第4話「泣く、絶望する。そんなもの今しかできない」(CV:櫻井ヒロ)

「は?」

「だから、死ぬ。ヴィエルはこのゲームのエンディング間際、今から約二年後に裏切る。そして死ぬ。この『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンのルート通りなら死ぬ。つまり死ぬのよアンタは」

「――自然死?」

「他殺よ」

「たさっ――!」


 ヴィエルの顔から音を立てて血の気が引いた。糸目を見開き、思わずヴィエルは椅子から腰を浮かせた。


「そっち先に言えよ! 櫻井ヒロの都市伝説がどうのこうのなんてどうでもいいだろうが! お――俺が、死ぬ――?! 二年後に!?」


 ヴィエルはわなわなと震えた。姉はそんな様子の弟を満足そうに眺め、己の肘を抱いた。


「やっと飲み込めたか、たわけ弟。裏切り者には死を、それは世界中どこでも常識でしょ? たとえそれが乙女ゲームの世界でもね」


 アストリッドは弟の頭に恐怖を刷り込むかのように続けた。


「ヴィエルは私たちの今の父・アンソロジューン公爵が市井の性悪女との間に作った妾腹で、その生い立ちから心に深い闇を抱えている。ゆくゆくは私を殺し、父を殺し母を殺し、アンソロジューン公爵家を乗っ取る腹づもりでいる。要するにゲームの展開通りなら、悪役令嬢ことアストリッド・アンソロジューンはアンタに殺されるってわけ」


 何だか物凄い情報なのに、アストリッドは平然とした表情で言い放った。


「だがそれには力が足りない。ヴィエルはアンソロジューン家を乗っ取るための力を求めて魔法学園にやってくる。そこに現れるのが――」


 そこで姉は黒板に向き直り、サラサラとなにかの絵を描き出した。流石歴戦の同人作家と言える手つきで描かれたのは――少女の顔だった。でも何故なのかわからないが、鼻から上が滲んでいてよく見えない。この姉が女性キャラを描くと何故か鼻から上が滲んでよく見えなくなるのだ。この謎の現象は姉曰く「BL作家の宿命」らしい。


「彼女の名前はアリス。この『妄執と欺瞞のCinque』、通称もぎチンの主人公であり、生まれながらにして破魔の魔法の素質を持った世界唯一の女の子よ」


 この顔を忘れないで、とアストリッドはヴィエルを睨みつけた。ガクガクと頷くと、アストリッドは続けた。


「ヴィエルはこの少女の才能に目をつける。この子が持つ強大な破魔の魔法の力があれば、アンソロジューン家の全員を暗殺して公爵家を乗っ取ることなんて容易いこと。いやもっと大きな野望を描くことすら出来る。破魔の魔法で王家に反旗を翻し、この国を転覆させることすら――」


 そんな馬鹿でかい野望を秘めた男だったというのか、今の自分は。将来はワールドカップに出てイニエスタ相手にハットトリックを決めるんだと言い張る腕白小僧の夢の方がまだ現実的ではないか。ヴィエルの身体に嫌な悪寒が走った。


「だからヴィエルはなんとかアリスを我が物にしようと画策する。これがヴィエル以外のキャラのルートの大体の筋書きね。だけどストーリー後半、アリスが自分のものにならず、他者の手に渡ったとわかった途端、ヴィエルは学園の仲間たちを裏切る。生まれ持った闇の魔力でアリスを奪い、己の野望のために闇に堕とそうとする――」




 それで、攻略キャラの誰かに殺される。

 言わなくとも、アストリッドの目は明確にそう言っていた。




 ぞっ、と背筋が冷たくなり、思わずヴィエルは反論した。


「で、でもさ! それはヴィエル以外のルートだろ?! よくわかんないけどさ、俺が攻略キャラクターの一人ってことは、俺のルートもあるってことなんだよな!? そ、それなら、俺が頑張ってそのアリスとフラグ立てられたら――!」

