


「おいしいもの、いっぱい食べましょう」


 ベッドから起き上がれるようになってからは、ナナは侯爵夫人と、家に残る三男、11歳のロイ君とともに、いつも食事を取っていました。

 あたたかいスープ。やわらかなパン。

 笑顔あふれる食卓でした。

 給仕するメイドさんもいつもナナにまで優しく接してくれました。

 侯爵夫人はナナを養女としたのです。

 メイドさんも執事さんもこころよく、それを受け入れてくれました。


 それは決して、主人である侯爵夫人の意向だから、ということではありません。

 ナナがあまりにも不憫ふびんだから。

 ナナがあまりにも良い子だから。

 自分を信じて。

 自分を愛して。

 と、みながナナのことを気にかけていたのです。


 ナナはまた、夜になれば祈っていました。


(必ず、このご恩はお返しします)


 眠りに落ちる前、ベッドの脇に誰かがいることに気付きました。

 ナナが顔を横に向けると、その影は急いで逃げていきました。

 それはロイ君。

 いつもナナにちょっかいをかけているけれど、ロイ君もまたナナのことを心配していたのです。


(みんな、優しいなあ……)


 ナナの冷たい心にあたたかいものがそそがれていきます。

 ナナの頬にまた、涙がつたいました。


 侯爵夫人はナナが昔のことを思い出そうとするのには、積極的ではありませんでした。

 きっとそこにはナナにとっていやなものがある。

 そんなものは思い出さなくていい。

 そう、判断したのでしょう。

 代わりに、自身のことだけでなく、世界のことさえ何も知らないナナに学ぶことを勧めました。


「ロイと一緒に勉強しなさい」

「でも、わたし、あの、そんな……」

「子どもが遠慮しないの」

「でも……」

「子どもは学ぶことが仕事です」

「はい……」

「それにね、ロイ、学校に行きたがらないのはともかく、勉強までしたがらないのよ。でも、あなたと一緒ならきっと、ね?」

「そう……、なんですか」

「ええ。ですから、これはお願いでもあるの」


 大恩ある侯爵夫人にお願いされれば、ナナは首を横に振ることは出来ませんでした。


 ナナは、笑うようになりました。

 花が咲くように。

 ロイ君と机を並べ、ときに外にも出て。


「勉強なんて、楽しいか?」


 ロイ君はまるで奇妙な動物を見るような顔で訊きました。


「楽しいですよ。知らなかったことをいっぱい知れて。出来ないことが出来るようになって」

「そうか?」

「ええ。何だか自分が自分になっていくような、それどころか大きくなっていくような気がします」

「チビじゃん、おまえ」

「お互いさまです、それは」

「いうようになったじゃんか」

「あ……。ごめんなさい」

「それだけは変わらねえよな。でも、なんかさ、おまえが謝るのも久しぶりに聞いた気がする」

「それは……」

「いいことなんじゃねえの、それは」

「はい……」


 ナナがにっこり微笑むと、ロイ君は照れて顔が真っ赤。


「ありがとな」

「え?」


 ロイ君から感謝を受けるなんてと、ナナはびっくり。


「な、なんだよ!」

「いえ……」

「お、おれだってな! おまえがいるからだなあ……ッ!」

「はい?」

「ふん!」


 照れたり、拗ねたり、ロイ君はまだまだ子どもです。

 大好きな子にどう接すればいいのか、よく分からないのです。

 それはでも、きっとナナも同じだったでしょう。


 ▼▼▼


 いろんなことをナナは学びました。

 座学だけでなく、課外授業で外にもよく出ました。


 森のなか、ロイ君は心配してくれましたが、ナナはそれよりもきれいな森に心を奪われてしまいました。


 それがいけなかったかもしれません。

 はしゃいで、みんなとはぐれ、狼の群れに囲まれてしまったのです。


 ロイ君が駆けつけてくれましたが二人きり。

 護衛の兵士も、家庭教師のドノバン先生もいません。


 必死にナナはロイ君を守ろうとします。

 ロイ君もまた、ナナを守ろうとしました。


 そこでついに、ロイ君はうまく扱えなかった自身の魔法力を爆発させたのです。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「謝るなよ」

「でも……」

「ナナのおかげで、なんか俺、やっと自分を受け入れられる気がするんだからさ」


 ハプニングもありましたが、ナナにとっては幸せな侯爵家での日々でした。

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