第15話「BLへの理解力に欠けていらっしゃるようなら、それで結構です」(CV:岩田彰)

「異世界言語の翻訳機……ですか?」


 物凄く嫌そうな表情を浮かべ、アスランは間延びした声で答えた。


「そのリアクションは結構よ。アンタ魔導具の製作が趣味なのよね? 結論から言って。できんの? できないの?」

「やれやれ、公爵令嬢ともあろう方が乱暴な物言いだ。結論から言えば、そんなに難しい技術ではない」


 アスランは眼鏡のブリッジを押し上げ、CV:岩田彰らしい理路整然とした声と口調で説明した。


「この世界に於いても魔法による異国語の翻訳技術は既に完成されていると言っていい。難しい理屈は省くが、要するにその言語を知っている人間の精神的記憶を元に文章を変換していけばいい。異世界言語を知っている君たちさえここにいるなら技術的には十分可能だ」

「す、凄いな。魔法って便利だなぁ……」

「僕には君たちの世界の科学技術の方が余程恐ろしく思えるんですがね……」


 呆れ半分の声でアスランはアストリッドが持参したBL漫画の一冊を手に取り、掌で撫でた。


「どうやら、君たちが異世界からの転生者だというのは事実らしいな。こんな高度な製本技術や印刷技術、製紙技術は見たことがない。このクオリティの印刷物を魔法が存在しない世界で実現できるとは驚きだよ。全く、これほどの技術がある世界なら僕も退屈しないだろうにな……中を見ても?」

「えぇ、いいわよ」

「あっ、アスラン! その本はちょっと内容がアレで……!」


 ヴィエルの忠告も無視して、アスランはパラパラと漫画本のページをめくり始めた。文字は読めなくとも、絵なら十分内容は伝わるのだろう。一分、二分……と時間が経っていく中で、紙面に集中しているアスランの目が徐々に見開かれていく。


 と、その時。ぼわぁ、と、やおらアスランの白い肌が真っ赤に紅潮した。




「んな――!? な、な、なんだこの本はッ!!」




 アスランはその中身に恐怖したかのように本をテーブルに向かって投げ捨て、思わずというように立ち上がって身を引いた。


「あによそのリアクション? そんなに面白かったの?」

「面白かった、だと――!? こ、こんな淫らな絵本は初めてだぞッ! あ、いや、単に淫らというわけじゃない! な、な、なんなんだこの絵本の内容は!? お、おっ、男同士が――!?」

「えぇ、チューしてるわね」


 アストリッドが平然と肯定したのを、アスランが信じられないものを見たように凝視した。


「なっ、なんで君はそんなに冷静でいられるんだ!? 男同士のッ、せ、せッ、接吻だぞ!? こんなもの創造神への冒涜だッ! 道徳への反逆だッ!! 焚書にされて然るべき内容だぞ!! こっ、こんな穢らわしいものを僕に翻訳しろというのか!!」

「何が焚書よ、何が冒涜よ、バカバカしい」


 アスランの必死の抗議に、チッ、と舌打ちをしたアストリッドは、顔を歪めて吐き捨てた。その声に、おっ、とヴィエルは姉を見た。




「男同士が恋愛して何が悪い。チューして何が悪い。ましてそれを見て楽しむことの一体何がおかしいのよ? 創造神様ってのはいちいち正しい愛と正しくない愛とを分けてんの? そんな歪んだNL至上主義思想に狂ったのがこの世界の神か? そんなわけないでしょうが」




 思っても見なかったのだろう抗議に、アスランの顔が奇妙に弛緩した。




「愛は愛よ、そこに正しさも正しくなさもない。ただ真剣に愛し合ってる二人組がその想いを伝え合ってるだけじゃないの。そこに正誤があってたまるもんですか。男と女のチューならよくて、男同士のチューは穢らわしい、そんなもの我々が決めるこっちゃない。その愛し合う二人が決めることよ。それに、別にその二人がチューしてたら明日が来なくなるわけじゃないでしょ。たとえその二人がチューどころか、ベッドの中で一晩中我を忘れてサカリまくってたとしても、それによって自然的な理は何も変化しない。相変わらずモノは下に落ち、花は咲き乱れ、雨は降り、いつしかそこには虹がかかる――ならそれでいいでしょうが」




