第12話 意志薄弱


「おじゃましま~す!」


 先ほどまで泣いていたとは、とても思えない明るい声で奏さんが、俺の部屋に入ってくる。


 俺は、それを聞きながら電灯をつけた。


「散らかってて、ごめんね」


 なんて、平静を装っているが、内心俺は、焦っている。焦りまくっている。


 マジで、これどうするよ。


 俺は、最近流行っているらしいラブソングを口ずさんでいる奏さんを見る。


 同時に奏さんも俺のことを見ていたみたいで、目が合った。そして、微笑み返してくる。


 その目には、期待(何のとはいわないでおく)が少しばかりか込められていたような気がしてならないのは、俺の気のせいだろうか。


 まあ、きっとそうだろう。


 そう思わせてくれ――。


 正直に言おう。


 奏さんを家に招待しておいてなんだけど、俺には、この後、奏さんとどうこうなろう、なんて気は一切ない。


 いや、まあ、そう言い切ってしまうと、嘘になるんだけども……。


 なんだか矛盾しているようだが、今の俺の心情を表すにはこう言う外ない。


 奏さんのことは、好きだし、ゆくゆくはそうなりたい。


 でも、それは、今日じゃない。


 だいたい、俺と奏さんは、付き合い始めて一カ月も経っていないのだ。


 それに、今日、あんなことがあったのに、奏さんとどうこうなろうなんて気分になっていたらさすがに俺は、自分のことが嫌になる。


「海里くん? もしかして、緊張してる?」


 あまりに俺が考え事をしていて、話さないからか、奏さんが声をかけてきた。


「あ、ああ……その……なんか、人を家に上げるの久しぶりだからさ、どうしていたっけって思い出してた」


 俺が、弁明した瞬間、奏さんの顔からゆっくり、と笑顔が消えていった。


「最後に家に上げたのは、だれ? 女の子? いつ? 最近じゃないよね?」


 まくしたてるように質問をしてきた。


「女子を上げたことは、ないよ……中学のときにとゲームをしたきりだよ……」


「そっかぁ! よかった!」


 奏さんの顔に笑顔が戻った。


 ……。


 いやさ、これさ……。


 俺は、今までの出来事を振り返る。


 振り返るというよりは、走馬灯が流れて、全てのピースが一致したような感覚だった。


 メッセージの返信速度といい……。


 道端で泣かせてしまったときの反応といい……。


 今の反応といい……。


 気分の浮き沈みが激しすぎる。


 健の知り合いが言っていた噂ってやっぱり……。


 冷や汗が背中からぶわあ、と噴き出し始めた。


 いやいや……。彼女のことをそんな風に思うのはよくないって……。


 内心、色々疑ってしまう自分に嫌気がさしてきた。


 最近、会えてなくて精神的に不安定になってしまったのだろう。


 きっと、そうだ。


「お茶淹れてくるから待ってて」


 俺は、少し気を落ちるつけるためにリビングに行くことにした。


「うん! 待ってる! あ、ベッドの下チェックしたりなんてそんなベタなことしないから! 安心して!」


 そんなベタな発想をしないでください。


 ありがとう、と言って、俺は、部屋を出た。


 俺は、階段を下って、リビングに入る。


 さて――。


 未だに、スマホには、すず姉から鬼電が来ているけど、気が散るから、リビングに放り投げておいて……。


 今の状況で、不安定になってしまっている奏さんにこんなものを見られようものなら――。


 だから、そういうことを考えるのは、よくないって……。


 とにかく、すず姉のことは後回し。


 差し迫った目の前のことに集中!


 キッチンに向かい、食器棚からグラスを二つとり、麦茶を淹れる。


 一杯、自分の分を飲み干して、入れ直す。


 そして、奏さんの分と俺の分――両方をトレーに載せる。


 今後の方針は、一つ。


 ゲームとかをしたり、漫画を一緒に読んだりして、何事もなくこの場を乗り切る。


 これに限る。


 もしも、奏さんが何かを期待していたとしたら、申し訳ない。


 が、心の準備も、物理的な準備も何もできていないので、許してほしい。


 はあ、と息をついて、二階の自室へと戻る。


 ガチャリ、と部屋のドアを開けた。


「ただい……ま……」


 俺は、部屋のドアを開けてすぐに飛び込んできた光景に言葉を失ってしまった。


「海里くん……この部屋、すごく暑ーい……」


 奏さんが、ブラウスのボタンを際どいところまで外して、ベッドの上に座っていた。


 それを見て俺は、思わずごくり、と喉を鳴らしてしまった。


 いやいや、暑いって……冬なんですけど!


