第14話「BL本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」(CV:櫻井ヒロ)

「……ふぅ、なんとか第一段階は成功ね。これで上手く転んでくれたらいいんだけど……」


 ヴィエル、そしてアストリッドが共に住まいを為す宿舎の一室で、アストリッドは安堵したようにため息をついた。その横でベッドに腰掛けて項垂れながら、ヴィエルは絶望の表情で呻いた。


「第一段階、って、そういうことか――計画ってつまり、アリスを、姉ちゃんみたいな腐女子にするってことだろ?」

「ピンポーン。要するにあの子が攻略キャラクターの誰ともくっつかないようにすればいいわけだし? そういうことならアリスの方をナマモノNLがNGってことにすればいいわけだし? あはっ、私天才じゃない? 死なない、布教も出来る、異世界オタ友もできちまう。一石三鳥じゃないの」

「そのかわり俺の恋が終わる――アリスが姉ちゃんみたいになっちゃう――ああ、せっかく転生したのに恋もできないなんて……」

「バカね、アリスとの恋なんてこの学園生活が終わったら好きなだけしたらいいじゃないの。あくまで『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンは学園卒業までの話なんだし。希望を捨てんのは早いわよ」


 アストリッドのその言葉に、ハッ、とヴィエルは決して信用ならない糸目を見開いてアストリッドを見た。


「そ、そうか――! この学園生活の終わりがゲームの終わりなんだな!? そうなりゃ誰とアリスがくっつこうとももう誰も死なずに済むんだ! 要するにそれまでの辛抱ってことか!」

「そういうこと。幾ら私だって自分の命惜しさに可愛い弟の恋愛を邪魔したりしないわよ。ただそれまでにフライングでくっつのは厳禁ってだけで。しかも今やアンタには『乙女ゲー業界のプリンス』と言われる櫻井ヒロの声がついてんのよ? どんな女だってイチコロじゃないの。二年間は自家発電して辛抱なさいな」

「うわー! 最後の単語は最低だけど姉ちゃん最高! 姉ちゃん大好き!」

「ンナハハハハそんな褒めんな褒めんな。褒めるつもりならプリン買ってこいや」

「アッ、でも代わりに妙なことに気づいた! 姉ちゃん」

「あによ?」

「この世界にはアニメイトもTUTAYAもAmazonもないんだよ? それどころかBLの概念自体あるかどうかわかんない。小説も漫画もアニメもネットもないのにどうやってアリスをその道に引きずり込むの?」


 ヴィエルが訊ねると、おおー、とアストリッドは感心する声を発した。


「そこに気がついたか。アンタもなかなか異世界に慣れてきたらしいわね。その通り、この世界には残念ながらそういったものがない。まぁ、どうにもならない場合は誰かに依頼して書いてもらうことも考えたんだけど手間がかかる。まぁ、いよいよ困ったらアンタにBL小説でも書かせようかなと思ってたんだけど……」

「えっ」

「アンタ文学部でしょ? 文学が無理な文学部なんて洒落にもなんないじゃない。まぁそれはあくまで最終手段よ。それに私には切り札がある」

「切り札?」

「まぁ見てなさいって」


 そう言ってアストリッドは立ち上がり、瞑目して右手を前に突き出した。ニギニギと嫌らしい手付きで指を動かした後、アストリッドは瞬時沈黙し――そして一喝した。




「魔戒天浄ォォォ!!」




 なんかすっごく久しぶりに聞いた台詞、土井先生の声がする――!


 ヴィエルがそんなことを思った瞬間、姉が向かったベッドの上にパチパチ……と閃光が発し、ボン! という景気のいい音とともに――一冊の本が現れた。


「あれ!? こ、これって……!」


 ヴィエルは思わずその本を手にとって、表紙を凝視した。タイトルの時点で既に覚えがある。転生前のアパートの隅にうず高く積み上げられていた有名アニメ情報誌だ。


 いや、それだけではない。表紙に描かれているアニメ絵、キャラクター、アオリの文句……それら全てがこの『妄想と欺瞞のCinque』、通称もぎチンの世界のものではない。


 どう見ても――自分たちが葛西有利と葛西千鶴であったころにいた世界の雑誌である。


「……ふぅ、成功したわね。ちょっと応用すればこういう悪用方法もある。魔法って便利ね……」

「ね、姉ちゃん! この雑誌どうしたの!? 何をどうやったの!?」

「フフン、気になるかね? ――これはそもそも私がアストリッド・アンソロジューンという悪役令嬢であるから可能な魔法――召喚魔法よ」


 コキコキと手首を曲げ伸ばししながら、アストリッドは得意げに説明した。


「『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンにおけるアンソロジューン公爵家の人間には、代々この希少な魔法の素質が血として備わっている、っていう設定があってね。それ故アンソロジューン公爵家はどの貴族よりも抜きん出て力があるってわけ。当然次期当主たるアストリッドにもその素質はある。まぁつまり、今のはそれを応用したのよ」

