第13話「純情ロマンチック」(CV:櫻井ヒロ)

 え? とアリスが顔を上げた。男同士のキャッキャウフフ、それを聞いただけで、ヴィエルの中に激震が走った。


「と、殿方同士のキャッキャウフフ……?」

「そう、キャッキャウフフ。いいものよ、狂気的なイケメンが友情以上恋人未満の関係でくんずほぐれつしてる様は。ほら、あそこでもなにかが起こっている――」


 そこでアストリッドは顔を上げ、なにか遠いものを見つめた。ん? とアリスとヴィエルもつられてそちらの方を見た。


 そこには、学園の新入生なのであろう男子学生二人が何やら揉めている最中だった。声ははっきりと聞こえないものの、一人の高身長の男子学生が、背の低い男子学生を壁際に追い詰め、一方的に問い詰めているという感じである。


「……どういうことだよ。俺は、俺はお前を信じて……!」

「すまない、けれど俺はこれ以上、自分の気持ちに嘘はつけないんだ。――この話はもういいだろ? 俺は、俺は部屋に戻っても――」

「オイ、俺を見ろよ! このまま逃げるなんて卑怯だぞ!」


 瞬間、顔を逸して逃げようとする男子学生に向かって、高身長の方が咄嗟に手を伸ばし、手首を掴んだ。


 掴んだままの手首を壁に押し付け、高身長の学生がぐっと身体を近づけて押し迫る。いわゆる手首ドンである。


「目玉焼きには醤油――それが、それが今までの俺たちだっただろ!? それを裏切んのかよ!」


 悲鳴のようなその一言に、背の低い方は歯を食いしばって視線を俯けた。


「……ダメなんだ、俺は気づいてしまったんだ。目玉焼きには、目玉焼きにはウスターソースが一番合うんだ、って……」

「それだと朝食感が出ないじゃねぇか! 目玉焼きをハンバーグの上に乗ってる添え物にみたいに扱おうってのかよ!」

「……お前にわかってもらえるなんて思ってない。とにかく、俺はもう醤油には戻れない。自分でもわかるんだ。今の俺はもう、お前の思ってる俺じゃない。もうこの話はよそう。俺は――お前のことを嫌いになりたくないんだ」

「――ッ! そんな、そんな言い方は卑怯じゃねぇか! 俺は……俺は今でもお前が、お前が作ってくれた、醤油のかかった目玉焼きのことが――!」

「悪い、俺はもう目玉焼きにはウスターソース以外考えられないんだ。すまない。……くそっ、見るな、そんな目で俺を見ないでくれ――!」


 瞬間、背の低い男子学生が背の高い方を突き飛ばし、俯いて走り出した。追いすがろうと手を伸ばした男子学生の腕が――ぱったりと下に落ちた。


 一人取り残された方は、額を壁に押し付け、拳で壁を叩き、痛恨の表情で呻いた。




「俺たち、俺たちは……ずっと一緒なんじゃなかったのかよ……っ!」




 え? 何? 何よ今の?


 ヴィエルが呆気に取られてしまうと、グスッ、と音がして、見るとアストリッドが鼻先を真っ赤に腫れさせ、目元を指で拭っていた。


 泣いてる――!? ヴィエルが仰天すると、アストリッドがダプダプと唾液を流しながら号泣した。


「親友だったのに、それ以上かも知れなかったのに、いつの間にか進むべき道が……信じるものが変わってしまったのね……。つらい、つらいでしょうけれど、それがオイシイ――! 誠にオイシイ……!」

「え? え? え? 何泣いてんの姉上!? 全然わかんない! 怖ッ……! っていうか唾液……!!」

「何言ってんのよ感涙のシーンよ今の! この後、あの小さい方が病気でだんだん進行してくタイプの記憶喪失になるんだわ。それで遂に全てを忘れてしまって、あのデカい方が抱き締めた一瞬だけ小さい方が全ての記憶を取り戻すの。でもダメなのよ、その一瞬だけしか思い出さないのよ……はぶぁ! 想像したらますます泣けてきた……! あばばばば! ヴィエル、ちり紙持ってない!?」