 と、ツッコミを入れて、落ち着こうとするが、視覚的な刺激に揺さぶりをかけられ、無意味だった。


「海里くん……? 麦茶飲みたいな……こっちに持ってきてくれない……?」


 奏さんが、妖艶に微笑みながら、前かがみになった。


 奏さんの胸元のIの字が、目に入り、俺は、慌てて目を逸らす。


「は、はい……」


 目を逸らしながら近づいて、奏さんに麦茶の入ったグラスを手渡す。


 と、同時に奏さんに手を掴まれた。


「海里くん、やっとこっちに来てくれた……。隣、すわってぇ……。ねええ……」


 もう有無を言わせない、と言わんばかりに手に力がこもっていた。


 麦茶はグラスからこぼれて、奏さんのブラウスを濡らしている。ついでに、俺のワイシャツの袖にもかかっていて、その冷たさが鳥肌を助長した。


 まずい……。まずい……。


 このままだと、流されるぞ……。


 正直、もう既に、陥落しかけている。


 意志薄弱。


 まさしく俺のことだった。


「海里くん……? 鳥肌、すごいよ……? 大丈夫……?」


「あ、うん。大丈夫……大丈夫だから……」


 そう俺が言うと、奏さんは、グラスの麦茶を全部飲み干して、グラスをすぐ隣にあったテーブルに置いた。


 そして――。


「鳥肌が立っているってことはさ、寒いんだよね? 今、私の身体すごく暑いの……」


 ゆらりゆらり、とベッドの前で立ち尽くす俺に奏さんが近づいてくる。


 この後、どうなるかわかっているのに、俺は、動けなかった。


「だからね、寒がりな海里くんを私が温めてあげようと思います! いいよ……ね?」


 俺の返答を待たずに奏さんが抱き着いてきた。


 甘い香りで鼻腔が満たされた。


 柔らかいものが、俺の胸のあたりに押し当てられる。同時に奏さんの濡れたブラウスが僕のワイシャツにも染みを作った。


「強引な、感じでごめんね……? でも、海里くんとしばらく会えなくて寂しかったから……。海里くんも寂しかったよね……?」


「う、うん……寂しかったよ……? でも、こういうのはさ……もっと、段階を踏んでというか……」


 偉い!

 

 偉いぞ、俺!


 もう、どうとでもなれ、と思いかけていたところで、わずかに残っていた理性が戻ってきた。


 でも、それで止まる奏さんじゃなかった。


「ちょっと、予定が早まるだけだよ……! 海里くんさ、バイトしてたでしょ……?」


「あ、うん……黙っててごめん……」


「こういうこと、あんまり言いたくないけど、友達が海里くんのバイト先の常連さんで、教えてくれたんだ……」


 そんな常連さんいるの……?


 俺は、自分の記憶を辿る。


 まあ、一応、高校生くらいのお客さんもたまに来るけど……。


 その中に奏さんの友達がいたのか……?


 怪しいところがある。


 俺の思考を遮るように、奏さんは続ける。


「海里くん、何の用事か教えてくれないから、すごく不安になったんだ……。もしかしたら、浮気してるんじゃないかって……」


「そ、それは……ごめん……」


 クリスマスデートのお金がないなんて、言いたくなかったから、黙っていたのが裏目に出た。


 このことに関しては、俺に落ち度がある。


 そう思うと、何だか今回の一件は、全て俺のせいのように思えてきた。


 俺がちゃんとお金がないから知り合いのところでバイトすると伝えていれば。


 すず姉とのことを(女装のことは言えないけど)ちゃんと伝えていれば。


 こんなことにはならなかったかもしれない。


「すごく不安だったの……。海里くん、浮気してないよね……? 私のことちゃんと好きだよね……?」


「浮気なんてするわけないよ! 奏さんのことすごく好きだよ!」


 俺は、奏さんを安心させるため、彼女の背中をさする。


 じゃあさ――。


 奏さんが、一度俺の身体に抱きつくのを止める。


「言葉だけじゃ安心できないの……。だからね……私のこと、ちゃんと好きって、安心させて……? わからせて……?」


 うるんだ瞳で。


 上目遣いで。


 奏さんに見られた。


 俺は、そのうるんだ瞳にどうしようもなく。


 ――ただ、吸い込まれてしまった。


 その後のことは、緊張していたりなんだりで、正直よく覚えていない。


 気がついたときには、全てが終わっていた。

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