第12話「悪役令嬢だからこそ、どのような仮面でもかぶることが出来たというだけだ」(CV:櫻井ヒロ)

 明くる日の昼、燦々SUNと日光が降り注ぎ、ひばりが甲高く鳴く学園の中庭。


 爽やかにすぎる昼過ぎの空気の中、ヴィエルは二親が死んだかのような沈んだ表情でベンチに座っていた。隣に座ったアストリッドは、その沈んだ表情にほとほと嫌気が差したというようにヴィエルの肩をど突いた。


「ホラ何を死んだような表情してんのよ。もうすぐアリス来るわよ。シャキッとしろっつーの」

「デート……デートに保護者同伴……もうやだ……なんか人間としての尊厳を大きく毀損されたような気分……」

「何を色ボケたこと抜かしてんのよ。アリスはただ単にアンタを友達だと思ってるんでしょ? デートじゃなくて単なる友人との会食じゃないの」

「デート……デートだったはずなんだよ……あんな矢鱈と可愛い女の子と一緒に食事なんて人生で初めての大イベントだったのに……」

「そこに姉がひとつまみ混ざるだけよ。デートだって思いたいなら勝手に思いなさいよ。まだデートじゃないのよ、姉同伴の」

「うぅ……姉が同伴のデート……姉がひとつまみ……もうやだ、死にたくはないけど引きこもりたい……」


 そんなことをメソメソと嘆いていると、「あ、ヴィエル様ー!」という天使の囀りが聞こえ、ヴィエルは顔を上げた。


 大天使アリス・ファロル。このゲーム世界の主人公たる美少女が、まるで生まれたての子鹿のような表情で大きく手を振りながらこちらに駆けてきた。ただそれだけで、今まで湿った便座の上のようだった中庭のベンチは高圧電流の流れる電気椅子に変わった。


「すみません、遅くなっちゃって! 待ちました?」

「いや、待ってないよ。全然今来たとこ。全然今来た。ホントだよ?」

「重ね重ねごめんなさい、貴族様のお口に合うものを色々と考えてたら時間が経っちゃって……ん?」


 そこでアリスの神秘的な色の瞳が、ヴィエルの隣に移動した。ニコリ、と、アストリッドはその視線に笑顔で答えた。


「ん? あれ? ヴィエル様、この方は――?」

「はじめましてこんばんわ。アリス、アリス・ファロルさんですよね?」


 アストリッドは完璧な営業スマイルでアリスに微笑みかけた。


「あれ? 私たち、どこかでお会いしましたか?」

「まぁそうといえばそうですわね。何回も何回もお会いしてるとも、今初めてお会いしたとも言えますわ。私はアストリッド・アンソロジューン。この愚弟の姉を務めさせていただいております不束者ですわ」


 姉が自己紹介した瞬間、アリスが驚いた表情になり「ま、まさか、アストリッド公爵令嬢様――!?」と素っ頓狂な声を発した。


「あああ、そうとは知らずごめんなさい。公爵令嬢様にとんだ軽口を……」

「いえいえ、そのジャンボタニシの卵みたいなケミカルな色してる頭をお上げください。いやね、この愚弟が矢鱈と可愛いご令嬢とお友達になったと聞きまして、今回はそこに是非とも挟まってみたいと思ったんですの。NLに挟まる悪役令嬢――あらやだ、口が滑りましたわねオホホ」

「え、悪役……なんですか?」

「姉上、ふざけすぎだ。後で覚えとけよ」

「まぁ冗談はこれぐらいにして、アリスさん、もしよろしければこの愚弟とだけではなく、私ともお友達になってくださいませんこと?」


 随分単刀直入な物言いだと思ったが、アリスは生まれてこの方人を疑うとか拒絶するとかということがないらしかった。パッ、と驚いた表情になったアリスは再び素っ頓狂な声を発した。


「え、私が、公爵令嬢様とお友達に――!?」

「ええ、お友達ですわ。私、ずっと妹が欲しいと思っておりましたのよ。アリスさんのような無闇矢鱈に可愛い歳下の女の子とお友達になれるのならこの上ない喜びなのですけれど――」

「えぇ、えぇ! そんな勿体ないお言葉――! 公爵令嬢様とお友達になれるなら夢みたいです! ぜひぜひお願いします!」


 アリスは驚きと喜びが入り混じった表情でアストリッドの両手を取り、ぶんぶんと上下に振り回した。


 計 画 通 り 。姉はまさにそんな感じで邪悪に微笑んだ。それを見ていたヴィエルは心の底でゾッとした。


「ああよかった、断られたらどうしようかと思っていましたわ。それでは今この瞬間から私たちは友達、ということでよろしいですわね?」

「もちろんです! あの、お姉様とお呼びしても!?」

「えぇ、大いに結構ですわ。何なら主様でも審神者様でもなんでも結構ですわよ」

「サニワっていうのはよくわからないんでお姉様にします! やったぁ! 貴族令息様だけじゃなく貴族令嬢様ともお友達になれるなんて! 田舎から出てきてよかったぁ!」


 アリスは心底嬉しそうな表情で小躍りした。一体、この姉は何を考えているのだろう。乙女ゲームには詳しくないが、主人公と攻略キャラクターの恋路を邪魔するはずの悪役令嬢が主人公と友達になって、それでどうするのだろうか。だがアストリッドの整いすぎた横顔からはそれ以上考えていることは読み取れず、ヴィエルは居心地悪く押し黙ったままでいるしかなかった。


「さぁ、ではめでたく友人となったところで――お昼にしましょうか。私は昼食を持参しておりますのでそちらを頂きますわ。ヴィエル、あなたはアリスさんの作った昼食をいただくんでしたわね?」

