白い通路

 目を覚ますと、男は白い通路の真ん中に横たわっていた。

白い通路は前にどこまでも続いていた。窓も照明もないのに、どこかぼんやり明るく、ずっとずっと続く通路の果ては白みがかって見えなくなっていた。通路は人が二人並んで歩けるくらいの道幅だった。目を瞑っていても光が感じられるほど、その通路は影一つなく光に満ちていた。


「はて、ここは一体どこだろう……」


 男はその通路を歩いた覚えもなく、まして通路の真ん中で眠りこけるような性分も持ち合わせていなかった。しかしなぜだか、この通路に寝そべっていると、まるで三車線道路の真ん中を自転車で駆ける様な、不思議な背徳と解放に満ちていた。男は寝ぼけていたのか、なんの危機感も持たずぼうっと通路の果てを眺めていた。


 しばらくそうしていると、男は空腹も喉の渇きも感じないことに気付いた。男はようやく違和感を抱き、さっきまでの居心地の良さが全くの幻であったと感じられた。突き動かされる様に立ち上がり、伸びた通路の先へ足早に向かった。やはり両側の壁にはなんの変化もなく、白く塗られた壁面がのっぺりと続いていく。


 どこまでも、どこまでも、男は歩き続ける。目を覚ました場所から全く変わらない景色が続く。


「もしかして、床が動いて元の場所に戻っているんじゃないのか」


 男はふっと立ち止まり、しゃがんで床と壁の合間に手を当ててみたが、通路や床が動いている様子はない。あまりに無音で、男の心臓が動く音が明確に聞こえるほどだった。こんな時でも平静に鼓動を刻む心臓がにくらしく思えた。


「これは、どういうことだ……」


 床から視線を戻そうとした時、目の端に同じ景色がもう一つ続いていることに気がついた。不思議に思って振り返ると、白い通路は後ろ側にも永遠に続いており、床の果ては白くぼんやりとして見えなくなっていた。歩いていた方へ視線をもどすと、全く同じ光景が続いている。

目覚めた場所が始まりの様に思っていたが、長い長い通路の間で目覚めていたのだ。


 男は当惑とうわくした。平板な廊下が前にも後ろにも無限に続いている。

よろめいて立ち、向かっていた方へ再び向かう。のろのろと歩いていた男はやがて早足になり、気がつけば全力で走っていた。男は走ることに自信があったが、のっぺりとかわらない白色はいつもより男を疲れさせていた。何より、こんなに景色が変わらない様ではどれだけ走ったかも検討がつかない。


 走っていられなくなって壁に手をつくと、今度はこの壁を壊せないかとひらめいた。白い静かな通路に、壁を殴る音が鈍く響く。壁も床も、コンクリートの様に固い建材で作られていることはすぐにわかった。とても男一人のこぶしでは壊せそうにない。それでも男は壁を殴り続けた。


「くそ、くそ。どうしておれが、こんな目に」


 男は壁を壊すという目的も忘れ、怒りと不安に飲み込まれてただ壁にその手を打ちつけていた。握った拳が痛くなり、男はずるずるとへたりこんでしまう。男の荒い呼吸だけが、白い通路に響いていた。


「もしかすると、逆に走れば出られるかもしれない……」


 男は同じかそれ以上の時間、向かっていた先と逆の方へ走った。無心で走り続ける。変化のない景色が嫌になり、目を閉じて走り出す。深い漆黒の中で、男はこのまま永遠に出られないことを想像した。背中からぞくりと冷や汗がつたる。嫌な想像を振り払い、出口を目指してただ走り続けるほかにない。男は戸惑いながら前へ進む。


 走っていると、何かが後ろから追いかけてきているのではないか、と思い込んでしまう。男は何度も後ろを振り返るが、同じ景色が続くだけで、人の気配など全くない。しかし前を向いて走ると、どうにも背中から嫌な気配を感じてならない。一度そう感じると、錯覚でもなかなか忘れられなくなってしまう。


「だれか、誰かいないか!なんでもいい、返事をしてくれ」


 男は走りながら叫ぶ。返事はどこからもなく、男の声だけが虚しく響く。嫌な想像は激しさを増し、男は過呼吸になって走っていられなくなった。足がもつれて転ぶ。それでも呼吸を整えて、逃げる様に走り出す。裸足と床がぺたぺたと鳴るだけで、通路は軋む音ひとつしない。


 走っては立ち止まり、走っては立ち止まる。何度も何度も男は走る。

だが通路は一向に変化がない。どっちへ向かおうと、果ては見えない。


「どうしろというんだ。夢なら醒めてくれ……お願いだ」


男はばたりと床に寝そべり、呼吸を整える。何度も頬をつねったが、醒める気配は微塵もない。再び立ち上がろうとしたが、目の前の景色が一向に変わらないことで男に強大な諦念が襲う。深い絶望の中で、男は眠りに落ちていった……。







 目を覚ますと、男は白い通路の真ん中に横たわっていた。

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