第20話「それでも金玉ついてんのかァァァ!!」(CV:杉田和智)

 えぇっ!? と、意外なタイミングでとんでもない嘘をつかれ、ヴィエルは盛大に慌てた。


「そこにいるウチの弟、ヴィエル・アンソロジューンだって、こう見えてあのマッドドラゴンを千切っては投げ千切っては投げするのを日課にしてるぐらいの狂犬よ。ブラッディグリズリー? そんなもの、ヴィエルなら四歳の頃にもう乗り回して遊んでたぐらいよ」


 その一言に、ロイドがぎょっと目を見張ってヴィエルを見た。ヴィエルもロイドの暑苦しい顔を驚いて見つめ返した。


「よ、四歳の頃には既にお山の大将だっただと――!? あ、あんた、そんなに強いのか!? ヒョロヒョロのガリガリにしか見えないのに……!」

「そっ――そんなわけあるか! 何を言い出すんだ姉上! こちとら金太郎さんじゃないんだぞ! そんなクマの背に乗って遊ぶなんて、そんなことしたことあるわけが――!」

「わぁ、凄い! ヴィエル様、めちゃくちゃ強かったんですね! すっごい! すっごくカッコイイ――!」

「そうとも、こちとら生まれた頃からお山の大将さ。むしろ百獣の王的な存在? それどころかちょっと頑張れば魔王とかそういうのにまでなれちゃう? みたいな?」


 ヴィエルはCV:櫻井ヒロの声でそう言い、糸目を見開き、端正に笑ってみせた。その笑みに、ロイドがしばし絶句した。


「百獣の王、その上に魔王だと――!? バカな! あんたにそんな力があるってのか――!」

「とにかく、バルドゥール卿。もしどうしてもアリスを嫁にしたいというなら、己の力を示しなさい。ウチの弟にも敵わないんじゃアリスは渡せないわ。バルドゥール家は北方の国境地帯を鉄壁の軍事力で堅め守る超武闘派――欲しい物があるならゲンコツで、腕力で、力ずくで……そうでしょう?」


 アストリッドとヴィエル、二人分の笑みに見つめられ、ロイドが何らかの決意を固めた表情で立ち上がった。


 立ち上がって……バスケットを深々と貫いている黒焦げの剣の柄を握り締めると、ズルリを引き抜いた。




「バルドゥール家の流儀……か。なるほど、あんたが言いたいことがよくわかった」




 ロイドはそう言って、剣をくるくると器用に振り回した後――眼の前の地面に放り捨てた。


 ん? とヴィエルが剣とロイドの顔に視線を往復させると、ロイドが眼光を鋭くした。


「拾え」

「え?」

「その剣を拾うんだ」

「え、ええ……? まぁ、拾えっていうなら拾うけど……」


 なんでそんなことわざわざさせるんだろう? ヴィエルが屈み込んで剣を拾い上げると、アリスが息を呑む声が聞こえた。


「ヴィエル様――! そ、そんな――!」

「え?」

「拾ったな?」


 念を押すようなロイドの一言に頷いてしまうと――ロイドの表情が一層真剣になった。




「決闘の意思アリ――か。ありがとう。そちらの漢気、確かに受け取ったぜ」




 ロイドのその言葉に、ヴィエルはしばしば考えた。


 ケットーの意思? なんのことだろう。血糖……は違うだろう。そんなにお腹は空いていない。


 血統……も違う。そんなものに意思はない。ならば意思のあるケットーとはなんだろう。ケットー、けっとう、KETTOH、決闘……?



 決闘。その単語が脳みそに浮かんできた瞬間、ヴィエルの脳裏に火花が散った。




「け、決闘――!? 決闘ってあの決闘ですか!?」

「決闘にアレもコレもクソもあるか。それに今の俺は血糖値高めの天然パーマじゃない。乙女ゲームのキャラクターなんだぞ」




 何だか物凄く違和感のある一言を吐いて、ロイドは真剣な表情でヴィエルを見つめた。


「貴族の子弟ならわかるはずだ。男に投げ寄越された剣を男が拾う、それは挑まれた決闘を受け入れる意思を示す符牒――俺はあんたを倒さない限り、アリスの伴侶として生涯を添い遂げることはできない。無関係のあんたを巻き込むのは心苦しいが……これも真実の愛のためだ。受けてくれて感謝する」