「ん? あ、あぁ、そういう約束だった――よね?」

「はい、もちろんです! 腕にヨリをかけて作ってきました!」


 ニコリ、とアリスが微笑みかけてきて、ヴィエルの血圧が急上昇した。あぁ、やっぱり、可愛い。可愛すぎる――ヴィエルがニヨニヨと笑うのにも構わず、アリスは持参したバスケットを広げ始めた。


「そんなに高級なものは作ってこれなかったんですけれど――今日のお昼はベーコンとかアボカドのサンドウィッチその他です! ヴィエル様、どうぞ!」


 そう言ってアリスは紙で包んだサンドウィッチを差し出してきた。微妙に震えている手でそれを受け取り、ヴィエルはその包みを凝視した。


 嗚呼、このサンドウィッチ、アリスが手ずから切って、挟んで、重ねたんだなぁ……それだけのことでもヴィエルは深く感動した。なにせこれだけの美少女が作った代物である。これだけで単なるパンと肉片、野菜の切れ端でしかないサンドウィッチの重さが倍以上も変わる気がした。ニヨニヨと痙攣する頬の筋肉を死ぬ気で抑えながら、ヴィエルは慎重に紙包みを開き、サンドウィッチのひとつに齧りついた。


「美味っ――!」


 第一声がそれとは随分冴えないと思ったが、その感想しか出てこなかった。これは凄い、単なるパンと肉片と野菜の切れ端だというのに、それぞれの食感や分量が程よく調和しているではないか。これだけシンプルな料理でここまでの奥深さや繊細さが出せるのは凄い。素直に感心してしまう。


 思わず糸目を見開いてしまうと、アリスがぐいっと顔を近づけてきて、興味津々、という表情でヴィエルを見た。


「どうです? 美味しいですか?」

「近い」

「うん?」

「うん、近い。そして美味しい。こんな美味しいサンドウィッチ、生まれて初めて食べた。いやお世辞じゃない。ホント。近いのもホント」

「よかったぁ。こんな質素なものを食べさせるなんてとか言われたらどうしようかと思ってました! このサンドウィッチは母からの直伝なんです! 母も喜ぶと思います!」


 アリスは何の屈託もなくふわりと笑った。それだけで、周囲の気温が2℃ほど上昇した気さえする。矢鱈と可愛い美少女の笑顔は天候さえも意のままにしてしまうのだということを、ヴィエルは生まれ変わって初めて知った。


「あらあら、美味しそうなものを食べさせてもらって幸せね、ヴィエル」


 そこで姉が口を挟んできて、ヴィエルは舌打ちしたい気分で姉を見た。アストリッドはニヤニヤと意地悪い微笑みを湛えながら、誠に色気ない感じでコッペパンを齧っている。それを見たアリスがサンドウィッチに齧り付きながら不思議そうにアストリッドに尋ねた。


「お姉様、お姉様は何を食べているんですか?」

「ああ、これ? あんバターサンド」

「あんばたー? なんですかそれ?」

「あんこにバターを混ぜたものよ。あんことバターが混ざるとまた一味風味が変わるの。私のお気に入りなのよ」

「あんこってなんですか?」

「私の故郷のお菓子ね。興味があるなら今度作り方を教えるわ」

「姉上、あんこなんていつの間に……!?」

「公爵家の料理人に量産させたわ。これでいつでも福田パンが食べられるって寸法ね」


 その一言に、ヴィエルは呆れてしまった。この姉は転生する前から食にはとんと興味がない干物女で、その気になればモンスターエナジーとウィダーinゼリーのみを啜って数日を生きていられるという低燃費な女なのだ。それ故二人暮らし時代の料理は全てヴィエルが担当していたのだが、上げ膳据え膳の貴族に転生してからというもの、それもご無沙汰になっていたのだった。


 やれやれ、公爵令嬢が福田パンで昼食か、中身は千鶴姉ちゃんのままだな……と呆れていると、優雅に足を組んだアストリッドが冴えた表情で言った。




「ところでアリスさん……あなた、殿方との恋愛に興味はあるのかしら?」




 瞬間、ブホォ! とアリスが吹き出し、ゴホゴホ……と咳き込んだ。ヴィエルは仰天してアストリッドを見つめた。


「あ、姉上、藪から棒になにを――!?」

「れっ、恋愛なんて! 私、そういうのあんまり得意じゃないっていうか……その……!」


 ようやく息を整えたアリスが、初めて会ったときのように、もじもじと音がしそうなほどもじもじとし始めた。強い。やたらと可愛い子がもじもじとする姿はやはり最強だった。この顔とこの動作で「……ちんすこう」なんて言われた日には全身に鳥肌が立つだろう……などとヴィエルが邪なことを考えていると、アストリッドの目が光った。


「あら、アリスさんは意外にウブなんですわね。もうとっくにそういうことも経験済みなのかと思っていましたけれど」

「あ、姉上、セクハラ! セクハラだぞ! 出会って数分でアリスに失礼じゃないか!」

「あ、いや、いいんですけど、その、私……」


 もじもじとアリスが俯き、蚊の鳴くような声で呟いた。


「私、破魔の魔力があってこの学園に特例で入学できただけの平民だし、貴族の子弟ばかりのここで恋愛とか……正直、そんなこと有り得ないっていうか……」

「あ、いや! そんなことは! そんなことはない! むしろウェルカムだよ! アリスとそういう関係になれるなんてオトコなら誰でもご褒美――!」

「やかましいわ、ヴィエル。口を閉じて」


 はっ、とヴィエルは姉を見た。これは作戦だ、邪魔するな、と姉の目は雄弁に物語っている。その威圧感に思わず口を閉じると、アストリッドの目が再び光った。




「それでは質問を変えるわ、アリス。……あなた、殿方同士のキャッキャウフフに興味はないかしら?」



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