第8話「仲間にならないなら社会的に殺す」(CV:岩田彰)

 不意に――アストリッドの朗々とした声が、冷えた図書館の空気を震わせた。

 その声を聞いた途端、ぴくり、とアスランが震えた。

 

 ゆっくりと振り返ったその端正な顔は――少しだけ強張っているように見える。


「身長百七十四センチ、体重六十三キロ。血液型はO型。趣味は読書と魔法具の開発。友達はいない……昔からね。唯一友達と呼べる存在は伯爵家で飼われている犬のパトリックだけ。そのパトリックはビーグル犬のオスで、身体にハートマークの黒い模様がある――違ったかしら?」


 アスランの目が僅かに見開かれた。今アストリッドが言ったことが全て事実であろうことは、その驚愕の表情が物語っていた。


「あなたは幼い頃から神童の呼び声高く、二人の兄をも圧倒する魔法的才能を持っていた。その気になればぶち抜きで宮廷魔術師にでもなんでもなれるあなたがこの魔法学園に入学することにしたのは、若くして何もかも理解してしまって退屈だから。自分でもまだ知り得ないものをこの学園に求めたから――そうでしょう?」


 絶句したその表情が――図星であることを示していた。何をか言おうとしたアスランの口が、言葉を失ってしまったかのように、もごもごと何度か開閉される。


「まだまだあるわよ、この程度で驚いてんじゃないわ」


 アストリッドは不敵な笑みを浮かべ、再び朗々とした声で続けた。


「女性に興味がないフリをしているけど、興味が皆無なわけじゃない。年頃だからねぇ。アンタの好みのタイプは子犬みたいに人懐こい子で、身長はなるべく小さくて胸も控えめの方がいい。髪は肩より長めの子がどちらかと言えば好き。そしてなるべく賢くない娘の方がいい――そうよね?」

「んな――!?」


 ぎょっ――!? と、アスランが瞠目した。その反応に味をしめたかのように、アストリッドが邪悪に笑った。


「とどめに、アンタには歪んだ性癖がある! それが監禁フェチだ!」


 アストリッドが一層声を張り上げた。


「アンタは作中で少なくともルート別に三回は監禁・ないし監禁未遂イベントを起こす筋金入りの監禁フェチだ! 外鍵のかかる部屋に手足を縛って猿轡噛ませて目隠しした女の子を放り込んで、鬼畜な言葉攻めをしながら力ずくで手籠めにしてしてしまいたいという穢れた欲望がアンタにはある! なんなら流血もコミで、だ! そうでしょう!?」

「や、やめろ――! どっ、どこでそれを聞いた!?」


 今や完全に体面を失いつつあるアスランが、今しがたアストリッドが言ったことをかき消そうとするかのように絶叫し――それからそれを見ているヴィエルのドン引きの表情を見て、しまった、というように激しく首を振った。


「あ――い、いや! 誰に言うかこんな恥ずかしいこと! そっ、それは僕以外の誰も知らない欲望のはずだ! なっ、なのになんでそれを――!?」

「そしてダメ押し的に決定的な証拠をひとぉーつ!」




 物凄い顔で酷く狼狽えるアスランに向かい、アストリッドは右手の人差し指を剣の鋒のように突きつけ、悪魔のような笑顔で叫んだ。




「私たちが転生者である決定的な証拠を言ってやるわ! アンタは、アンタは右乳首の左横と右のケツっぺたにホクロがあるだろう! 違うか、アスラン・D・マグナ―――――――スッ!!」




 どしーん! と、その大声はこの大図書館を、土台から震わせた気がした。


 ドン引きしているヴィエルの横で、赤面するやら青ざめるやら忙しかったアスランが――やおらがっくりと床に手をついて崩折れた。


「そ、そんな……! そんなまさか、僕のホクロの位置まで――!?」


 それさえ図星、かよ。というより、よく知ってたな、ケツっぺたのホクロの位置。ヴィエルは引きつった顔で姉を見た。


「姉ちゃん……そんなことどこで知ったの? ってかホクロって……」

「ふん、ファンブックと公式ツイッターを読んでて、なおかつ全年齢版じゃない方をプレイしてれば嫌でも知るわよ。これでわかったか、この鬼畜眼鏡。もういいわ、公爵令嬢のフリなんかしない。こっからは地で行くわよ」


 ぱちり、とアストリッドは豪奢な扇子を取り出して広げ、口元を隠してアスランを睥睨した。


「今、ウチの弟が言ったことは嘘じゃないわ、アスラン。難しい魔法のことは知ったこっちゃないけれど、私たちは間違いなく転生者よ。全ては話せないけれど、私たちはあなたたちを観測し、全てを覗くことが出来る世界から転生してきた。アンタたちは私に隠し事なんか一切出来ないし、これから起こりうることも大概は記憶している。まだ信じられないってんなら今この場でリピートしてやろうか? アンタが一人でイタしてるときに漏らす喘ぎ声とかね」

「も、もうやめるんだッ!」


 どこかで聞いたことがある声でアスランは絶叫した。


「ば、馬鹿な――! 君たちは本当に異世界から転生してきたと言うのか!? しかも僕たちの全てを観測できる世界って……!?」

「要するにアンタたちは絵本の登場人物みたいなもんね。私たちは読者。あんまり人のことナメてたらいけないわ。これで話を聞く気になったかしら?」


 ぐぬぬ……! とばかりにアスランの顔が歪んだ。転生。そんなことが事実であると認めること自体が、彼にとっては大変に屈辱なことであるらしい。屈辱ではあるらしいのだが――認めるしかない、と、その表情が明確に物語っていた。