「知らねーよ! そんな符牒知らねーよ! 何なんだよこの世界! おちおちモノも拾ってやれないじゃねーか!!」

「ちなみに、この世界ではいきなり相手をビンタするのはプロポーズの符牒よ」

「姉上は黙ってろ! だいたいアンタが滅茶苦茶言うからこんな事になってんだろうが! この人クマを素手で絞め殺したそうですよ! そんな脳筋相手に決闘!? 死ねってことかよ!!」




 そこまで喚き散らした瞬間、アリスがうるうると目を潤ませてヴィエルを見た。


「ヴィ、ヴィエル様……! そんな、やめてくださいロイド様! 私を巡って決闘するなんてやめてください!」


 アリスは必死にロイドに縋りついた。


「私はもう二度と大切な人が目の前で傷つくところを見たくないんです! それなのに私の友達が私のために叩きのめされるなんて絶対に嫌です! ロイド様、どうかそんなことは――!」


 その瞬間だった。ぐい、と腕にすがりつくアリスを一瞥して、ロイドが鋭く手を振り払った。バチッ! と音がするほどの挙動に、アリスだけでなく、ヴィエルも目を見張った。


 したたかに振り払われた右手を押さえ、呆然とするアリスに、ふん、とロイドは鼻を鳴らした。


「悪いが、アリス。これはあんたには関係ない、男同士の約束の話だ。あんたに口を挟む権利などない」


 取り付く島もなくそう言ったロイドの声は――信じられないほどに凍てついていた。


「あんたと添い遂げるために、俺は力を示さなくちゃならない。相手が公爵家の令息だろうが魔王だろうが、必要なら力ずくで奪い取る、それがバルドゥール家の流儀だ。あんたという人を奪い取るために今回もその必要がある――ただそれだけの話だ。あんたはただ俺に奪われてくれればいい、邪魔をするな」




 その一言に、アリスが絶望の表情で俯いた。




 なんだ、コイツ? ヴィエルは信じられない思いでロイドを見つめた。




「お、おい……お前、いきなりなんなんだよ。アリスがこの話に関係ないって……当事者なのにそんなわけないだろうが。それに今お前、アリスの手を振り払って――」

「当然だ。男同士が真剣勝負の話をしている時に女が口を挟むことなど許されん。当然の行動だと思うが」


 良心の呵責など微塵も感じていない様子のロイドのその口調に、ヴィエルの中で怒りの炎が燃えた。


「おいおい――お前、マジで一体なんなんだ? まさかとは思うが、アリスをモノかなんかだと思ってるのか?」


 一瞬前の狼狽もどこへやら、ヴィエルはロイドを正面から睨みつけた。


「お前、アリスと一生添い遂げるとか抜かしておいて、目の前で人が傷つくところを見たくないっていうアリスの気持ちは無視するのかよ? それがお前らの家の流儀か? お前らにとって女の子はただの戦利品か? 略奪品か? 血の通った意思ある人間だとは思わないのかよ?」

「なんとでも言え。中央で蝶よ花よと育てられた温室育ちの貴族にはわからん常識だろうことは理解しているつもりだ」


 それなり以上の侮蔑と怒りを滲ませたはずのヴィエルの声にも、ロイドは真正面から立ち向かう言葉を発した。


「俺たちバルドゥール家の人間は辛く厳しい北方の大自然、繰り返される他国の侵攻に幾度となく立ち向かい、国境を守ってきた一族だ。誰も何も与えてはくれない、奪われる一方の大地から、俺たちは奪われたものを何度も何度も力で奪い返してきた。俺たちにとっては、力のない弱い者など一方的に奪い取られて当然の存在だ。ましてや非力な女なら、真剣な場でより力のある男に意見することなど許されん。……俺たちは、そういう選択をした一族なんだからな」


 付け入る隙など全くないその主張に、ヴィエルは糸目を見開いた。


 なるほど、覚悟アリ、の一言と言うことか。


 弱者は強者に奪われて当然――この場で口にするには、あまりにも傲慢な理屈だ。


 奪われる方はどうなる、奪われ続けることになる存在の意思など無視されて然るべきなのか。


 元より決して奪い返すことの出来ないものを奪われた人間は――その後、どうやって生きろというのか。




 あまりにも勝手にすぎる強者の言い分に、ヴィエルの、否、ヴィエルの中にいる葛西有利の魂が、じりっと燃えた。

 