 おお、とヴィエルは感動した。この干物女は基本的に様々なことについてものぐさで面倒くさがりなのだが、その姉が唯一冴えた事を言う時は基本的に己の趣味を否定されたときなのである。こういうとき、姉の声と表情と立ち居振る舞いと理屈には全く隙というものがなく、一切の反論を許さない雰囲気があるのだ。


 驚愕の表情のまま凍りついているアスランの表情を拒否の意志だと思ったのか、フゥ、とアストリッドがわざとらしくため息をついた。


「でも、アンタがどうしても嫌だっていうなら仕方ないわね。――他を当たりましょうか、ヴィエル」

「あ、ああ……」

「あ、いや、待ってくれッ!」


 アスランが大声を上げ、二人は足を止めた。ズレた眼鏡を中指で直しながら――アスランは幾分落ち着いた雰囲気で口を開いた。


「僕は――僕は今、己の未熟さを恥じる気持ちで一杯だ。アストリッド・アンソロジューン公爵令嬢……君が今言ったことは全て正論だ。僕からはぐうの音も出そうにない。そうだ、君のいう通り、何が正しくて何が正しくないか、そんなものは神でもない人間に判断がつくはずがないんだ」


 おや、この反応は……? とヴィエルとアストリッドが顔を見合わせると、アスランが続けた。


「僕は知らず知らずのうちに驕っていたらしいな……。多少人より知識があるからと言って、他者の趣味嗜好を躍起になって否定していい気になっていたんだ。だが、そんなものは間違いだ。むしろ真理を探究する人間の姿勢からは最も遠い姿勢だった。僕は――そんな自分が恥ずかしいよ」


 くっ、と恥じ入るように俯いてから、アスランはなにかの決意を固めて顔を上げた。


「その翻訳機械を作る作業――是非僕にやらせてくれないか。君たちの世界の進んだ道徳観念を知ること……それが真理へ到達するための第一歩だと、今はそう思うんだ。僕は僕なりの方法で真理を究めてみたい。そのためには異世界人たる君たちの文化や思想をも知っておきたいんだ」


 嘘偽りなど何もないCV:岩田彰の声に、パッとアストリッドの表情が明るくなった。


「えっマジ!? やってくれんの!? やった!」

「あぁ、僕の方からお願いしたいぐらいだよ。その異世界文献を翻訳するための魔導具の製作、僕が務めよう」


 そう言って、アスランは初めて見る決意の表情でアストリッドに右手を差し出した。アストリッドは喜々とした表情でその手を取り、ぶんぶん上下に振り回した。


「よし、それでは詳しい話に移っていこう。まずは翻訳機を作成する費用の件だが……」

「じゃヴィエル、詳しい話は終わったわね。私たちは部屋に帰りましょうか」

「うん」

「あの、費用の話をしたいんだが。翻訳魔法を使う魔導具となるとそこそこ素材費がかかる。まぁ務め人の一ヶ月分ぐらいの費用もあれば十分……」

「じゃ、アスラン。翻訳機の件はお願いね。一週間もあればできる?」

「あ、あぁ、それぐらい時間を貰えれば十分だ。それで、費用の件なんだが……」

「あー、今日の夜は何食べようかな。ヴィエル、アンタ麻婆豆腐とか作れるっけ?」

「作れるよ」

「あの、費用……」

「じゃあ今夜は麻婆豆腐で。いいわね召喚魔法って。豆腐がない世界にも豆腐を召喚できるんだから。あーあ、お腹減った~」

「姉上、花椒も召喚してくれ。アレがないとちゃんとした麻婆豆腐にならない感じがするから」

「あ、あの……」


 アスランがまだ何か言いたげにモゴモゴしているのを努めて無視して、ヴィエルとアストリッドは図書館を後にした。




◆◆◆◆◆◆◆◆




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