第8話『春の濃霧と、島の朝』
ヒナがしまねこカフェにやってきた翌日。あたしは化け猫二匹に押しつぶされる夢を見た。
「うっわー……」
そして目覚めてみると、あたしの上に覆いかぶさるように二匹の猫……じゃない、ココアとヒナが乗っかっていた。
「どおりで変な夢を見るわけだ……よいしょ。よいしょ」
そんな二人の下から、あたしは必死に逃げ出す。
かなり激しく動いたはずだけど、当の本人たちはまったく目を覚ます様子はなく、ぐうぐうと寝息を立てていた。
「はぁ……ヒナはともかく、ココアも起きないなんてどういうことよ」
ため息まじりに呟いて、あたしは一人、洗面所へ顔を洗いに向かった。
それから身支度を整えて、まだぼうっとする頭をスッキリさせるためにウッドデッキに出る。すると、眼前に広がるはずの青い空と海は白い霧に覆われていた。
「……せっかくの日曜日なのに、これは船が動かないネ。お客さん減っちゃうかも」
その時、カフェののれんをくぐるようにして、ネネが庭へとやってきた。
基本波が穏やかで、船の欠航が珍しい瀬戸内の海だけど、年に何度か船が止まることがある。その原因の一つが、春先の濃霧だ。
「お客さんが一番乗って来るのは11時の船よー。いくらなんでも、それまでには霧も晴れるでしょ」
そう言いながら、白く霞んだ島を見下ろす。
島内放送で何か言っていたけど、耳を澄ませてもよく聞き取れない。
おそらく始発の船が出ないことを島民に伝えているのだろう。
今日は島の外に出る用事もないので、あたしは特に気に留めず。顔をこすりつけてくるネネの背中を、なんとなしに撫でてあげていた。
……そんな矢先、電話が鳴った。
「……はい。しまねこカフェです」
「おう、
こんな朝早くから誰だろう……と思って電話に出ると、相手は村長さんだった。
「佐藤さんは服を持って行ったかぁ?」
「あー、はい。受け取りました。あれ、やっぱり村長さんが手配してくれたんですか? なんかヒナ、うちの親戚ってことになってましたけど」
「そうそう。親戚の子ってことにしておけば、なんだかんだで都合がいいからなぁ。
そこまで話すと、あたしの返事を待たずに電話は切られてしまった。
村長さんはいつもこんな感じで、のらりくらりしているかと思えば、突然物事を取り決めてしまう。
その言葉には有無を言わせぬ力強さがあって、あの人に言われると、島民は誰も断れないのだ。
いまだに寝ている二人を起こさないように静かに和室を横切り、おじーちゃんの私室の前で足を止める。
襖越しに声をかけてみるも、その向こうからは物音一つしなかった。
寝ているような気配もないし、朝の見回りに行っているのかもしれない。
「サヨ、おはよー」
思わず首を傾げたとき、背後からココアの声がした。
「ぐっすり寝てたわねー」
「そりゃもう、バッチリ。んー」
振り返らずに声をかけると、背伸びをするような声が返ってきた。
「フッカフカの座布団の上で遊んでる夢見た」
「よかったわねー。それ、あたしよ」
「……おはよございます」
……ココアとそんな会話をしていると、ふいに声がした。
思わず振り返ると、そこには眠たそうに目をこするヒナの姿があった。
「お、おはよー。よく眠れた?」
「ハイ! もうぐっすりでした!」
サイズの合っていないパジャマを着たヒナはそう言って笑顔を見せる。
「それはよかったわねー。とりあえず顔を洗ってきたらいいわ」
「……ところで、ココア先輩となんのお話をしてたですか?」
「へっ?」
「まるでお話をしているように見えました。サヨ、猫のコトバがわかるですか?」
体を左右に揺らしながら、笑顔を崩さずに訊いてくる。
……まさか、ココアと話しているのを聞かれた? ここは誤魔化さないと。
「え、えーっと……なんか、そう言ってる気がしただけよー」
「そなんですね! 実はわたしもネコたちの言葉がわかるですよ!」
思わず背中に嫌な汗をかいていると、ヒナは右手を上げて飛び跳ねるように言う。
「へ、へー。そうなの? 今のココア、なんて言ってる?」
「ハイ! ズバリ、今のココア先輩は朝ごはんを欲しがってます!」
「当たり! 朝ごはんほしい!」
びしっとココアを指差しながら言うと、ココアも目を輝かせてそれに同意した。
「わたしもお腹が空いてるので、間違いないです!」
「あ、あははー。そうねー。おじいちゃんが帰ってくるまで、朝ごはんはもう少し待ってね」
そう言いながら、あたしは胸をなでおろす。どうやらバレたわけではなさそう。
加えて、ヒナも猫の話す言葉がわかるのかと一瞬驚いたけど、それは勘違いらしい。ヒナはまだ子どもだし、想像力の賜物のようだ。
「……おや、ふたりとも起きたのかい」
するとそこに、おじーちゃんが帰ってきた。
その手にちょ~るや猫缶を持っているところからして、やっぱり朝の見回りに行っていたらしい。
ちなみに見回りとは、しまねこカフェにやってこない島猫たちのためにおじーちゃんがやっている活動で、猫たちの体調を確認しつつ、島の各所に設置された餌小屋に餌を置いてあげるというものだ。
餌小屋は何度か見たことがあるけど、立派な屋根がついていて、カラス対策もバッチリだった。
また、住宅地だけでも十匹近い猫がいるので、餌の消費量もとんでもなく、朝置いた餌が夕方になくなることもあるらしい。
だから、おじーちゃんは朝と夕方、毎日かかさず見回りを行っているのだ。あたしにはとてもできないし、尊敬する。
「港のほうも見てきたけど、今日はすごい霧だね」
春先はよくあることだからなぁ……と付け加えながら、おじーちゃんは白いベールに包まれた海と空を見やる。
あたしもその景色を一緒になって眺めながら、早く霧が晴れることを願ったのだった。
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