第10話

「今日のインタビュー、ほんとは、もっとスムーズにできたのに」


今日もタクシーで帰ってきたが、前世の天華の知り合いの運転手ではなかったので、会話は無しで帰ってきたが。家に帰ってソファにもたれた天華が言う。後悔しているようだ。


「パパはどうして車の免許持ってないの?」

「……免許取ろうと思ったことがないからだ」

都心で、今世の若い頃は。電車通勤が主だった。それに。なぜだか、前世の記憶とは関係あるのかないのか。

「タクシー、好きだったんだ」だから免許はいらなかった。

「……」

天華が黙った。

「じゃあ、どうして」

天華の目が鋭く暗く光る。

「あの日、私が運転するタクシーで、あんなに怒ったの?私のこと舐めてた?女だから」

しばらく俺は考えた。思い出した事を正直に言った。

「新人を教育してたんだ。イエスマンというか、何でもハイ!って言うやつだった。

何か教えてハイ!って返事するものだから、本当にわかったのか?と聞いたらまたハイ!という。

無駄な言い訳も釈明もしない、今思えばフレッシュでいい若手だ。外国じゃ新人だからってフレッシュって使わないが」

話が脱線して。

思い出しながら、そうだ、

「無理をしていたらしくて、会社を無断欠勤、来なくなった、周りは俺のことも若手の事も責めなかったが、新人教育の、プライドの高い俺は、……パパはそいつの家まで行ってしまった……」

それで、追い詰めてしまった。

「今でいう適応障害だったと思う。うつのような症状もあって。用意周到でやる気のあるやつで。

もし。風邪をひいても解熱剤として八十錠入ったバファリンみたいなのを家に常備している、そんな、若いやつだった。

会社に何が何でも出社する、そんなやる気のあるやつだったんだ。

でも、追い詰められたそいつはそれに手を出して、気持ち悪くて結局吐いて、俺はそいつを看病というか病院に連れて行ったような気がする」

天華は静かに聞いていた。

「病院から、タクシーで自宅に帰った」

そして。

「しばらくして、自分に皺寄せが来た。反省というよりは、怒りだった」

何とも言えない焦燥と、しかし冷静でいなければ、という理想の自分を体現しようとする動と静、光と闇。

赤ん坊の頃に死んでしまった母がいる自分にとって、目の前で瓶をあけて薬をざばあっとだし。

今度は買い置きのミネラルウォーターを泣きながら用意するそいつを黙って見ていた自分。

そのあとは、すぐには止められずに動けなかった自分。

何が起こっているかいまだにわからない自分。

相手が吐いて、やっと「なにやってんだ?!」と、ようやく、人間らしく止めた自分。

そんなある日のこと。

「酔ってもいないし、仕事で失敗したわけでもない、ただ、自分が人間じゃない気がして、

ある日、耐え切れなくて、

俺はいい大人なのに若いタクシードライバーに、甘えてとんでもない八つ当たりを今更になってした」

どうしたのかは覚えていない。ただタクシーという密室で自分はとんでもなく荒ぶったらしい。

一瞬とはいえ、一瞬。しかし。

そこから先は、おぼろげだった。人生の佳境だ。

その時代では、もう既にタクシーに車内カメラが取り付けられていて、

「パパは、社会的制裁を受けた。まだ、しっかりと反省できなかった。しばらくして、高級だが着古してきたようなこだわりのなくなったスーツを着て、相変わらずタクシーを利用していた。アプリで呼べるようにもなったので無表情にダウンロードして、そこから……」


そこから先は考えると、この世で最も思い出してはいけないことの一つとして、今は恐怖が刻まれている。

なぜなら、目の前に天華が、いるからだ。


天華も恐怖に震えていた。パパとしてもちろん心配だった。

「いいタクシー会社だった。女性ドライバーの先輩たちもいた。でも、パパの前世みたいな人は、カメラが付いてからむしろ増えたような気さえした。実際はそれだけひどいところはひどかったんだろうけれど、防犯パネルもついた。

だけど、許せなかった」


天華が泣きながらいう。


「大好きな仕事と趣味が怖くなったから」


ごめん、と言っていいんだろうか。

ごめんと言った方がいいんだろうか。


「どうして、アイドルとモデルの仕事をしたんだ」

かわりにそんな言葉しか出なかった。


天華が涙を拭く。

「いまは、まだ無理だけど、宮下天華として、いつかまた運転免許を取りたい。でも、こんな記憶を抱えて、運転していいのかわからない」


父は黙って聞く。曲や歌声、撮影中の衣擦れの音やカメラの音よりも。


「そんなとき、乗る側の、気持ちを、沢山知っておいた方がいいと思った。前世は、両親が事情があって家族で車でどこか行くとか、あまりなかったから」


運転手ではなく、乗車する者として心構えを持っていこう。モデルやアイドルなら防犯も兼ねてタクシーを利用して当然。そして。

「なにより、やってみたかったから」

そして、誰も駄目とは言わずに今世の両親も、自分が就く仕事を応援してくれる人だから。

「応援する人も、応援される人も、一体になれる世界で、がんばってみたかった」


気づくと、父は。今なら泣けると思っていた。

インタビューでそれ言えば良かったじゃないか。

頑張っているやつを、潰してしまったような経験を、潰すような経験を、自分は。


人生一周目、二周目で、若人に、娘に。

してしまったのか?


「パパが、タクシーが好きな理由は、前世で満員電車に、乗れなかったからだ。

どんなに金額が高くなっても、満員電車で気分が悪くなるくらいなら、タクシーに乗ってやる。そう決意した。

生まれて初めてタクシーに乗ったのは、二十二才だった。遅いのか早いのか分からない。

経費、会社のお金で落ちるだろうかと、不安だった。でも、ほんとうに、そうじゃないと苦しくて仕事を辞めそうだったんだ。静かに一人、乗っていられるのが、安息で、これなら、生きていける。仕事が続けられる、そう思った。タクシーは


生きる救いだった。


ごめんな、前世の天華、そんなタクシーに、俺は轢かれて死んだんだ。なんて、不幸なことなんだ。


これは、どういうことなんだ」

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