「くそ……君たちは一体なにを僕にやらせようというんだ! こっ、こんな屈辱は生まれて初めてだぞ! じっ、自分の全てを他人に見られていたなんて!!」

「何もこれをネタに脅そうって気はないわよ。ちょびっと協力してくれりゃいいの。私たちは二年後に殺される。それを回避するためにアンタのその天才的な頭脳を貸してほしい、って言いたいのよ」


 そうなのか? と、アスランの目が今度はヴィエルに向いた。ヴィエルは大きく頷いた。


「なぁアスランさん……いや、アスラン。俺たちは本当に転生者なんだよ。こっちだってわけがわからないんだけれど、本当に二年後に殺されるらしいんだ。そして、俺たちはアンタにも殺される可能性があるんだよ」

「僕が……君たちを?」


 その言葉に、アスランは崩折れたまま不審そうな顔をした。


「そうだ。とにかく、俺たちの運命を変える事ができるのは、多分あんただけなんだよ。俺たちに協力してくれ、頼むよ」


 心からお願いしてみると、しばらくアスランは何かを考えるかのように沈黙した。

 考えた末に――よろよろと立ち上がったアスランは、傍にあった椅子に腰掛け、大儀そうにため息をついた。


「ひとつ、聞かせてくれないか」


 何だか弱り切ってしまったような声でアスランはそう呟き、ヴィエルとアストリッドを見上げた。


「君たちのいた世界は――なんという世界なんだ?」


 ヴィエルとアストリッドは顔を見合わせ――アストリッドが口を開いた。


「日本、っていう国よ。私たちはそこでも姉弟だった」


 アストリッドはしばらく、日本という国について短くアスランに説明した。魔法という概念が存在しないことについての説明や、そこでの暮らしについての説明を、アスランは黙って聞いていた。


 ひとくさりの説明が終わった後、アストリッドは改まった声で言った。


「アスラン。頭のいいあなたが、既にこの世界の大半のことを知り尽くしてしまって飽き飽きしている、それは知ってるわ。まだ自分さえ知り得ないことを、かなり必死に探し求めていることもね」


 アストリッドはそこで、手で自分を示した。


「それなら、私たちが多分、あなたの求めているものだと思うわよ」


 君が? というように、アスランは無言でアストリッドを見た。


「あなたでさえいまだ理解できない転生というウルトラCを果たした人間が、今あなたの目の前に二人いる。あなたは一生かかっても私たちを理解し切る事はできないかもしれない。でもね、あなたでさえ理解しきることができないもの、もしそんな存在が確実にいるのだとしたら――それこそ、この世に退屈してるあなたにとっては一番のプレゼントなんじゃないかしら?」


 脳みそが腐りきったこの姉の、どこからこんな洒落た表現が出てくるのかと、ヴィエルは少し驚いてしまった。その言葉を確実に受け取ったらしいアスランは、やがて、大きな大きなため息をついた。


「僕が理解できないものが最高のプレゼント、か。全く、君は上手いことを言うな――」


 ハァ、とアスランはもう一度だけため息をついた。反応は反応だったが、そのため息には先程までの退屈の色がないように感じられた。


「確かに、確かにその通りかもしれない。いや、確かにその通りだと、僕も思う。神という不確かな存在が実際にいるとしたら、これは僕にとっての運命なのかもしれないな――」


 アスランは立ち上がると、ヴィエルとアストリッドを正面から見た。その瞳に決意の色があるのを見て、ヴィエルは恐る恐る訊ねた。


「協力――してくれるのか?」

「協力しろ、と僕が嫌でもそう言うんでしょう? どうせ君のお姉さんには僕の全てを知られているんだ。断ったら何を吹聴されるかわかったもんじゃない」

「あら、随分お利口さんね。その通りだけどさ」


 アストリッドはこれぞ悪役令嬢という声で笑った。そのアストリッドを憎らしげに睨んでから、アスランがスッと右手を差し出してきた。


 思わず、その右手とアスランの顔に視線を往復させると、ん、とアスランが子供のように唸った。


「本当に不本意だし、正直、嫌で嫌で吐き気さえする。僕が君たちに協力するのは、あくまで君たちが転生者であると主張していて、僕がその神秘を解き明かしたいと願うからだ。せいぜい、君たちが言うことが嘘ではないことを祈るとするさ――」


 今の言葉が全くの本心であるということは、その端正な顔が酷く歪んでいることからも明らかだった。けれどもこのひねくれ者の男にとっては、いまのが一応、最大級の親愛を込めた言葉だったのだろう。


「ああ、よろしく頼むぜ、アスラン。どうか俺たちに協力してくれ」


 ヴィエルはしっかりと、その手を握った。フッ、と思わず微笑みかけてしまうと、アスランが居心地悪そうに視線を明後日の方向に逸らしてしまった。


「ウホッ! 突然の櫻井ヒロ×岩田彰のBL展開……! ゴチになります……!」


 扇子で口元を覆い、アストリッドがジュボボと涎を啜る汚らしい音が、図書館の高い天井に響き渡った。それを見ていたアスランが、何だか少しゾッとしたような表情を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る