「甘いわね。その場合、アンタの死因が他殺から自殺になるだけよ」


 はっ――? とヴィエルは息を呑んだ。




「隠しキャラ、それも櫻井ヒロが演じたキャラクターの業は深いわね――シークレットキャラであるヴィエルルートのトゥルーエンディングはね、何度突き落とそうとしても穢れることを知らないアリスの心にいつしか本気の恋をしてしまったヴィエルが、彼女の清廉さと己の抱えた闇のギャップに悩み、自殺という手段で決着をつけるのよ」




 なんだってそんなめんどくさいことを!? ヴィエルは自分自身を呪った。

 フゥ、とアストリッドはため息をついた。


「これがもう、それはそれはエロいエンディングでねぇ――己が手で胸に短剣を突き立てたヴィエルをアリスが抱き起こし、その血塗れの手を握り、お互いに涙する――あのヴィエルが、あの腹黒ヴィエルが、最後に人の心とぬくもりとを知って散るのよねぇ」


 ジュボボ……と姉の口が汚らしい音を立てて唾液を啜った。


「まぁ流血描写はあんまり得意じゃないんだけど、このエンディングだけは抜けた――いや、泣けたわねぇうん」

「なぁーにを呑気なこと言ってんだよ! つ、つまり、俺って全ルートで死亡率十割ってことか!?」

「あはは、オータニ=サンを上回る伝説のバッターねアンタ。まぁ打率じゃなくて死亡率だけど」

「笑い事か! 笑い事であってたまるか!!」


 ヴィエルは美しい金髪の頭を掻きむしった。


「じゃ、じゃあ、ヴィエルがヴィエルじゃなくなって俺になったってことは、もう死ぬ危険はないってことでいいんだよね!? 俺そんな国家転覆とか全然考えてないし! 変に出世とかしないで一生平無責任に暮らしたいZ世代だし!」

「本当にそう上手く行くかしらねぇ」


 自分のことでもあるというのに、アストリッドは浅知恵を憐れむかのように嗤った。


「本当にアンタは安全だと思うわけ? この世界は乙女ゲームの世界なのよ? もしアンタがそういうことを考えなかったとしても、攻略キャラクター同士が主人公を巡って殺し合いなんてザラっザラのザラよ。アンタが攻略キャラである限り、絶対安全な訳がないわ」

「お、乙女ゲーってサツバツ……! そんな、女の子を巡って殺し合いなんて……!」

「あら、これでもまだソフティな部類に入る展開よ。アンタ、推しにフォークで何度も何度も刺された経験ある?」

「そんなスプラッタな経験あるか! 俺はチンする前のソーセージじゃないよ!」

「ソーセージ、言い得て妙ね。ソーセージに転生したらあんな気分だったのかしらねぇ」


 妙なところで感心してみせたアストリッドは、とにかく、と声を張り上げた。


「とにかく、二年後に私たちは破滅、否、死ぬわ! 今私たちがやるべきことは、その死の危険を回避する方策を練ることだけよ!」


 アストリッドはとてもいい声と表情で言った。その目は生きることを諦めても、襲い来る破滅に怯えてもいない。思わず頷いてしまうと、アストリッドはこうも言った。


「とにかく、今や私たちは破滅姉弟、二年後に死亡する可能性が高いという絶望の箱庭の只中にいる! だからって怯えながらコソコソ生きていく気はサラサラないわ! 死を回避し、なおかつこの異世界の大地でハチャメチャ♥ラブロマンスな学園生活をエンジョイしてフィーバーするためには、己の武器を活かす他ないのよ!」

「や、やけに久しぶりに聞く言葉ばっかり――! そ、それで、姉ちゃん。その武器って――!? なにか隠し武器でもあるの!?」

「ええ、あるわ。アンタが他の攻略キャラじゃなく、ヴィエル・アンソロジューンに転生したからこその武器がね――」


 アストリッドの顔に不敵な笑みが浮かんだ。その自信満々の笑みに戸惑うヴィエルに、アストリッドはツカツカと歩み寄ってきて、そしてヴィエルの喉仏にそっと触れた――。




「私たちの武器――それはアンタの今のその声、櫻井ヒロの魔性の声そのものよ」


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