「何言ってんの――何言ってんの!? こ、こ、怖ッ! 記憶喪失!? どうなってそうなるの!? 怖ッ! ちょ、アリスも何とか言ってよ……!」


 思わずアリスにまで助けを求めてしまってから――ヴィエルはハッとした。


 アリスが、揉めていた男子学生二人を見ていたアリスの頬が――なんだか紅潮していた。


 えっ、と驚くと、アリスが熱いため息をついた。


「いい……」

「えっ」

「いい……なんというか、よくわからないけど……切なくて、しょっぱくて……ちょっとわかった、男の子同士のキャッキャウフフ……」

「ええええええ!?」


 ヴィエルは素っ頓狂な悲鳴を上げた。何!? 今の一瞬で何がそんなに心の琴線に触れたの!? 思わずアストリッドを見ると、アストリッドはにいっと唇の端をもたげ、邪悪に笑った。




 計 画 通 り 。


 その邪悪な微笑みは、明確にそう語っていた。




「あなたも……あなたにもわかるのね、アリス!? 今の一連の流れの尊さが――!」

「わかるか、と言われれば、正直まだよくわかんないんですけど……なんというか、その……」


 アリスは瞬時俯き、言いたいことをまとめるように沈黙してから――意を決したように言った。




「多分――今のあの二人はああは言っても、いまだにお互いにお互いを信頼し合ってると思うんです。相手の為なら自分のことなんてどうでもいい、命すら差し出してもいいと、本気でそう思い合っていると思うんです。それなのに、いつの間にかすれ違ってしまったものがある。いつまでも変わらないと思っていたものが変わってしまったことに、本当は薄々気づいていた。けれど二人でいたかったから、いつまでも変わらずにこの関係を続けていきたいと願っていたから、どうしても言い出せなかった――でもお互いの気持ちのズレはもう到底誤魔化せないレベルにまでなってしまった。上辺だけを取り繕ったままでは本当に気持ちは通じ合わない、それが辛いから本当のことを口にした。けれど、それでもいまだに相手のことを想っているから、相手を傷つけたくない、変えてしまいたくないと本気で思っているからこそ、自分から離れなければと決意した。だから今みたいに拒絶して、酷い言葉で突き放して、もう自分に関わってくれるなと言い出すしかなかった――。それは拒絶したことにはならない、むしろこれ以上ない優しさとしてしか相手に伝わらないのに――むしろ相手には優しさしか伝わってないから、その別れは却って残酷なものになってしまったというのに――」




 物凄い長文。ヴィエルは再び絶句した。


 アストリッドはフフンと得意げに鼻を鳴らした。


「少し解釈違いはあるけれど、十二分に及第点だわ。よしよし、あなたには前々から素質があるんじゃないかとは思っていたけれど、その予想は全く当たりね」

「あ、姉上、まさか――!?」

「おだまりなさいヴィエル、八つ裂きにされたいの? ――とにかくアリス、いまのでわかったわ。あなたには素質があるようね。実は今回ご一緒したのもそれが目的よ」

「そ――素質、ですか?」

「ええ、素質。あなたに備わっているのは希少な破魔の魔力の才能だけじゃない、もっともっと素晴らしい才能がある。もしあなたが望むなら私がその才能を助け、伸ばしていくことのお手伝いをすることにもやぶさかではないのだけれど……」

「是非、是非お願いしますお姉様! 私にそんな素質があるなら是非とも!」


 アリスは気の毒なぐらい必死な表情で言い張り、アストリッドの手を両手で取った。それからアリスは目を潤ませ、下唇を噛みながら、呻くように言った。


「……私、小さい頃に戦争で父を亡くしてて――破魔の魔法の才能が発現したのはその時なんです。あの時、私にもっと力があればみんなを守れたのに、って――! この学園に来たのもそれが理由なんです! あの、私に破魔の魔法以外にも大切な人を守る力があるならなんでもします! それを磨いてください、お姉様!」

「姉上コノヤロー! こんな可愛くていたいけな女の子がこんな壮絶な過去を理由に健気に思い詰めてんだぞ! 姉上の言ってることはそういう意味の素質じゃねーだろ! 鬼畜かアンタは!!」

「おだまりなさいヴィエル、それ以上何か口にしたら嫌というほど口に土を詰め込むわよ。……まぁ、私が言う才能は破魔の魔力ほど強力なものじゃないけれど、性別をも超えた真実の愛を実現させる能力ではあるわね。あなたの理想からは遠いかも知れないけれど……よかったら訓練してみる?」

「はいっ! 是非、是非とも特訓お願いします!」


 アリスは大声で言った。


 こうして、悪役令嬢たるアストリッドが言うところの、アリスの「素質」を伸ばすための特訓の日々が始まった。



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