「す、凄い凄い! めっちゃ凄いじゃん! それってつまり現代日本のモノをなんでもここに召喚できるってことだよね!? 凄ぇ! リアルでAmazonじゃん!」

「コラコラあんま褒めんじゃないわよ。調子に乗ってアンタがPS5とか召喚しろって言ってもしないからね。あんまりやりすぎると異世界から来たってバレちゃうし」

「……姉ちゃん、もしかしてさ、その魔法って戦車とかマシンガンとか、毒みたいなのとかも召喚できんの?」

「……突然何を言い出すのよ。何考えてんのアンタ?」

「姉ちゃん、もしそっちがソノ気ならさ――考えようによってはその魔法で俺たちを殺そうとする攻略キャラを一人ずつ暗殺とかも出来ちゃうよね?」

「や、やめなさいよ、アンタのその声と顔で物騒なこと言うな! 洒落になんないから! とにかくアンタからの要求で召喚魔法使うことは原則的に禁止! 本とか雑誌とか、そういう平和利用に限る!」

「ちぇ、いい案だと思ったんだけどなぁ……あーあ、俺もそういう便利な力ないのかなぁ。妾腹だから無理かなぁ」


 ヴィエルが仰向けにベッドに寝転がりながらぼやくと、「何言ってんのよ、あるに決まってるじゃないの」というアストリッドの呆れ声が聞こえ、ヴィエルは糸目を見開いた。


「え、あんの!? ヴィエルにも魔法の才能!?」

「あるわよ。それどころか作中で一番マッドな魔法を持ってる。闇の魔法、っていうね」

「や、闇の魔法……! なんて中二チックな響き……!」


 ゴクリ、と生唾を飲み込みながらヴィエルが興奮すると、アストリッドはすかさず「でも使用禁止」と腰に手を当てて言った。


「えー、なんで!? なんで俺は魔法使っちゃダメなの!?」

「当たり前でしょ、闇の魔法の素質があるなんてバレたらアンタ一発で魔物扱いよ? 一応、その闇の魔法は物凄く希少な才能、アリスの破魔の魔法と対を為す世界に唯一の強力な魔法なの。アンタ、その力に飲み込まれたいの? その声も相俟って葛西有利じゃなくて渋谷が有利になっちゃうわよ」

「よくわかんないよそのたとえ」

「魔王になっちゃうわよ、ってこと」


 アストリッドは美しい顔を歪め、声を潜めて説明する。


「ヴィエル以外のルートの最後、アンタがどのように裏切って殺されるか知りたい? アンタはアリスを暗黒面に堕とそうとしてその闇の魔力を全開にして、姉である私を取り込み、異形の化け物――要するに魔王に変化しちゃうのよ。それを攻略キャラクターのひとりとアリスが手を取り合ってに立ち向かい、破魔の魔法で私ごとアンタを八つ裂きにする、二人は結ばれてドットハレ、これがトゥルーエンディングの内容よ」

「え、えぇ……俺なんか物凄くご都合主義的な感じで雑に死ぬんでない? そもそも今どき魔王ってドラクエじゃあるまいし……」

「まぁ、後半でシナリオライターが力尽きたんでしょ。別にヴィエルが魔王になろうがなるまいが最終的に障害があればいいのよ。ということでヴィエル、アンタは魔法使用禁止ね。アンタが魔王になったらCVが梅原裕二郎になっちゃうし」

「ちぇー、せっかく異世界に転生したのにつまんねぇなぁ。前世の記憶でマヨネーズとか作るしかないのかなぁ、ショボいなぁ」


 ヴィエルは大層不満げな声を漏らした。当座のところ、俺が出来るのはマヨネーズ作るぐらいか、別にそんなマヨラーってわけでもないからなぁ、などと締まらないことを考えている横で、アストリッドは「魔戒天浄、魔戒天浄、魔戒天浄……」と念仏のように――まぁ実際、念仏なのであるが――繰り返し、その度に何かが召喚されている。それは必殺技として随分有り難みのない魔戒天浄であった。


「……ふぅ、当面はこれぐらいで間に合うでしょ。私珠玉のBLコレクション……」


 アストリッドはそう言いながら額を袖で拭った。


「とりあえず今回はアリスの嗜好を探るためにネチョありだけど割とソフティなものを中心に選んでみたわ。ショタ受け、スパダリ攻め、オジ様受け、WJアンソロ……これは黄昏の腐女子向け……ああ、闇の腐女子向けは除いとこう、主人公を闇属性にするなんて洒落になんないし……」


 なんだかなぁ、とヴィエルは呆れた気持ちでいた。傍目にはクサリ神に取り憑かれた姉がコレクションの棚卸しをしているようにしか見えないのに、これが実際は自分たちの生き残りを賭けた必死の抵抗なのである。


 男同士のネチョが自分たちの命を救う、そう考えると、自分の命が百グラムぐらいの重さしかない気がして、ほとほと気が滅入ってきた。


 ――と。ヴィエルはあることに気がついて顔を上げた。


「姉ちゃん」

「何?」

「その姉ちゃんの召喚魔法は凄いけどさ、これ全部日本語で書かれてるんだよね? この世界の人であるアリスは読めなくない?」

「そう、それよ」


 アストリッドは当然だというように頷いた。


「当然、ここは異世界だから日本語があるわけがない。ということで必要になってくるのが翻訳機の存在ね。けれどそれはもうアテがあるから大丈夫」

「え……アテあんの?」

「当然よ。ということで、今からそれを解決するために図書館へ行きましょうか」

「図書館?」


 何もかも訳がわからないまま、ヴィエルとアストリッドは多数の異世界の漫画や小説を抱えたまま、図書館へ向かった。




◆◆◆◆◆◆◆◆



ここまでお読みいただきありがとうございます。

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