第4話 推し

「じゃあ、再生するぞー」


 国語の授業中。

 学校の備品の“ラジカセ”なるものを使って教科書に載っている物語の一節を“朗読”した声を録音するのがその日の課題だった。


「カセットテープなんて初めて使ったね」

「昔はこんなふうに録音してたんだな」


 ざわざわする教室の中、生徒たちが各々録音したテープが次々と再生されていく。


「じゃあ次は……音咲だな。流すぞー」


(あ。次は私の番……)


 担任の先生の宣言の後、私の声が“ラジカセ”から流れる。

 こういう課題にはいつも全力で取り組む私は、今回も例に漏れず、歌を歌うときの発声で、心を込めて朗読した。


(歌じゃないから大丈夫だよね。みんなの反応が怖いけど……)


 スピーカーから私の声が流れ始めるのを、緊張しながら見守った。……けれど、手に汗を握っていた私は、クラスのみんなの様子を見てホッとして肩の力を抜いた。

  

(なぁんだ。みんな、真剣に聴いてないみたい)


 緊張にこわばった全身の力が一気に抜けて、安堵のため息とともに椅子に背を預けた。完全に気が緩んでいたから、そんな私をじっと見つめていた人がいたことなんてまったく気づかなかったんだ。



◆◆◆



「え? 私の朗読を録音したテープがなくなった……?」


 放課後、職員室に呼ばれた私は驚いた。


 窓からは西日が差し込み、担任の右半分をオレンジ色に染めている。椅子に座ったまま、申し訳なさそうに眉を下げた担任は、教師なのに頼りなさげで、いつもよりもっと幼く見えた。


「ああ、すまん。職員室に戻ったときには既になくてなぁ。探したんだが見当たらん」

「そうなんですか。でもまあ、使わないのでなくても大丈夫です」


 授業に使ったラジカセは学校の備品だったが、録音したカセットテープはクラスで集めたお金を使って購入していた。だから、一人ひとつ、自分の声を録音したテープを記念に持ち帰る予定だったのだ。

 担任は紛失したことを謝ろうとしているのだと思ったので、私はそう伝えたのだが……。


(あれ? 他に何か困ることがあるのかな?)


 担任の教師の目は明らかに泳いでいて、何か困ったことが起きていることは明白だった。


「……そのテープがないと困るんですか?」

「実はそうなんだ。評価をつけるためにもう一度聞きたくてだなぁ」


 担任は授業中、全ての録音を集中して聞けた訳ではなかった。それよりも授業と授業を受けている生徒に集中したかったため、テープの内容はあとで聞くことにしていたのだとか。


「俺は聖徳太子じゃないからなぁ」


 そう言って担任は、耳が垂れた犬のようにしょんぼりと肩を落とした。


(いや。誰もが聖徳太子みたいに一度に何人もの話聞いたりできるとは思ってないし、期待してもないから)


 「だから助けてくれよ」と言わんばかりに上目遣いで視線を投げてくる担任。童顔で高校生にすら見えるこの担任は、女子生徒の間で密かに人気があるのだ。――と、舞香ちゃんから聞いた。


(先生、あざとい……! でもまあ、小六の女子相手でもこんなふうに対等に接してくれるから、人気があるのかもね)


 つまりは、彼は私の朗読を聞いていなかったのに、それを聞ける素材をなくしてしまったということだ。そしてそれは私の評価をつけるために必要なもので。

 私は観念かんねんして、ため息をつきたい気持ちをおさえて提案する。

 

「では、もう一度り直せばいいですか?」

「そうしてくれるとありがたい! よろしく頼む!」


 私のその言葉を待っていたかのように、担任は目を輝かせて食い気味に懇願こんがんした。



◆◆◆



 担任と話していたら時間もそれなりに過ぎていた。職員室を出ると、外からは賑やかな声が聞こえてきたものの、廊下に人気ひとけはなかった。


(さっさと終わらせて帰ろう……)


 私が先生から借りた録音用のラジカセと新しいカセットテープを持って歩いていたら、階段のそばに近づいたあたりで人の声が聞こえてきた。


「お前、他人ひとの彼女に手を出すなんて最低だな」


(今日はよくトラブルに遭遇そうぐうするなぁ)


 私がため息をついて通り過ぎようとしていると、さっきのトラブルでも登場した声が聞こえてきたので、思わず足が止まった。


他人ひとの彼女って、誰のこと?」


(結城くんの声……?)


「未唯奈だよっ! 篠崎未唯奈!」

「ああ。付き合ってたんだ」

「はあ? 略奪りゃくだつしといてその言い方……!」

「待って」


 どうやら結城くんは、未唯奈ちゃんの彼氏から『彼女を略奪した』疑いをかけられているらしい。激昂げっこうしている未唯奈ちゃんの彼氏さんと違い、結城くんはどこまでも落ち着いた様子だ。


「篠崎に俺が“手を出した”って思った理由は?」

「え? だって……」


 まったく動じていない結城くんに逆に詰め寄られることになった男子は、急にオロオロし始めた。


「未唯奈が、LINEで結城のことばっかだから……」

「今朝の件についてだろ? 俺は雰囲気悪かったから仲裁しただけ。本人に直接聞いてみた?」

「浮気かって聞いたら、『うつわが小さい』って……」

「じゃあ、逆の立場で考えてみて。話の詳細も確認せず、他の女子のことを話しただけで篠崎が『浮気!』って怒ったら?」

「……」


 結城くんは感情に任せてやってきた男子を相手に、冷静に勘違いを指摘し、アドバイスまでしてあげている。


(なんか……本当に大人っぽい人なんだな)


 やりとりを聞いていると、二人が大人と子供に見えてきた。それくらい、結城くんの言葉には反論をはさむ余地よちがなかった。


「なんか、ごめん。俺、自信なくて。結城はすげーかっこいいし。未唯奈はすっげー可愛くてモテるからさ」

「篠崎が彼氏に選んだのはおまえだろ? 自信持て。篠崎がかわいそうだ」

「うん……。そうだな。ありがとう」


 結局、結城くんはあんなに怒っていた男子をなだめて、お礼まで言わせてしまった。


(すごい……。本当に、かっこいい……)


 私は急に心臓がドキドキして、胸が苦しくなってきて、ラジカセを持った手をぎゅっと握りしめた。

 気づいたら結城くんたちは私に気づかずその場を去って行ったようで、下駄箱のほうへと向かう後ろ姿だけ確認できた。


 その日以降、今まであまり真剣に聞いていなかった舞香ちゃんの“結城くん情報”をしっかり聞くようになった。密かに立派な“結城くん推し”になったのである。

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