第5話「つらい。叫び出したい。わかるよね?」(CV:櫻井ヒロ)

 で、冒頭の決意表明、そして今ここに至る。


 この声で、この魔性の櫻井ヒロの声で、攻略キャラクターたちと愛を育み、死を回避する。

 そう決まった。




 ヴィエルは姉のアストリッドと並び、このゲームの舞台となるリスタリア魔法学園の正面エントランスに繋がるだだっ広い石畳の上を歩いている。


 この学園に入学が許されているのは基本的に貴族の子弟たちだけで、彼らは華麗なる将来に向け、ここで二年間、学びの時を過ごすのだそうである。


 しかし――ヴィエルはキョロキョロと辺りを見回しながら考える。

 どうにもこの世界、異様に美男美女が多い上に、なんだかどいつからもこいつからもいい匂いがする。

 若い人間が多いのは自分がかつて通っていた大学と一緒だが、この顔面偏差値の高さと身分の高そうな人間ばかりのところはどうにも馴染めない。


 ヴィエルは小声で隣を歩く姉に耳打ちした。


「ね、姉ちゃん――」

「あによ? それとこっから先は姉ちゃん呼びは禁止。貴族令息らしく、ちゃんと姉上とお呼びになって」


 チッ、この腐女子め、もう早速貴族令嬢らしい振る舞いを始めているらしいのである。

 月に一度は通い詰めていたコスプレ撮影会で鍛えたのか、その豪奢なドレスの着こなしには一部の隙もない。慣れない異世界衣装に着られるばかりで、立ち居振る舞いもまるでなっていないヴィエルとは違い、しゃんと背筋を伸ばして歩く姉はどこからどう見ても貴族令嬢だった。




「わかったよ、姉上……ところで」




 ぎょっ――!? と、そこでアストリッドが飛び退った。

 え、何? とキョトンとしてしまうと、アストリッドは胸に手を当ててため息をついた。


「あーびっくりした……櫻井ヒロが話しかけてきたのかと思った」


 面倒である。ただただ面倒である。

 ヴィエルは思いっきり顔を歪めた。


「年に五分ぐらいでいいから真面目になってくれないなら首締めるぞ」

「わ、悪かったわよ。でもしょうがないじゃない。今のアンタの声は凶器なんだから」


 アストリッドの鼓動はまだ治まらないらしい。唾を飲み込むしばらくの間があった後、ヴィエルは質問した。

「ところで姉上。『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンって、どこから始まるの?」

「オープニングは主人公であるアリスが入学パーティに臨むところから始まるわね」


 アストリッドは流石の乙女脳といえる速度でつらつらと説明した。


「私と彼女が出会うのもそこだけど――まぁ今のところは挨拶程度にとどめておこうかしら。何しろ彼女が攻略キャラクターの中の誰かとくっついてしまったら、それこそアンタも私も破滅の第一歩を歩むことになるからね」


 姉の説明はその通りだ。如何に今のヴィエルやアストリッドにその気がなくとも、この乙女ゲームがシナリオ通りに進む事態はいくらでも避けたい。

 避けなければ、そのまま小さな事態がバタフライ・エフェクト的に拡散し、いつの間にか自分たちの命を奪う結果にもなりかねないのだ。


「でっ、でも、そのアリスって娘が誰かと勝手にいい仲になったらどうするんだ? 姉上は悪役令嬢らしくその仲を邪魔する作戦で行った方がいいんじゃないのか?」


 ハァ、とアストリッドは心底呆れたというようにため息をつき、弟を憐れむような視線で見つめた。


「えっ、何?」

「ヴィエル。いや、ユーリ。アンタ本当にモテなかったんでしょうね?」

「な――なんだよ急に」

「もう聞いてくるところがモテないのよ」


 アストリッドは指先でヴィエルの胸をど突き、その顔を睨みつけた。


「乙女とイケメンの仲が邪魔して邪魔できるモンだと思ってんの? 悪役令嬢なんて愛の炎をますます強く燃え上がらせるための添え物よ。私は生きた障害、刺し身についてくるワサビみたいなもんよ」

「よくわかんないよ」

「私が邪魔すれば邪魔するほどアリスと攻略キャラたちはますます強く惹かれ合うに決まってるってことよ。もうホント言わせないでよこんなこと」


 アストリッドは隠さぬ呆れ顔で弟を詰った。


「いい? 乙女ゲームでやれ記憶喪失だやれ不治の病だやれ身分差だって敷居高くするのはなんでだと思う? 全ては愛の炎を燃え上がらせるためよ。愛ってのは障害は高くなれば高くなるほど激しく燃えるの。私が悪役令嬢としてアリスと他の子たちの愛を邪魔する? 火に油を注ぐようなもんよ」