 弱いものは奪われて当然? 確かにそうであるのかもしれない。


 奪われる側よりは奪う側に回った方が傷つかずに生きていけるのかもしれない。


 だが――それはどこまで行っても堕落の理屈だ。


 弱いものを理解し、寄り添って生きるのが本当の強者ではないか。


 弱いものを一方的に搾取し、奪うだけなんて――そんな強者など、餓鬼と何が違うのか。


 こんな男にアリスは渡せない、渡してなるものか。


 こんな男に連れ去られてしまったら、人が傷つくことを最も恐れるアリスの優しい心は遠からず擦り切れてしまう。この無骨な男には人を傷つける腕力しかないのだ。人を殴って傷つけるだけの腕では、アリスの心を癒やし、添い遂げることなど――絶対に出来はしないだろう。

 

「なるほど、よくわかった。――それじゃあ、俺も逃げるわけにはいかないな」


 しん、と怒りに冷える腹の底から、ヴィエルは覚悟の声を発した。アリスが息を呑んでヴィエルを見た。


「ヴィ、ヴィエル様――! そんな……! お、お二人ともやめてください! 私のためにヴィエル様が傷つくぐらいなら、私、私は、ロイド様の求婚を――!」

「言うなっ!!」


 ヴィエルの一喝に、アリスだけでなく、アストリッドでさえ息を呑んだようだった。


 普段は開かない糸目を克と見開き、ヴィエルはロイドを睨み据えた。




「……君がこんなわからず屋のところに嫁ぐなんて、俺が許さない。この世の誰が許したとしても、俺が嫌なんだ。こんな男に君は奪い取らせない。絶対に――絶対に、渡すもんか。君は――俺が守る、いいな?」




 その決意の一言に、うぇ――!? とアリスが顔を真っ赤にしたのが見えたが、その時ばかりは気にならなかった。


 ヴィエルはロイドから視線を外さないまま、宣戦布告の口上を述べ始めた。


「ロイド・バルドゥール。お前の言い分はよくわかった。その決闘――俺が受けて立つ。その代わり俺が勝ったら、金輪際アリスのことは諦めろ。いいな?」

「アンソロジューン公爵が一子、ヴィエル・アンソロジューン。委細よく承った。公爵家の令息と手合わせできるなんて身に余る光栄だ。生涯の誇りとするぞ」

「決闘の日時は?」

「三日後の正午、場所はここで。勝敗条件は、相手が敗北の意思を示すか――戦闘不能と見做されたときだ。立会人はあんたの姉とアリス二人に願おう。それでいいか?」

「わかった。三日後の正午、ここでだな? ――悪いが、手加減はしないぞ」

「無論、こちらもそのつもりだ。――それでは、三日後の再会、心待ちにして待っているぞ」


 言いたいことは言ったというように、ロイドはそこで踵を返し、のしのしと歩いていった。




 しばらくその姿を見送っていると――不意に、ぐすっという音がして、ヴィエルはそちらの方を見た。




「そんな……! ヴィエル様が私のために決闘だなんて……! 私、私のせいで、私はまた大切な人を傷つけて――!」


 アリスがポロポロと涙をこぼしながら、膝の上で白くなるほど拳を握り締めていた。その涙に思わずドキリとしてしまうと、側にいたアストリッドが優しくアリスの肩を抱き、頬を寄せた。




「大丈夫よ、アリス。こう見えてヴィエルは滅茶苦茶強いから。あんな脳筋の杉田キャラなんて一撃でドカンよ。そうよね、ヴィエル?」

「えっ――!? あ、ああ、そうとも! 俺はあんな脳筋の杉田キャラなんかに負けないよ! 約束する!」




 姉の言葉に、思わずヴィエルも調子を合わせ、とっておきの強がりを吐いた。



「なんてったってこっちはソルジャーだし、最近だと水柱でもあるんだぜ!! あんなのは水の呼吸を使えばイチコロだって! 大丈夫さ、アリス! 俺は、俺の中の人は滅茶苦茶強いんだから!」

「えぇ、その通り。それに加えて、昔はエクソシストでもあったし、死神でもあったし、薬売りでもあったものね――」




 ウフフ、とアストリッドが笑い、ヴィエルもつられて笑った。この状況下でも笑ってしまった二人を見て、アリスの涙もようやく止まる気配を見せ始めた。



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