 確信的な口調でそう言い、アリスはスッとヴィエルから視線を逸らした。


「だからそんな馬鹿なことはしない。私はもっといい手を考えてるわ。あの子に誰ともくっつかせず、なおかつ穏便に済ませる方策をね」

「ま、マジで? そんなことできるのか、姉上」

「任せときなさいよ。今まで何人を底なし沼に引きずり込んできたと思ってんの。私のテクニックにかかれば二度と太陽と月に顔向けできない人間にしてやれるわ」


 フフン、とアストリッドは不敵に笑った。

 その顔の下衆なることは悪役令嬢のそれというより、何だか悪いことを思いついた時の葛西千鶴の表情そのものに見えた。

 その表情に何かしらゾッとするものを感じた、その時だった。




「きゃ――!」



 ビタン! という下品な音が発し、ヴィエルは足を止めた。

 見ると、石畳の隙間に躓いたらしい令嬢が、荷物をぶちまけて地面にへたり込んでいる。


 ふと――声をかけてみようかという気になった。

 周囲の注目を集めてしまい、慌てて荷物を拾い上げて立ち上がろうとしている令嬢の横に、ヴィエルはしゃがみ込んだ。




「君、大丈夫?」




 咄嗟に声がけしたせいで、ややかすれた声が出た。

 途端に、令嬢ががばっと顔を上げ、ヴィエルの顔をまじまじと見た。




「捻挫とかはしてないよね? ほら、これで手を拭いて」




 ヴィエルはポケットに入れていたハンカチーフを差し出した。ハンカチとヴィエルの顔とを交互に見て、え、あの……とまごついている風の令嬢がじれったくて、ヴィエルは令嬢の手を取り、普段は開かない糸目を見開いた。




「遠慮しないで、汚れても構わない。僕は――君に穢れてほしくないんだ」




 そう言って、掌ごと包み込んでハンカチーフを持たせると、令嬢の顔が物凄い勢いで赤く、否、赤黒く変色した。

 その急激な変化に思わず目を瞠ると、令嬢は短く悲鳴を上げ、ヴィエルの手を半ば振り払うようにして立ち上がった。


「ああ、ああああ……! あうう……!!」

「どうしたの、そんなに慌てて?」


 思わず小首を傾げて尋ねると、令嬢は泣き出しそうな顔でわなわなと唇を震わせた。


「あっ、あのっ! このハンカチありがとうございます! あの、後で必ず洗って返します!」

「うっ、うん……」

「あのっ! あの……ありがとうございますっ! いや、あの、ごっ、ごめんなさい! 私はこれで!!」


 言うが早いか、令嬢は真っ赤になった顔を背けると、うぃやぁぁぁぁぁ! というような奇声を上げて走っていってしまう。

 あの、そっちは今来た方向だけど――と声をかけようとした途端、「おい」とアストリッドに肩を掴まれた。


「アンタ、その顔と声であんまりチャラチャラ女の子に声かけんじゃないわよ。あの娘殺す気?」

「いや、むしろ助ける気だったんだけど」

「あーあ、あの子、あの調子だともう今日は使い物になんないわよ。何しろ櫻井ヒロの声が通った後は草も木もみんな彼に恋してしまうんだから」


 アストリッドはダバダバと走り去ってゆく令嬢の背中を見つめた。


「櫻井ヒロに初めて出会った者は皆ああなる――しかもこの世界にはインターネットどころかアニメもない。耐性の全くないところに櫻井ヒロの声が聞こえてみろ。耳が妊娠するわよ」

「そ、そんな大袈裟な! 毒ガスじゃあるまいし――!」

「考えようによっちゃ毒ガスよりもタチ悪いわよ。悪くすれば一生囚われるんだから」


 かく言う私もその一人なのよね――というような、気味の悪い自嘲顔でアストリッドは己を嗤った。


「とにかく、あんまりその声で令嬢たちをきゃあきゃあ言わせるのはよしなさいな。特に主人公であるアリスに話しかけるのは厳禁よ。アンタのその顔と声なら勝手にあっちがお熱を上げるかもしれない。そうなったらアンタは短剣を胸に突き刺して血塗れで死ぬことになる。わかったわね?」 


 最後に恐ろしいことを付け加えて、アストリッドは前方に向き直った。そのまま、ノシノシと確固たる足取りで歩いてゆく姉に、呆然としていたヴィエルは慌てて追いすがった。


「ちょ、姉上、どこ行くの!? もう入学パーティが始まるよ!」

「出来ることならオープニングが始まる前に会っておきたいヤツがいるのよ」


 アストリッドは振り返らないままに言った。




「アイツは頭がいい。アイツだけは私たちが全部をぶちまけても全てを理解して納得してくれそうだし、何よりも絶対に敵には出来ないからね。先手必勝で仲間に引きずり込むのよ」




 アイツ? ヴィエルは姉を見た。

 アストリッドは意志の炎が燃えた目で、真っ直ぐ前方を見つめた。




「そう。アイツはこのゲームの攻略キャラクターの一人。その圧倒的な頭脳と魔法の才能で、難しい問題をなんでも解決してくれるご都合主義的キャラクター。そしてそして、あの、あの孤高の声優が声を当てた、作中随一のドS鬼畜男――」



 アストリッドは目だけでヴィエルを振り返った。




「今から私たちが会いに行く男の名前は、アスラン・D・マグナス――このゲームの攻略キャラの一人であり、あの岩田彰が声を当てた鬼畜眼鏡よ」

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